パニック障害の竹内愛紗 心身不調でも東日本大震災企画に参加した強い思い

竹内愛紗
竹内愛紗

 映画「十二人の死にたい子どもたち」、日本テレビ系「未満警察 ミッドナイトランナー」などに出演した女優の竹内愛紗(19)が、パニック障害の治療に専念するため所属事務所「スウィートパワー」を5月31日付けで退社した。

 私が竹内と初めて会ったのは、2018年12月。非常に印象的だった。理由は彼女の将来の夢。竹内は「裏方になりたいです」と力強く話していた。当時17歳、「十二人の-」、日テレ系「俺のスカート、どこ行った?」など注目作の公開が控えていた新進気鋭女優の夢にしては、意外だった。

 竹内は映画やドラマの企画に興味を持っていた。実際の企画書に目を通し、書き方などを独自で学んだ。自分で考えた企画書も見せてもらったが、簡潔にまとめられていて読みやすかったのを覚えている。「女優として結果を」と求める事務所に対して「早く大人になりたい。マネジャーになりたい」と冗談とも本気とも捉えられる発言を、事務所スタッフの前で笑顔で話した。その姿はまぶしく、意志の強さを感じた。

 昨秋、再び彼女が書いた企画書に目を通す機会があった。企画意図などがキャッチーかつ明確に書かれ、惹(ひ)かれた。相関図のまとめ方、色の使い方もより分かりやすいものになっていた。前回よりも進化している。夢に向かって、一歩、一歩と努力していると感じた。

 最後に会ったのは「心身の不調に陥り、パニック障害のような症状が表れ始めた」という今年2月。東日本大震災から10年を迎え、著名人が当時の振り返りや思いを語る企画でインタビューした。福島県いわき市出身で、小学3年生、9歳の時に被災した竹内は、当時の様子を語ってくれた。学校で被災したこと、校庭に大きな地割れが走っていたこと、津波が迫る中車で逃げたこと、トロンボーン奏者として福島県内の各地で「花は咲く」を披露したこと、その時に涙を流しながら聴いていた人にもらい泣きしそうになったこと―。関係者の中には涙を流して聞いてた人もいたが、竹内は明るく振る舞いながら話した。

 当初、東日本大震災企画を竹内にオファーしたところ、所属事務所に一度は断られた。つらい経験を思い出させたくないという親心からだったが、竹内自身が子役と関わることが多く「この経験を伝えていきたい」と強い思いを抱き、取材に応じてくれたのだ。当日も「次の世代へ発信していくことも大事」と熱を込めていた。その日は、確かに少し目が腫れていたが、心身の不調は感じ取れなかった。今思えば、苦しい体験を話したことで無理をさせてしまったのではないかと思ってしまう。

 明るく、聡明(そうめい)で、夢に真っすぐ突き進む竹内はまぶしく、魅力的だ。退社時に「環境を変えてしばらく休養し、治療に務め、元気な自分を取り戻せるように過ごしていきたい」とコメントを発表。この言葉通り、元気で竹内らしく過ごせるようになった時、新たな道でも活躍できるよう、ただただ願っている。(記者コラム)

コラムでHo!とは?
 スポーツ報知のwebサイト限定コラムです。最前線で取材する記者が、紙面では書き切れなかった裏話や、今話題となっている旬な出来事を深く掘り下げてお届けします。皆さんを「ほーっ!」とうならせるようなコラムを目指して日々配信しますので、どうぞお楽しみください。

芸能

宝塚歌劇特集
NEWS読売・報知 モバイルGIANTS 個人向け写真販売 ボーイズリーグ写真 法人向け紙面・写真使用申請