江川卓氏、掛布雅之氏には「はぐらかすような球は投げたくなかった」…「甦る伝統の一戦」対談<上>

 巨人のエースと阪神の4番として名勝負を繰り広げた江川卓氏(65)と掛布雅之氏(66)の豪華クロストークがスポーツ報知で実現した。ともに1955年5月生まれの同い年。「昭和の怪物」と「ミスタータイガース」が、79年7月7日の初対決のシーンなどを語り合った。

 江川(以下、江)「私はインコースのストレートを得意としていたので、掛布に対してそこに投げて、抑えるか打たれるかがバロメーターだった。そういう打者はほかにいなかった。対戦していて楽しかった。だから、いつも最高の状態で打席に立ってほしかった」

 掛布(以下、掛)「裏表、ウソのない対決。シンプルな考えで打席に立てるので、江川がマウンドにいると最高のスイングができた。ライバルと思ったことはない。村山さんと長嶋さんや、江夏さんと王さんの対決とも違う空気感があった。ギスギスしたものは一切なく、戦友、同志…。表現するのが難しい不思議な関係」

 18・44メートルを隔てて2人が初めて向かい合ったのは、1979年7月7日の後楽園。七夕の夜だった。

 江「はっきり覚えている」

 掛「もちろん忘れるはずがない」

 73年のドラフト6位で入団した掛布は、前年の78年の球宴で3打席連続アーチを放つなど、スター街道まっしぐら。西武にトレード移籍した田淵に代わる猛虎の顔になっていた。

 掛「前日からマスコミが騒がしかった。3年連続で打率3割を打っていたし、阪神ファンの『必ず打ってくれる』という期待をビンビン感じていた。自分を見失わないよう普段通りに臨みたかった。試合前練習を終えると、後楽園ではお決まりのハンバーグサンドを食べた。ロッカールームでバットを握りながら、静かにプレーボールを待った」

 作新学院で怪物と称された江川は、世間を揺るがせるほどの紆余(うよ)曲折を経ての巨人入り。6年の回り道の末に同じ舞台に立った。

 江「高校時代から習志野に掛布といういい打者がいるのは噂(うわさ)では聞いていた。練習試合でダブルヘッダーが組まれたけど、確か掛布は1戦目に死球を受けて私が登板した2試合目は欠場していた。オールスターで3連発の打者の名前を聞いて『あの掛布か』と思い出した。プロですごい打者になったんだと。怖いという気持ちがあった」

 掛「高校時代に対戦できなかったけど、そのすさまじい球威は生で見ていた。あのときに打席に立っていたらトラウマになっていたかもしれない。実際に打席に立つと、どう見えるのか。できれば『先発・江川』のアナウンスは聞きたくなかった。どんな球を投げるのか。怖さ、緊張感があった」

悔い残る1球 ファンが固唾(かたず)をのんで見守った初球。捕手・吉田孝司のサイン通りのカーブが低めに外れた。

 掛「ストレートを体感するために1球目は振るつもりがなかった。それも、できればボールになってほしかった。ところが『あの江川が初球にカーブを投げたんだ』とスッと気持ちが落ち着いた。向こうも怖がっているのが分かった」

 江「悔いの残る1球。インコースのストレートを投げれば良かった。でも、前の年は1年アメリカで浪人していたので自分の投げるストレートに100%の自信がなかった」

 2球目もカーブで2ボール。3球目の外角ストレートを見逃し、4球目は再びカーブで3ボール1ストライク。そして初スイングとなった5球目のカーブは右翼席に突き刺さった。

 掛「打った瞬間にホームランと分かった。3球カーブの軌道を見ていたからストレートにタイミングを合わせながら、目で反応して、体が動いた。これから長く続く対決で一歩前に出られたと安心した。でも1年目のストレートは本当の江川の球ではなかった。2年目からの球とは違った」

 江川はブランクのあった1年目は9勝止まりだったが、2年目は16勝、3年目は20勝で投手5冠。無双状態の中、掛布との対決では、初球はカーブから入り、勝負球はインハイのストレートの暗黙の了解があった。

 江「初球はど真ん中のカーブと決めていた。掛布には配球というものをしたくなかった。初球、外角のストレートとか内角のカーブとか、はぐらかすような球は投げたくなかった」

 掛「いきなり初球を打つのは楽しみにしているファンに失礼だろうという気持ちがあった」

 ◆江川 卓(えがわ・すぐる)1955年5月25日、福島県生まれ。65歳。作新学院高では完全試合やノーヒットノーランを何度も記録し、怪物と称される。3年時の73年に甲子園春夏連続出場。センバツは4強入りし、60奪三振は大会最多記録。夏は2回戦で銚子商に0―1のサヨナラ負け。73年のドラフトで阪急1位指名を拒否し、法大に進学。77年のドラフトではクラウンの1位指名を拒否し、米・南加大に留学。78年に“空白の1日”で巨人と電撃契約も、ドラフトでは阪神が交渉権を獲得。当時のコミッショナー裁定で小林繁とのトレードが成立した。巨人では3年目の81年に20勝を挙げて連続最多勝、防御率1位でMVP。87年のシーズン終了後、引退を表明。通算成績は266試合に登板、135勝72敗3セーブ、1366奪三振、防御率3・02。現役時代は183センチ、90キロ。右投右打。

 ◆掛布 雅之(かけふ・まさゆき)1955年5月9日、新潟県三条市で出生、千葉市で育つ。66歳。習志野高では2年夏に甲子園出場。73年に阪神の入団テストを受けた後、ドラフト6位で入団。1年目の開幕から1軍に定着し、79年に初の本塁打王。85年には4番打者として日本一の原動力になった。86年は死球など故障が続き、88年に現役を引退。「ミスタータイガース」と称された。現役通算1656安打、349本塁打、1019打点、打率2割9分2厘。本塁打王3回、打点王1回。13年オフにGM付育成&打撃コーディネーター(DC)に就任。16年から2軍監督を2年務めた後、オーナー付シニア・エグゼクティブ・アドバイザー(SEA)としてフロント入り。20年1月から阪神電鉄本社と契約し、阪神レジェンド・テラーに就任した。現役時代は175センチ、77キロ。右投左打。

 DAZNは伝統の一戦「巨人vs阪神」全試合ライブ中継

79年7月7日スタメン
江川掛布対戦成績
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