夏季五輪日本女子最年少出場・中川ゆかりさん、玉井陸斗にエール「結果は気にせず最高のパフォーマンスを」

エールを送った中川ゆかりさん
エールを送った中川ゆかりさん
6回目の演技後に笑顔を見せる玉井(右は馬淵コーチ)
6回目の演技後に笑顔を見せる玉井(右は馬淵コーチ)

◆W杯東京大会兼 東京五輪最終予選 飛び込み 第3日(3日・東京アクアティクスセンター)

 男子高飛び込みでは中学3年の玉井陸斗(14)=JSS宝塚=が予選を405・20点の15位で突破し、18位以内に与えられる東京五輪代表権を獲得した。19位タイで迎えた最終試技でこの日最高の91・80点をマークし圏内に食い込んだ。準決勝は421・30点の9位で4日の決勝に進出。スーパー中学生に、夏季五輪の日本女子最年少出場記録を持つ競泳の中川(旧姓・竹本)ゆかりさん(66)がエールを送った。

 中川さんは快活に話し、あけすけに笑う女性だった。しかし、メキシコの記憶を聞くと口は重くなった。

 「五輪は嫌いなんですよ、私…フフフ。思い出? もう全然…忘れたいですから」

 広島の港町で水泳を始め、小学6年の3学期に大阪の名門・山田スイミングクラブにスカウト。中学1年で関西選手権の200メートル平泳ぎで優勝すると、夏の五輪選考会でも100、200平とも2位に食い込み、五輪代表に抜てきされた。

 「やる気は満々だったけど、騒がれるほど、周りとはうまくいかなくなりますよね」

 「最年少」の肩書が注目度を高めた。不運だったのは、周囲も五輪を初めて経験する人間ばかりだったこと。都会に染まっていない少女には、マスコミ対応を教えてくれる指導者も、集団での立ち居振る舞いを相談できる先輩もいなかった。

 「私が生意気、みたいな感じに変わっていって。疎外感があった。大いに傷つきました」

 メキシコでは反骨心を頼りに泳いだが、帰国後に判明する虫垂炎が原因で下痢が続くなど万全ではなかった。100、200平とも予選落ちに終わった。

 「覚えてろよっていうパワーはありました。でも、力は出し切れませんでしたね」

 五輪後は「広島に帰る」と申し出るほど思い詰めていたが、競技にとどまった。72年ミュンヘン五輪にも出場。19歳まで現役を続けた。

 「メキシコでは孤独でした。短い時間で全速力で年を重ねました。やっと消化できるようになりましたね。そのときの自分を抱きしめてあげたい。大丈夫よ、って言ってあげたいですね」

 東京五輪には玉井を含め、多くの若い芽が挑むが「13歳6か月」は、いまだ金字塔として残る。

 「若い選手には、結果は気にせず最高のパフォーマンスをしてほしいと伝えたいです。五輪は見ますけど、すごく疲れるんです。予選や準決勝で負けた選手ばかり気になるからですね…」(取材・構成=太田 倫)

 ◆中川(旧姓・竹本) ゆかり(なかがわ・ゆかり)1955年4月27日、広島・安芸郡生まれ。66歳。4人姉妹の末っ子だったが、競泳選手だった父の影響で全員が水泳に親しむ。小学4年で本格的に水泳を始めた。得意種目は平泳ぎ、個人メドレー。メキシコ市、ミュンヘンと2大会連続で五輪に出場し、74年に引退。現在は故郷の広島・坂町で町議会の副議長を務めている。

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