◆JERAセ・リーグ 巨人5―3阪神(15日・東京ドーム)
巨人が原辰徳監督の我慢と執念のタクトで通算2000試合目となる伝統の一戦を逆転勝利で飾った。4回2死一、三塁でサンチェスへの代打をあえて見送り続投させると、9回1死満塁では大江、野上を次々に投入。5回にスモークの逆転3ランで奪った2点リードを守り切った。首位・阪神との差は縮まり3・5に。通算対戦成績は巨人の1094勝835敗71分けとなった。巨人軍の長嶋茂雄終身名誉監督が、伝統の一戦にかけてきた思いと後輩たちに託す気持ちをつづった。
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1936年に生まれた私とともに、伝統の一戦は85年の歳月が流れた。巨人のライバルはいつも阪神であり、選手は対抗心を燃やし、ファンは熱狂した。ちょうど20年前、01年4月25日の1500試合目は松井秀喜の逆転3ランで勝った。監督だった私は、節目の一戦に向けて、前夜から興奮し「絶対に勝つんだ」と気合をみなぎらせていた。
今年の阪神は強い。こうでなくちゃ、プロ野球は盛り上がらない。要因は4番・佐藤輝。実力は本物だ。存在感は群を抜き、すでに打線の中心にいる。だが、3安打3打点を許しても、巨人は上回った。主軸のスモークがここぞで打ち、チーム全体がビハインドの中でも「俺らが負けるはずがない」という意志を見せていた。ナインが頼もしく映り、長い歴史をしっかり引き継いでいると実感した。
自宅のテレビで勇ましい姿を見ながら、V9を決めた1973年を思い出した。阪神との優勝決定戦に臨んだ10月22日、甲子園。残念ながら私は、右手薬指を骨折して遠征には帯同せず、都内の自宅から共に戦った。14安打9得点、投げては高橋一三が完封。優勝直後、阪神ファンが乱入した時はテレビ画面に「お客が来たぞ! 逃げろ、逃げろ~」と叫んでいた。
ここで私が強調したいのは、当時の川上監督の言葉だ。優勝マジック1の阪神が同20日の中日戦(中日球場)に敗れ、その夜、宿舎でナインを集めた。
「明日のゲーム(21日は雨天中止)は、もう勝った。阪神が優勝する運を持っていたなら、中日戦で勝ったはずだ。何も心配しなくていい。今年一年、本当にベストを尽くしたか、野球いちずに戦ったか。よく胸に手を当てて考えてくれ」
いつも勝負に厳しい川上監督が「もう勝った」と言い切り、自信を付けさせてくれた。その後、監督の自腹で用意されたビールで前祝いしたとも聞いた。そう。我々は常にベストを尽くしてきた。打てない時、守備でエラーした時は「何くそ~」と走り込んだ。雨がどしゃ降りでも関係なかった。野球は下半身が重要だから。宿敵タイガースに勝つため「次こそ俺が引っ張るんだ」の気持ち一つだった。今年はどうだろうか。誰が、その強い気持ちを持ってやれているか。坂本、菅野に頼ってばかりではいけない。原監督に「今年はもう勝った」と言わせるくらい、この先も勝つことに貪欲であり続けてほしい。
メモリアルゲームは巨人が勝つ―。これも教えられた伝統だ。最も印象深い1959年6月の天覧試合は、天皇陛下の喜ぶ顔を見るために、前夜から枕元にバットを置いて寝た。しばらくは興奮して眠れなかった記憶がある。68年9月に王さんとバッキーが絡んだデッドボール事件。「敵討ち」と打った3ランも、思い出の阪神戦ベスト3に入る素晴らしい試合だった。
2000試合目も勝った。心の底からうれしかった。最後、9回1死満塁のピンチを抑えた時は、久々に興奮した。コロナ禍で観衆はまだ半分にも満たないが、ファンも同じ気持ちで見ていたことだろう。(報知新聞社客員・長嶋茂雄=巨人軍終身名誉監督)