阪神監督の私を地獄の底に突き落とした巨人の4番・原辰徳…阪神入団60年・安藤統男の球界見聞録<11>

スポーツ報知
2004年、ともにスポーツ報知評論家としてイベントで共演した原辰徳氏と安藤統男氏

 前回予告した通り、プロの厳しさを教えてくれた人と、私の腰を抜かした人のことを書きます。

 まず、プロの厳しさを教えてくれた人。V9巨人の捕手。監督としても西武の黄金時代を作った森祇晶さんです。実は、慶大時代に通っていた治療院が偶然、森さんと一緒でした。

 で、入団1年目の巨人戦。試合は巨人が大量リードしていました。私の記憶では投手は城之内邦雄さん。打席に入った私に森さんがささやきます。「おう、安藤。久しぶりやな」。昔は森さんや野村克也さんのように、マスク越しにささやいて打者の集中力を乱す捕手がいました。広島・達川光男君を最後に“絶滅危惧種”になりましたが…。

 森さんは続けます。「こんな試合やし、真っすぐしか投げさせんよ」。そう言われると、考えます。「少しは知ってる間柄だから、球種を教えてくれるのかな。プロではこんなこともあるのか」「いや、そんなことあるわけない。からかわれているだけだ」。ルーキーは大いに迷い、集中力をかき乱されました。それが森さんの狙いでした。

 初球。城之内さんが投げたのはカーブでした。「あいつサイン間違えてるわ」。森さんはなおもつぶやきます。「2球目も真っすぐやからな」。ところが、来たのはまたカーブ。「ジョー(城之内)はサイン分かってるのか」。ぶつぶつ言いながら「3球目もストレートで行くぞ」。もうおわかりでしょう。3球目のカーブを空振りして3球三振。見事にはめられました。プロの洗礼でした。

 森さんには西武や横浜(現DeNA)の監督時代、何度も取材をさせてもらいました。口癖は「選手がおらんわ」。外からは豊富な戦力で戦っているように見えたのですが、顔を合わせる度に愚痴っていました。それでいて西武の監督時代、8度のリーグ制覇、6度の日本一。恩師の川上哲治さんに並ぶ名将です。

 そして、もう1人は…。私の監督2年目、83年5月5日の巨人・阪神戦(後楽園)。3対2で9回を迎えていました。走者が一塁にいたものの、2死。抑えの山本和行があと1人取れば勝ちという場面でした。左翼に打球が飛んだ瞬間、私はショックのあまり、ベンチに座ったまま動けなくなりました。逆転サヨナラ2ラン―。「腰が抜けるとは、こういうことを言うのか」。あんな経験は初めてでした。

 私を地獄の底に突き落としたのは入団3年目の4番打者。原辰徳現監督です。存在感が大きかったONの後継者。監督になってからもやりくりがうまい名指揮官です。キャンプ取材であいさつに行くと「安藤さん、来て下さい」と打撃ケージ後ろの、いわゆる“原タワー”で歓待してくれます。今年は主力に故障が出て苦労していますが、力があるチームですから必ず巻き返して来るでしょう。阪神との優勝争いを楽しみに見守っていきたいと思います。

 さて、ここまで巨人の人たちを書いて来ましたが、この辺でもう1度、阪神に戻ります。次回は、入団し時の監督、藤本定義さんと、初代“ミスター・タイガース”の藤村富美男さんとのうそのような本当の話を―。(スポーツ報知評論家)

 ◆安藤 統男(本名は統夫)(あんどう・もとお)1939年4月8日、兵庫県西宮市生まれ。82歳。父・俊造さんの実家がある茨城県土浦市で学生時代を送り、土浦一高3年夏には甲子園大会出場。慶大では1年春からレギュラー、4年時には主将を務めた。62年に阪神に入団。俊足、巧打の頭脳的プレーヤーとして活躍。70年にはセ・リーグ打率2位の好成績を残しベストナインに輝いた。73年に主将を務めたのを最後に現役を引退。翌年から守備、走塁コーチ、2軍監督などを歴任した後、82年から3年間、1軍監督を務めた。2年間評論家生活の後、87年から3年間はヤクルト・関根潤三監督の元で作戦コーチを務めた。その後、現在に至るまでスポーツ報知評論家。

 ※毎月1・15日正午に更新。次回は6月15日正午配信予定。「安藤統男の球界見聞録」で検索。

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