「親孝行は道理」…青木さやかのエッセー集「母」が重版決定 母との長きにわたる確執を描く

「母」を自ら手にし、笑顔をみせる青木さやか(カメラ・頓所 美代子)
「母」を自ら手にし、笑顔をみせる青木さやか(カメラ・頓所 美代子)

 タレントの青木さやか(48)が5月10日に刊行したエッセー集「母」(中央公論新社、1540円)が、発売早々に重版が決定した。WEB版「婦人公論.jp」での連載が話題を呼び、加筆修正して書籍化。母との長きにわたる確執、上京し芸人としてブレイクしたこれまでの人生の出来事を物語風に描いた。(坂口 愛澄)

 文章を書くのがもともと好きだった。中央公論新社の書籍編集局長・三木哲男さんに「婦人公論.jp」での執筆を勧められ、2012年から連載がスタート。連載も同書も通信アプリLINE(ライン)を利用し、はき出しづらい感情を赤裸々につづっている。

 「内容は重いんですけど、ラインの軽やかさがあるんじゃないかと思って。まあまあ重たいことも書けると思い、ラインで書いているんです。同じ言葉をテレビで言えるかといったら言えないような気がしていて、文章だからこそ書けると感じています」

 中学では、学級委員を務めるなどまじめな子だったと振り返る。校長まで務め上げた母にはとにかく厳しく育てられ、常に完璧を求められた。

 「褒められなかったですね。テストで90点取ったら『なんであと10点取れなかったの?』とか。みんなから尊敬されるような人だったので、褒められたいって思いが強かったです」

 子供時代の経験からか、どこか孤独を感じ、不器用な自分を認めることができずに苦しんだ。上京し、芸人になったことで徐々に自分自身をいたわれるようになった。

 「芸人という仕事は、私の欠点を出してみんなに笑っていただけたので、ちょっと救われるというか、さらけ出すことで認めてもらえる、笑ってもらえるっていうことで少し楽になったと思います」

 10年に長女を出産。親元を離れ、子供を産んだら母に感謝できるんじゃないかという期待がどこかにあったが、関係性が改善されることはなかった。

 「孫に会わせるとか、旅行に連れていくとか、プレゼントするとか、そういったことはしてきているんです。ただ不機嫌な空気感の中でずっとやって、いい空気を渡していなかった。どちらも一瞬努力するんだけど、向こうがその気じゃなければすぐに諦める。その繰り返しでした」

 11年に婦人公論で母との確執を打ち明けた。それはとても勇気がいることだった。数多くの批判も冷静に受け止めながら、母に歩み寄ることを試みた。

 「自分がしていることは一般的には批判されることだという認識ができました。母のことが嫌いだと言った理由の一つに母を好きになりたいから嫌いって言ったんですよね。嫌いだと言った責任は背負おうと思いました」

 悪性リンパ腫を患った母が、19年8月にホスピスに入院。そんな時、動物愛護活動で交流のあった男性の一言に背中を押され、考え方が変わった。

 「『親孝行は道理なんだよ、親と仲良くすると楽になれるよ』と言われました。親との関係、人間関係のうまくいかないひずみのもとになっていると思ったので、解決に向かっていきました」

 母の見舞いへ行く度に「これについて謝りたい」「マッサージをしてあげよう」とやってあげたいことを決めていたが、「たわいもない会話をする」という課題はなかなか難しかったという。

 「いい空気感を作り続けるということがとても難しくて、それがゴールだったんだなと思いました。長い確執があるので、言葉によって過去の何かが出てきて『わーっ』となることがあったんですけど、彼女の感情、過去に引っ張られないと決めて180度、空気を変えるように取り組みました」

 余命わずかな時間を過ごす中で親子のわだかまりは消えていった。母は19年10月、他界。今も天国の母へ伝えたい思いは、いつも届けている。

 「死んでもできる親孝行という言葉を書かせてもらったんですけど、迷惑かけずに笑って過ごすことがいいなと。娘の近況、言えなかったありがとうとか日々会話をしています。過去を振り返り、思いを(同書で)出すことで気持ちが楽になりました」

  

◆青木 さやか(あおき・さやか)1973年3月27日、愛知県出身。48歳。フリーアナウンサーを経て芸人に転身。毒舌キャラを武器に2003年、日本テレビ系「エンタの神様」でブレイク。04年、TBS系「奥さまは魔女」で女優デビュー。近年は舞台、ドラマ、ミュージカルでも活躍。07年にダンサーと結婚し、10年に第1子となる長女を出産。12年に離婚。身長165センチ。

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