王貞治さんに「グラブのひもを切られた」…阪神入団60年・安藤統男の球界見聞録<10>

スポーツ報知
現役時代の王貞治氏(左)と長嶋茂雄氏(1965年撮影)

 史上最強のコンビと言えばON砲ですが、2人はグラウンド外でも最高の人間です。王さんも長嶋さんも「野球人はこうありたい」と思える人です。

 打順の並びに従って、まず王貞治さんから。私の方が1歳年上ということもあって、王さんは私のことを立ててくれ、いつも「安藤さん」と呼んでくれます。人柄のよさが出ています。

 王さんとは高校時代、同じ大会に出ています。1957年の夏の甲子園大会。早実の2年生左腕は2回戦の寝屋川戦でノーヒットノーランを達成しました。“世界の王”はこの時からすでに光っていたのです。ちなみに初出場の土浦一高はその翌日、1安打しか打てず岐阜商に敗れました。でも、少しだけ自慢話をさせてください。大会中、当時の報知新聞に載った記事を抜粋します。「一級品の遊撃手」「カモシカを思わせるような軽快なフットワークと鋭い打球」。私のことです。自慢話です(笑い)。

 プロ入り後の王選手のバッティングについては、ここで語るまでもありません。ただ、私には“世界の王”の打球を実体験したことがあります。ある試合で一、二塁間に飛んだ王さんの強いゴロに追いついて一塁に投げようとしたら、グラブにボールが入っていない! よく見ると、グラブのひもが切られて、ボールが足元に転がっていました。「グラブのひもを切られた打球」。後にも先にもこんな経験はありません。

 ユニホームを脱いでからは、ライバル球団の垣根を越えてよく話をするようになりました。今でも覚えているのは2012年、巨人・阪神OB戦(甲子園)で会った時です。胆のう摘出手術をした私のお腹を触りながら「大変だったでしょう。大丈夫ですか?」。誰に聞いたのか、私が胆のうを取ったことを知っていてビックリしました。王さんも胃を全摘出して15年。コロナ禍の中、取材人数の制限もあって球場で会えませんが、テレビで元気な姿を拝見して安心しています。

 長嶋茂雄さん。1970年、私が3割前後を打って首位打者を争っていた時には「3割を打てるチャンスはそう何度も来ないぞ。打てる時に打っておけよ」と激励してくれました。そう言えば、長嶋さんも私には「安藤さん」です。私がヤクルトのコーチをしていた時も「安藤さんには、うちのボウズ(一茂)がお世話になって…」とあいさつされました。ミスターの方が4学年も上なのに。

 前回、川上監督の推薦でオールスター戦(70年)に出たと書きましたが、試合前に内野でシートノックを受けた時には震えるほど感激しました。三塁のNから送られた球を私が捕って、一塁手のOに送球するのですから。そんな私がONから「安藤さん」と呼ばれるなんて恐れ多くて…。

 話はそれますが、その球宴。第3戦で3打数2安打1四球1打点1盗塁の活躍をして「報知打撃賞」をもらいました。あの頃から報知とは縁があったのですね(笑い)。

 さて、次回も巨人の選手の思い出を書きます。私にプロの厳しさを教えてくれた人と、私の腰を抜かせた選手です。誰かって? それは次回のお楽しみです。(スポーツ報知評論家)

 ◆安藤 統男(本名は統夫)(あんどう・もとお)1939年4月8日、兵庫県西宮市生まれ。82歳。父・俊造さんの実家がある茨城県土浦市で学生時代を送り、土浦一高3年夏には甲子園大会出場。慶大では1年春からレギュラー、4年時には主将を務めた。62年に阪神に入団。俊足、巧打の頭脳的プレーヤーとして活躍。70年にはセ・リーグ打率2位の好成績を残しベストナインに輝いた。73年に主将を務めたのを最後に現役を引退。翌年から守備、走塁コーチ、2軍監督などを歴任した後、82年から3年間、1軍監督を務めた。2年間評論家生活の後、87年から3年間はヤクルト・関根潤三監督の元で作戦コーチを務めた。その後、現在に至るまでスポーツ報知評論家。

 ※毎月1・15日正午に更新。次回は6月1日正午配信予定。「安藤統男の球界見聞録」で検索。

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