掛布雅之氏、江川卓氏は「『打たれる美学』のある投手だった」…「甦る伝統の一戦」対談<下>

掛布雅之(1981年)
掛布雅之(1981年)

 巨人のエースと阪神の4番として名勝負を繰り広げた江川卓氏(65)と掛布雅之氏(66)の豪華クロストークがスポーツ報知で実現した。ともに1955年5月生まれの同い年。「昭和の怪物」と「ミスタータイガース」が、79年7月7日の初対決のシーンなどを語り合った。

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 真っ向勝負を貫いた2人だからこそ、忘れられない打席がある。82年9月4日の甲子園。1点リードの8回2死二塁で、江川は藤田元司監督から敬遠の指示を受けた。

 掛「捕手の山倉が立ったので驚いた。江川との対決で初めての打つ気がない打席。その怒りのストレートを見て驚いた。こんなすごい投手だったのかと改めて感じさせられた」

 江「怒っていたわけではない。2人の対決を見に来てくれたファンに対しての申し訳なさ。自分自身に対して情けなかった。同じ敬遠四球でも最高の球を投げようと。三振を狙うような一番速いボールを4つ投げた。プライドを込めたストレートだった」

 五輪のプロ参加も、WBCもなかった時代。球宴でも短い会話だけで、引退するまでゆっくり話をしたことはなかった。

 掛「野球観は似ていると感じていた。でも、巨人のエースと阪神の4番が仲良くご飯を食べにいくのを見ると、ファンはどう思うか。ご飯を食べにいくのは引退してからと約束していた。それまではバットとボールを使っての会話だった」

 計9年間の言葉を介さない対話。成績は185打席で打率2割8分7厘、14本塁打、21三振、18四球。死球は一つもなかった。

 江「ホームランと三振の数は覚えているけど、打率は覚えていない。なぜかというとヒットは関係なかったから。インハイのストレートを投げて空振りかホームランか。もちろん状況次第で、全てがそうではないが、必ず1球はインハイのストレートを投げた」

 掛「ホームランの数しかはっきり覚えてはいない。江川からヒットを打ちたいなど思ったことがない」

 江「掛布にホームランを打たれても不思議と悔しさはなかった。うまく打たれたことに『は~、すごいな』と。悔しさを超えた感情があった。自分の最高のボールを打たれると『へ~っ、こういうふうに打つんだ』と納得してしまう。だから極端に言うと打ちミスしてほしくなかった。投げ損じた球はしっかりホームランにしてほしかった」

 掛「『打たれる美学』のある投手だった。一方的に抑えるだけでは名勝負は生まれないから。江川からホームランを打ってガッツポーズしたことは一度もないし、逆もそう。互いに敬意を持って戦っていた」

 江「自分でもうまく表現できないけど、勝負を超越した不思議な感覚があった。1試合4度の対決が楽しかった。これは経験した者しか分からない」

 掛「一番すごいのは、終盤の4打席目に初回に投げた以上のストレートを投げられること。手抜きだとか言われたこともあったけど、そういうペース配分ができた。私に対してのストレートと下位打線に対してのストレートはホップの度合いが違った」

 江川は87年に13勝5敗の成績を残しながら右肩痛を理由に同年限りで引退。掛布も後を追うように翌年の88年に左膝痛を理由に33歳の若さで引退した。

 江「マウンドに上がっている以上は試合に勝たないといけない。でも、ゲームの駆け引きだけでない1対1の対決があった。自分たちも楽しかったし、ファンにもそれが伝わったのかも。勝敗とは別のおまけというか、プラスアルファというか。うまくは言えないが」

 掛「最高の勝負をしてくれて、ありがとうという感謝しかない」

 江「同い年でそういう打者がいてくれて良かった。本当に最高の勝負ができた」

 巨人のエースと阪神の4番が真正面からぶつかり合った物語。平成、令和と元号が変わっても輝きは色あせない。

 ◆掛布 雅之(かけふ・まさゆき)1955年5月9日、新潟県三条市で出生、千葉市で育つ。66歳。習志野高では2年夏に甲子園出場。73年に阪神の入団テストを受けた後、ドラフト6位で入団。1年目の開幕から1軍に定着し、79年に初の本塁打王。85年には4番打者として日本一の原動力になった。86年は死球など故障が続き、88年に現役を引退。「ミスタータイガース」と称された。現役通算1656安打、349本塁打、1019打点、打率2割9分2厘。本塁打王3回、打点王1回。13年オフにGM付育成&打撃コーディネーター(DC)に就任。16年から2軍監督を2年務めた後、オーナー付シニア・エグゼクティブ・アドバイザー(SEA)としてフロント入り。20年1月から阪神電鉄本社と契約し、阪神レジェンド・テラーに就任した。現役時代は175センチ、77キロ。右投左打。

 ◆江川 卓(えがわ・すぐる)1955年5月25日、福島県生まれ。65歳。作新学院高では完全試合やノーヒットノーランを何度も記録し、怪物と称される。3年時の73年に甲子園春夏連続出場。センバツは4強入りし、60奪三振は大会最多記録。夏は2回戦で銚子商に0―1のサヨナラ負け。73年のドラフトで阪急1位指名を拒否し、法大に進学。77年のドラフトではクラウンの1位指名を拒否し、米・南加大に留学。78年に“空白の1日”で巨人と電撃契約も、ドラフトでは阪神が交渉権を獲得。当時のコミッショナー裁定で小林繁とのトレードが成立した。巨人では3年目の81年に20勝を挙げて連続最多勝、防御率1位でMVP。87年のシーズン終了後、引退を表明。通算成績は266試合に登板、135勝72敗3セーブ、1366奪三振、防御率3・02。現役時代は183センチ、90キロ。右投右打。

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掛布雅之(1981年)
79年7月7日スタメン
江川掛布対戦成績
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