「ベイ・シティ・ローラーズ」レスリー・マッコーエンさん死去…元芸能デスクが悼む

ベイシティローラーズ(前列右がレスリー・マッコーエンさん)
ベイシティローラーズ(前列右がレスリー・マッコーエンさん)

 「サタデー・ナイト」などのヒット曲で知られる1970年代に世界で人気を集めた英国のバンド「ベイ・シティ・ローラーズ」でボーカルを務めたレスリー・マッコーエンさんが20日、死去した。65歳だった。家族が22日「自宅で急死した」と本人のツイッターで公表した。洋楽通のスポーツ報知元芸能デスクがレスリーさんの足跡を振り返り悼んだ。

  音楽ファン向けの雑誌「ミュージックライフ」が、わざわざベイ・シティ・ローラーズ(BCR)に特化した姉妹誌「ロックショウ」を創刊したのが1977年。この頃が、日本におけるBCRの人気の絶頂期だった。

 アランとデレクのロングミュアー兄弟を中心に60年代半ばに結成された「サクソンズ」が前身。スマッシュヒットはあったものの、爆発的な人気を得るのは、ボーカルがノビー・クラークからレスリーに代わって以降―というのは、ファンの間では常識。甘く、鼻にかかるような声。そして、時折見せるはにかんだような笑顔に、女性ファンは一気に魅了された。

 このレスリーの存在に加え、故郷・スコットランドの伝統生地・タータンチェックをあしらったコスチュームがBCRの代名詞となって、人気は世界中に波及。それは「タータン・ハリケーン」と喧伝(けんでん)された記憶がある。

 田舎の小学生だった私が、レスリーの存在を知ったのは4年生(76年)の頃。友達の家に遊びに行った時、彼の中学生の姉が聞いていた「イエスタデイズ・ヒーロー」でBCRを知り、同時に、ポスターの真ん中に写っているムチャクチャ格好良い外国人のお兄さんに目を奪われた。

 「これがエリック、こっちがウッディ。真ん中が『レス』よ」

 そう。当時は「レスリー」ではなく、ファンは「レス」と呼んでいたのだ。お姉さんにそう教えてもらい、それからはレコード購入はもちろん、前記の「ロックショウ」や「セブンティーン」誌の「別冊・BCR特集」などを母にせがみ、読みあさった。レスリーは、男子の私にとっても最初のアイドル。小学校高学年の頃の私の写真は、レスと同じように親指を立てるポーズをしているものばかりだった。

 BCRの人気は70年代の終焉(しゅうえん)と同時に急降下するが、決定打となったのは、唯一無二のフロントマン・レスリーの脱退だったと言える。この頃からロックバンドでベースを弾き始めた私の興味もBCRから離れ、「レインボー」や「バッドカンパニー」に変わっていった。

 その後、BCRは何度も再結成し、来日もしていたが、これにはちょっと苦笑いだったが…。

 レスリー65歳での急逝。青春のアイドルの訃報に接して、改めて、青春に捧げるメロディーをしみじみと聴いた。(編集局次長・名取 広紀)

コラムでHo!とは?
 スポーツ報知のwebサイト限定コラムです。最前線で取材する記者が、紙面では書き切れなかった裏話や、今話題となっている旬な出来事を深く掘り下げてお届けします。皆さんを「ほーっ!」とうならせるようなコラムを目指して日々配信しますので、どうぞお楽しみください。

芸能

宝塚歌劇特集
NEWS読売・報知 モバイルGIANTS 個人向け写真販売 ボーイズリーグ写真 法人向け紙面・写真使用申請