お笑い評論家のラリー遠田さん(41)が書いた「お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで」(光文社、1012円)では、時代ごとの芸人の特性を、一般の世代論に照らし合わせて描く。戦中世代のコント55号、団塊世代のビートたけしから、ポストさとり世代の四千頭身まで。自分と同じ世代の芸人が抱いた葛藤は、自分が抱いた葛藤でもあるはずだ。
野球に「松坂世代」があるように、お笑いにも年代ごとにくくった世代論がある。
2018年、漫才コンビ「霜降り明星」が「M―1グランプリ」で優勝した直後、ボケのせいや(28)がラジオ番組で自分たちと同年代の若手芸人を「第七世代」と呼ぶことを提案した。そこから、「お笑い世代論」は白熱した。ラリーさんは、本書でそんな“お笑いの世代定義”と“一般的な世代定義”を照らし合わせた。
「お笑い好きな人も楽しめるし、お笑いをそんなに好きじゃない人でも世代論の視点から楽しめる。例えばビートたけしさんは団塊世代で『うちの会社にも団塊世代の上司がいるけど、確かに、こういうことあるよな』っていうふうに。自分の立場からそれぞれの世代のことを考えられる」
ちなみに、1979年生まれのラリーさんは、お笑いでいうと「第六世代」。キングコングやウーマンラッシュアワーと同世代だ。一般的な社会的世代論でいうと、「団塊ジュニア世代」に当たる。ラリーさんはそんな自分の世代を「谷間の世代」と名付けている。
「上の世代への憧れは強くて、価値観は古いんです。だけど、時代は違う。携帯はスマホじゃないとやばいけど、TikTokにはついていけない。上には圧をかけられたけど、自分は下にはかけられない。そういう世代。嫌だったけれど、しょうがないです」
一般社会で同世代が抱える悩みは、同じように、お笑い「第六世代」も抱える悩みだ。同世代の南海キャンディーズ・山里亮太(44)やオードリー・若林正恭(42)は「憧れ」と「諦め」を同時に抱え、「陰」のオーラを放っている。
「お笑い界でもちょっと上の世代には有吉(弘行)さんやザキヤマさんがいて、いくら頑張ってもその人たちと共演したら全部持っていかれちゃう。と思ったら、今度は第七世代が来て、チヤホヤされている。上の世代も、なんかちょっと第七には優しい。何でだよ、みたいな…」
ラリーさんは「就職氷河期」を経験した世代でもある。東大卒だが、就職試験を受けたテレビ局はとんでもない倍率で、苦戦。最終的にテレビ番組の制作会社に就職した。「これが一生続くのはやばいな」という環境で約3年を過ごし、その後、出版業界を経て「お笑い評論家」になった。
「もともとお笑いが好きで、分析的な目で見ていた。ある時、雑誌の記者に『お笑いのこと、教えて』って言われて、話したら、それがそのまま記事になってた。その時に、意外と商品価値があるのかなと気づいたんです」
評論家である前に、一人のお笑い好きとして、芸人に対する大きな敬意がある。良いものを良い、悪いものを悪いと書くのが評論家だが、芸人にとってマイナスになることは書かないようにしている。
「だから、正確には評論家じゃないのかもしれない。結局お笑い評論家ってお笑い業界にとっては“不要不急”の最たる者。けど、せめていさせてもらうからには、業界とか芸人さんとかの利益になる存在であった方がいいのでは、と」
ラリーさんは、はざまに立つ「第六世代」。同時に、第一~第七世代まで全て見てきた世代でもある。ドリフや欽ちゃんでお笑いを知った幼少期。ダウンタウンに衝撃を受けた青春時代。第六世代に共感する今。その時代に生きた評論家だからこそ、この本が書けた。これからも“今のお笑い”を見続けるつもりだ。
「常に現役であり続けたい。第八、第九世代が出てきて、『自分は面白いか分かんないけど、中高生はめっちゃ笑ってる』となった時がやばいですよね。そうなったら引退を考えるかも。やっぱり、今のものをずっと追いかけていかないと。『わしはダウンタウンしか認めん』って、頑固になったら終わりじゃないですか(笑い)」(瀬戸花音)
◆ラリー遠田(らりー・とおだ)1979年、名古屋市生まれ。41歳。2002年、東大文学部卒業後、テレビ制作会社に就職。05年、制作会社を退社。出版業界を経て、お笑い評論家に。「教養としての平成お笑い史」(ディスカヴァー携書)、「とんねるずと『めちゃイケ』の終わり〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論」(イースト新書)、「逆襲する山里亮太」(双葉社)、「この芸人を見よ!」(サイゾー)など著書多数。