木幡美子さん「生き生きとやっている姿を後輩に見せたい」…フジテレビ元アナウンサー第二の人生(8)

新天地で「これだけ生き生きとやっている姿を後輩に見せたい」と話す木幡美子さん(カメラ・頓所 美代子)
新天地で「これだけ生き生きとやっている姿を後輩に見せたい」と話す木幡美子さん(カメラ・頓所 美代子)
2018年、米ニューヨークの国連本部で行われた「世界テレビ・デー」に出席した際の木幡美子さん(本人提供)
2018年、米ニューヨークの国連本部で行われた「世界テレビ・デー」に出席した際の木幡美子さん(本人提供)
自ら「ライフワーク」と語る心臓移植取材をする木幡美子さん(本人提供)
自ら「ライフワーク」と語る心臓移植取材をする木幡美子さん(本人提供)

 会社員にとって避けられない人事異動の瞬間は華やかにテレビ画面を彩るアナウンサーたちにもやってくる。高倍率を勝ち抜き、フジテレビに入社。カメラの前で活躍後、他部署に移り奮闘中の元「ニュースの顔」たちを追う今回の連載。4人目として登場するのは現在、総務局CSR推進部の局次長職兼部長として活躍中の木幡美子さん(54)。凜(りん)とした魅力で長年、ニュースキャスターを務めた木幡さんは今、企業の社会的責任を受け持つCSR部門のトップとして、フジの屋台骨を支えている。(構成・中村 健吾)

 (前編から続く)

 2011年6月、44歳で迎えた初めての異動。アナウンス室から離れるなら会社を辞めるという決断をした人もいたが、木幡さんの脳裏に「退社」の2文字がよぎることはなかった。

 「フジって楽しい人が本当に多くて。就活でも『この局に入れないなら他に行く意味がない』と思い、他局は考えませんでした。ここが好きですし、会社に近づくだけでワクワクしていました」

 その言葉の裏には人生の節目での忘れられない瞬間があった。

 「産休から帰ってきた時でした。1年半休んだのですが、お台場に久しぶりに足を運んだ時に胸が躍る感覚を味わって…。ここが私の居場所だと改めて感じたんです」

 与えられた仕事を一つずつこなしていく中、自身の適性に気づき、ライフワークとなるテーマに出会った。

 「同期はすぐにニュース番組のキャスターに就きましたが、私は現場で取材するリポーターや中継が多くて。正直、スタジオで伝えることがあまりうまくなくて、得意と思ったことは一度もないんです。現場で取材して伝えることが好きで、新人アナの時に臓器移植というテーマにすごく興味を持って、それは現在も取材を継続しています」

 日々、「FNNスピーク」のキャスターをこなしながら厚労省に直行し取材。ただ原稿を読むだけのアナウンサーでは飽き足らない取材への“欲求”があった。

 「自分が読む原稿が手元に来るまでって、どうなっているのかな。どうやって情報が流れて、誰が原稿を精査して伝えるのかを自分で経験したかった。その最初の工程をこなしていたことが今でも役に立っています」

 画面に映ることで満足するのではない自身の取材志向をこう振り返る。

 「アナウンサーって、いろいろな制作プロセスの中の最後を送り出す部分。そこが得意で間違いなく伝えられることにやりがいを感じる人もいます。でも、私はそこに行くまでの取材過程の方が好きだと気づき始めて。産休中も家にいて、子どもを産んだのに『私、何も産み出していない』って辛かったくらい。仕事をしていないと存在意義が感じられないタイプなのでしょうね。産休明けで戻ってきた時にフジテレビアナウンサーのホームページサイト『アナマガ』を立ち上げました」

 03年、同局アナのプロフィール、ブログや動画を掲載するサイト「アナマガ」を事業化しようという計画が浮上。立ち上げメンバーに選ばれた。

 「産休明けですぐにレギュラー番組もなく、阿部知代先輩から『美子ちゃん、こういうの得意じゃない?』と言われて、『アナマガ』のビジネス化でコンテンツを作る側に。ブログの中身も1本、1本チェックする事実上の編集長。ゼロから何かを作る、裏方として個々のアナウンサーの人間的な魅力をいかに外に出すかという楽しさに気づいて。テレビ画面の中だけの姿ではなく、アナウンサーの異なる表情を外に伝えるビジネスモデルを10年くらいかけて作りました」

 移植医療の取材でも何本もの企画に携わった。

 「私、カメラも回すんです。ある患者さんが移植手術を受けるまでの3年間を追いかけて『ザ・ノンフィション 私、生きてもいいですか~心臓移植を待った夫婦の1000日~』という番組を昨年11月に放送しました。自分のライフワークとして、どこの部署に行こうと関係ない。私の根底に流れているものとして究極の社会貢献、CSRだと思い、どうしても伝えたいと思って作りました」

 その言葉通り44歳で迎えた初の異動で用意されたのは社の社会的責任、貢献を担うCSR部門だった。

 「ここに異動してきたのも運命かな。異動希望を出したわけではないけれど、20年経った時に強制的な力でポンと動かされたのは、すごく良かったと思います」

 CSRはフジが社会に対して、どのようにプラスの価値を提供し、貢献しているかを発信、実行していく部署。代々、アナウンサー経験者がトップに就くことも多かった。

 「当時の上司には『アナウンサーだった過去は忘れて、退路を断て』と言われました。でも、そう言われたことで、これで堂々とこっちの方に行けると思ったんです。児童虐待やDVなど弱い人が苦しい目にあっているニュースを伝える中で『伝えることしかできないのか、私は』ってもどかしく思っていた。いつも『~で亡くなりました』と最悪の結果になってから伝える立場だったけれど、もっと早く何かを発信していれば防げた、助けられた命もあったのではないか。悲しい事件が起きないようにテレビがお役に立てたらいいなと」

 CSR異動後、問題解決に取り組む人たちを追うSDGs(持続可能な開発目標)に特化した番組「フューチャーランナーズ」に18年の立ち上げから参加。この番組は世界初のSDGsをテーマにしたレギュラー番組で、ネタ選びから取材、番組に英語字幕を付けるなど制作の全段階に関わっている。同局のアナウンサーたちが先生としてそのスキルを子供たちに直接伝える、言葉の出前授業「あなせん」も16年目に入った。BSフジ、ニッポン放送とタグを組み視聴者、リスナーと一緒にSDGsについて学び、考え、実践することを目指す「楽しくアクション!SDGs」プロジェクトも立ち上がり、今やCSRの枠を飛び出し、大きなうねりを感じているという。

 「CSRに来て、もう10年。企業が利益ばかり追うのでなく、社会に対して、どういう価値を提供するのかが問われる時代になり、今、SDGsが注目されています。世間がまだあまり取り組んでいなかった頃からフジテレビはCSR活動としてSDGsに積極的でした。SDGsの理念が『誰1人取り残さない』だから、私も取り残したくなかった。どうやったら相手にうまく伝わるかは昔から訓練されていますから。ニューヨークまで行って、国連でフジテレビのSDGsの番組について話す機会もありました。不思議とアナウンサーを辞めてからの方が人前で話す機会が増えていますね、私。今が一番、発信しているかもしれないです」

 今や天職とも言える社会貢献の分野で誰もが認める「フジの顔」になった。

 「アナウンサーが幅広いテーマを扱う平面的な仕事だとしたら、CSRは立体的で体積になっていく仕事。私はこっちの方が向いているのかも。テレビ局の価値は、視聴率が良い、悪いだけではない。社会貢献をこれだけしているということも大事ですし、しっかりと継続できる会社であって欲しい。私自身も、アナウンス室から出た人が、これだけ生き生きとやっているという姿を後輩に見せたいなと思います」

 CSRのトップとして、フジが社会にどう貢献できるかを日々考え続けている木幡さんは印象的な大きな目を輝かせて、そう言った。

※SDGs(Sustainable Development Goals=持続可能な開発目標)

(次回29日配信分は境鶴丸さんが登場)

 ◆木幡 美子(こばた・よしこ) 1967年3月3日、東京・中野区生まれ。54歳。89年、上智大外国語学部英語学科卒業後、フジテレビ入社。アナウンサーとして「FNNスピーク」キャスターなどを務め、94年に結婚。11年、CSRの部署に異動。18年にSDGsをテーマにしたレギュラー番組「フューチャーランナーズ」(水曜・午後10時54分、関東ローカル)を発案し、現在も放送中。内閣府男女共同参画会議・女性に対する暴力に関する専門調査会委員、厚労省臓器移植委員会など政府の審議会委員も多数務める。

◆フューチャーランナーズのサイトはこちら

◆楽しくアクション!SDGsのサイトはこちら

◆あなせんのサイトはこちら

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