「こんにちは!」で変わった日ー将棋・鈴木環那女流三段インタビュー(中)

スポーツ報知

 将棋の鈴木環那女流三段(33)は今、小さな奇跡を起こしている。15歳当時の2002年にプロ入りして以降、ずっと指し分け(勝率5割)前後の成績が続いたが、30歳を迎えた17年度に勝率7割を記録。昨年度は初めて年度20勝を超えた。力ある者は必ずと言っていいほどデビュー直後から結果を残し始める世界で、なぜ自分を変え、上を向けるようになったのか。順位3位で迎える第48期女流名人リーグの初戦を前に現在の思い、過去の歩みを聞いた。(取材・北野 新太、カメラ・矢口 亨)

 小学3年の3学期まで鈴木は将棋を指していなかった。むしろ将棋という盤上競技が存在することすら知らなかった。

 「将棋好きの父に突然『女流棋士になってくれないか』と言われたんです。もともと完全に『自分』がない子で、習い事は書道と水泳、ピアノから通信教育までたくさんやっていましたけど、全部友だちがやってたから。どれも、いつ辞めてもよかったんです。だから、大好きな父に言われて初めて明確な目標ができて近所の公民館に通うなりました。最初は義務ですから、ちっとも楽しくなかったんですけど、勝つと父は喜んでくれました。いつもは全く笑わない父が笑ってくれることが私にとっての目標だったんです」

 ルールを覚えて半年で女流棋士養成機関「研修会」に入会した。周囲は経験を積んだ子供たちばかり。負け続けた。

 「千葉の富津から千駄ヶ谷の将棋会館まで往復4時間くらいかけて通うんです。朝は5時には家を出て、母と一緒に待合室もない寒~いホームで電車を待って」

 入会して数か月後にようやく勝てた。初めてうれしい気持ちになれた日、大切な出会いがあった。

 「将棋会館の上階から降りて、1階の販売部の前でお着物姿のおじいさまがいて。『こんにちは!』って挨拶をしてすれ違ったら『ちょっとちょっと、キミキミ』って呼び止められたんです。『なかなか、しっかりした挨拶のできる子だねえ』って」

 10歳の少女には、母親に与えられた2つの鉄則があった。「将棋会館で出会う人全員に必ず挨拶をしなさい」と「靴を脱ぐ時は全員分の靴を必ず並べ直しなさい」。約束を守ったことで生まれた縁により、老紳士から名刺を渡された。と金マークの隣にあったのは「九段 原田泰夫」。高潔な人格者ゆえ30代で日本将棋連盟会長の職に就いた人物であり、48歳の時に順位戦A級への返り咲きを果たした大棋士だった。

 「帰宅して父に見せたら跳び上がって言われました。『すぐに御礼の手紙を送りなさい! 弟子にして下さい、と書いて』って」

 週末の行き先は将棋会館だけではなくなった。原田邸で直接指導を受ける最初で最後の弟子になった。1日に先後3局ずつ、計300局に及ぶ時間になった。

 「師匠はずっと正座で午後1時から7時くらい教えて頂きました。私は研修会で負けてばかりだったのですが、ずっと『もっと勝ってもいいはずだよねえ』『苦労しているから大丈夫だよ』と励ましていただいて…。自分が正統派の居飛車党になりたいと思ったのは、師匠のようになりたかったから。それだけなんです」

 「桂の高跳び歩の餌食」「玉の早逃げ8手の得」などの格言の多くを創った原田九段は言葉の人だった。男性に声を掛ける時は「巨匠は」と言い、女性には「天女は」と呼び掛けるユーモアは今も知られている。

 「私はなんと『美少女は』だったんです…。プクプクしてるし、ホントに全くもって全然美少女じゃなかったんですけど(笑)」

 なかなか芽が出ずに退会も考えていたが、14歳で女流棋士の切符を得た。父親と同じくらい喜んでくれた恩人は2年後、世を去った。

 「まだまだたくさんのことを教えていただきたかったですけど、本当に神様のような師匠と出会えたことを感謝しています。今も師匠と一緒に歩いている気持ちなんです。だから今も見てくれていると思います。ずっと」

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