大谷翔平は“7ツールプレーヤー” 米球界は二刀流の育ての親、栗山監督や日本ハムに感謝すべきだろう

日本ハム時代、栗山監督(左)と打撃練習後に話しをする大谷
日本ハム時代、栗山監督(左)と打撃練習後に話しをする大谷
大谷・開幕からの投打成績
大谷・開幕からの投打成績
米大リーグでDH解除し先発した投手(DH制導入1973年以降)
米大リーグでDH解除し先発した投手(DH制導入1973年以降)

◆メジャーリーグ レンジャーズ4―9エンゼルス(26日・アーリントン=グローブライフ・フィールド)

 エンゼルスの大谷翔平投手が26日のレンジャーズ戦、自身3年ぶりの勝利投手に2点二塁打をマークした。DH解除の試合で先発投手が勝利投手&打点を挙げたのは2009年レイズのアディソン・ソナンスタインに次いで史上2人目。また、シーズン2度のDH解除は1976年ケン・ブレット(ホワイトソックス)に次いで2人目。この記録も今後、大谷が破天荒な記録を残していくはずだ。

 メジャー関係者は日本ハム、そして栗山監督に感謝しなくてはいけない。メジャーリーグは、打撃の良い投手が入団しても、マイナーでは原則投手として教育する。投手、野手として二刀流起用する場合も、救援投手ばかり。もし大谷が本来の希望通り、花巻東から即渡米していたら、効率を重視するメジャーリーグだけに、投手か野手かどちらかの型にはめられたのではなかろうか。

 その点、柔軟な考え方で二刀流を推進した日本ハム関係者には頭が下がる。そして、それをやり付けた大谷の破天荒な能力もさすがと言える。日本プロ野球の育成のすごさを、改めて印象づけたといっていい。

 さて、メジャーの二刀流の系譜をひもとこう。ベンチ入りが12人前後だった19世紀のメジャーでは、登板しない日に野手で登場する投手は少なくなかった。1886年にはアメリカン・アソシエーションのガイ・ヘッカー(ルイビル)が26勝23敗で打率3割4分1厘を残し、メジャー史上唯一、投手として首位打者に輝いた。

 しかし、20世紀に入りベンチ入り人数が年を追うごとに増え1914年以降25人になると、二刀流は激減。その中で、第1次世界大戦への出兵で選手が枯渇した1918年、レッドソックスのベーブ・ルースが投手で13勝7敗をマークした一方で、一塁や外野でも出場し、投手兼任ながら11発で本塁打王に輝いた。ただ、打者としての出場が増えた翌年は、当時のメジャー新記録となる29発を放つも、投手としての出番は減って9勝5敗。ヤンキースに移ってからは、ほぼ野手に専念した。

 1931年、インディアンスのウェス・フェレル投手が年間22勝を挙げ、登板中にはメジャー最多記録となる9本塁打をマーク。通算37発も投手の最多記録だ(他に代打で1本)。通算打率も2割8分だったが、代打で162試合に出場も外野手としては13試合の出場に終わった。近年のメジャーで傑出した強打の投手としては、2001年のマイク・ハンプトン(ロッキーズ)が14勝&7発。06年のカルロス・ザンブラーノ(カブス)の最多勝となる16勝&6発があるぐらいだ。

 1973年のア・リーグDH制導入以降、投手登録でDHを務めたのは88年、ヤンキースのリック・ローデンただ一人(3打席無安打1犠飛で打点1)しかいなかった。それも大谷が一気に塗り替えた。

 メジャーでは野手に関して、ミート力、長打力、走力、守備力、送球力の5つの要素を持つ選手を5ツールプレーヤーというが、守備力はともかくマウンドでも結果を残す大谷は速球、スプリットの威力なども含めた投手としての能力も備え“7ツールプレーヤー”とも言えるのではないだろうか。

蛭間 豊章(ベースボール・アナリスト)

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日本ハム時代、栗山監督(左)と打撃練習後に話しをする大谷
大谷・開幕からの投打成績
米大リーグでDH解除し先発した投手(DH制導入1973年以降)
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