昨年7月、出演したテレビ番組の中で軽度の認知症であることを公表した漫画家でタレントの蛭子能収(73)が週刊誌「女性自身」で持つ連載をまとめると同時に、本人や周囲の人間が現在の心境を語った「認知症になった蛭子さん 介護する家族の心が楽になる本」(光文社、1320円)が発売された。「まだまだ仕事を続けたい」と話す蛭子の今の考えは「これまで通り、素直に生きる」ことだという。そのココロは…。(高柳哲人)
一見すると「ちょっとトボけた気のいいオジさん」かと思いきや、周囲の意見も聞かずに我が道を行く“問題児”の顔も。そんな飾らない姿がテレビ東京系「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」などで人気の蛭子に異変が見つかったのは、昨年7月のことだった。軽度の認知症であることが判明。家族や所属事務所の間で話し合われた結果、同局系「主治医が見つかる診療所」内で発表することが決まった。
「わざわざ(認知症であることを)知らせる必要がないという考え方もあるかもしれない。でも、黙ってはおれないというか、言わないまま仕事をするというのは難しいかな、と」
そもそも、認知症と診断されても、蛭子自身にはその自覚がないという。
「『自分は本当に病気なのか?』と感じることはありますね。何事もなかったかのように仕事をしているし、家で生活もしている。これからもそうやっていくつもりですしね。何も変わらないので」
とはいえ、一般の感覚からすれば病気に気を使ったり、「大変ですね」と声を掛けたりしてしまうことは否めないだろう。だが、蛭子は「それよりも、たとえ病気が原因で何か変なことをやったり言ったりしたとしても、それを笑ってほしいんです」という。そこには、自身が子供の頃から「素直に自分の感情を表に出す」生き方をしてきたという考えがあった。
「自分が笑われたりイジられるのが好きであるのと同時に、相手に対してもおかしなことがあれば素直に反応して笑ってましたね。ただ、不謹慎なところで笑っちゃうところもあって、よく怒られたりもしたんですが…。理由が何であれ『面白い』と思ったら笑った方がいいんですよ。それに、自分自身は周りから何と言われようが平気なところもあるんで」
そんな蛭子に寄せられた「人生相談」は世代、ジャンルともにさまざま。真剣な悩みから、「これって本当に相談したいと思っているの?」といった内容まで幅広いが、どのような気持ちで回答しているのだろうか。
「もちろん、一つ一つの答えは真剣に考えています。ただ、意外と私っていろんな人の困った様子を見るのが好きなんですよ。いい人ってわけではないですから。ちなみに、一番好きな質問のジャンルは、お金に関すること。答えるのが簡単ですからね。『ギャンブルをやめればいいんじゃないですか』と言っておけばいいので。フフフ…」
お金に関する質問が全てそれで解決するとはとても思えないし、回答も途中で“脱線”してマネジャーに軌道修正させられることもしょっちゅう。それでも、読めば「心が軽くなる」ことは間違いない。
今後も、認知症とうまく付き合いながら、仕事を続けていきたいという蛭子。その原動力を聞くと「お金なんですよ」と、臆面もなく即答した。
「手元のお金が少なくなっていくと緊張するというか、すごく怖いんです。漫画家になる前に、お金で苦労したということもありましたしね。まあ、その時は稼いでもいないのにボートレースとかで使っていたのもあるんですが…。とにかく『お金がなくなったらおしまいだ!』という気持ちが強くて。だから、仕事はやりたいんですよ」
そんな蛭子が、人生相談を「される側」でなく「する側」になったとしたら、聞いてみたいことは?
「そうですね。『お金はどうやったらたまりますか』ですね。ヘヘヘ…」
ある程度想像していたとはいえ、やはり…。期待通りの答えだった。
<蛭子能収>(えびす・よしかず)1947年10月21日、長崎市出身。73歳。高校卒業後、看板店勤務を経て70年に上京。広告会社などに勤務しながら漫画を描き始め、73年に漫画誌「ガロ」でデビュー。86年、劇団「東京乾電池」の公演参加を機に俳優・タレント活動を始める。ボートレース好きでも知られ、「1億円くらい負けた」と自称。