初代タイガーマスクの長男・佐山聖斗さんが虎を語る…「佐山道場」平沼ヤマトは修斗でプロデビュー

「佐山道場」の初代タイガーマスク壁画をバックにポーズを決める平沼ヤマト(左)と佐山聖斗さん
「佐山道場」の初代タイガーマスク壁画をバックにポーズを決める平沼ヤマト(左)と佐山聖斗さん

 初代タイガーマスク(佐山サトル、63)が23日、デビュー40周年を迎えた。1981年4月23日に旧蔵前国技館でダイナマイト・キッドを相手にデビューして40年。22日には東京・後楽園ホールで「ストロングスタイルプロレス」で40周年記念セレモニーが行われた。5月16日には、総合格闘技「佐山道場」から平沼ヤマト(23)が「修斗(SHOOTO)」後楽園ホール大会でプロデビューすることが決まった。道場の代理人兼広報を務める佐山の長男・聖斗さん(30)に父・タイガーマスクと道場について聞いた。

 長男の聖斗さんが生まれたのは90年。初代タイガーマスクが新日本プロレスを退団したのが83年8月で、旧UWF時代(84~85年)のザ・タイガーもスーパータイガーも知らない。97年にはプロレス転向した元柔道世界王者の小川直也のコーチとして参加した新日本(4月12日・東京ドーム)でタイガーキングとして、師匠・アントニオ猪木と夢の対決を行っているが、これも聖斗さんの知らない世界だった。

 「小川直也さんが車に乗って家(うち)に来たことは覚えてるんですけど、でかいなーって」。小学生時代に母からビデオテープを見せてもらって、父の“正体”を知った。「子供心にはダイナマイト・キッド戦より、ブラックタイガー戦が面白かったですね」。生で観戦したのは、2005年にリアルジャパンプロレスを旗揚げしてからのことだった。

 プロレスに興味を持つことはなく、父譲りの運動神経はバスケットボールに生かされ、東海大4年時に日本一を経験。神奈川県大会の最優秀選手に選ばれた。広告代理店に勤めながら3×3の江東フェニックスの選手をしていた聖斗さんが、初めて父の仕事に携わったのが、昨年2月の「佐山道場」設立だった。「代理人兼広報兼選手です。いや選手なんて言ったら怒られますね。まだ修行の身です」。父とは子供の頃から敬語で接しており、生まれながらの師弟関係だ。

 自分が前面に出るのを嫌がる聖斗さんは、広報として“虎の穴”の門下生を紹介した。第1号の中原太陽(38)は昨年大みそかの総合格闘技「RIZIN」に出場(TKO負け)。その翌日の元日に入門したのが平沼ヤマトだ。中大柔道部3年時の全日本学生体重別選手権で東京五輪代表の阿部一二三(23)と引き分けた実績があり、5月16日の「修斗」後楽園ホール大会でデビューする(村山大介戦)。中原はプロ実績を持って入門しており、平沼が佐山道場初のプロデビュー選手となる。

 「修斗」は、佐山が84年にオープンしたタイガージムを発展させて89年に設立した。94年にグレイシー柔術のヒクソン・グレイシーを初来日させ「バーリ・トゥード・ジャパン・オープン」を開催。総合格闘技ブームに火をつけた。聖斗さんの名前もこの斗(たたかい)にちなんでいる。96年に佐山の手を離れたが、25年を経て佐山道場が外敵として修斗に弟子を送り込む形となる。「格闘技の歴史を知っている人からすれば、すごいことですよね」と聖斗さん。40年前のタイガーマスク登場が失敗していたら、この歴史はない。

 蔵前国技館もなくなり、ダイナマイト・キッドももういない。だが、初代タイガーマスクの遺伝子はあらゆる形で受け継がれていく。(酒井 隆之)

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