73歳誕生日にパの勝利投手3人が全員教え子…専大松戸・持丸監督、奇跡を生んだ縁と勇気

専大松戸・持丸修一監督
専大松戸・持丸修一監督

 その声は弾んでいた。

 「夢みたいだね。まさかこんな誕生日のプレゼントをいただけるとはね」

 4月17日の夜。私は専大松戸の持丸修一監督に電話をかけた。この日パ・リーグの勝利投手3人はすべて持丸監督の教え子になったからだ。ロッテの美馬は藤代(茨城)時代に薫陶を受け、日本ハム・上沢とソフトバンク・高橋礼は専大松戸で指導を受けた。

 さらに驚くべきことに、この「4・17」は、指揮官の73歳の誕生日なのだ。

 自身のバースデーに教え子3人が同一リーグの各試合に先発して、しかも勝つ-。

 高校野球の監督は全国津々浦々に多数いるが、このような奇跡が現実となる確率は天文学的と言っていいだろう。大阪桐蔭や横浜、PL学園といった多くのプロ選手を輩出している高校の監督ではないのだから、なおさらだ。

 「ビックリしています。3人とも頑張ってくれて、こんなにうれしいことはないですよ。野球に限らないよ。甲子園に出るとか出ないとか関係なく、卒業生がいろんなところで頑張ってくれているのが、一番うれしいんだ」

 私は持丸監督が専大松戸の監督に就任後、初練習に密着取材した時のことを思い出した。取材ノートをひもとくと2007年12月7日とある。駆け付けた記者は私一人だった。

 夕闇に組まれた円陣の中心で、甲子園出場のない同校の部員41名に、指揮官はこう訴えた。

 「甲子園は手を伸ばせば届くところにある。本気で目指していこう」

 「せっかく野球をやるんだ。プロ野球選手になることを目標に頑張ろう」

 正直に書く。私は談話をメモしながら、「いきなり高望みをブチ上げたなあ」と思ったものだ。しかしコツコツと指導を積み重ねた結果、15年夏には異なる4校(竜ケ崎一、藤代、常総学院、専大松戸)での甲子園出場を成し遂げ、前述のプロ野球選手を育成した。新天地での奮闘には改めて頭が下がる思いだ。

 同時に、奇跡を生む土台を作った「縁」に思いを致す。

 実は専大松戸監督に就任する直前、常総学院の監督を退任したばかりの持丸さんは、母校・竜ケ崎一の監督復帰が有力視されていた。

 これを“剛腕”でひっくり返したのが、当時の専大GMだった江崎久さんだ。

 江崎さんは1966年に専大職員として採用されて以来、就職部や体育事務部などで“縁の下の力持ち”として学生の面倒を見続けてきた。準硬式の監督としては日本一にも輝き、04年に専大硬式野球部のGMに就任。松本哲也(元巨人)や長谷川勇也(ソフトバンク)を発掘したことでも知られる。

 持丸さんは国学院大の野球部だったが、5歳年上の江崎さんはその人柄にほれ込み、学生時代から長年にわたって親交を深めてきた。

 07年秋、付属校となる専大松戸の野球部強化の起爆剤として、持丸監督の招聘を決断。熱意とともに口説き落とした。当時の持丸さんは茨城県内で確固たる地位を築きあげており、そのまま母校の指揮官に就任すれば悠々自適の日々だったことだろう。

 しかし勇気を持って、勝手の違う他県での新たな挑戦を決めた。

 「江崎先輩からの頼みだもん。断れなかったよ」

 当時、笑顔で語っていたことを思い出す。

 奇跡の日から一夜明け、江崎さんにも電話をかけてみた。

 「報知、読んだよ。いい記事書いたねえ!」

 うれしいことを言ってくれた後、持丸さんに奇跡をもたらしたパの3投手について、こう漏らすのだった。

 「3人とも『ぜひ専修大学に』って俺も獲りに行ったピッチャーなんだよ。美馬は中央に、上沢はプロに行きたいって断られちゃって、高橋だけが来てくれたんだ。それにしても持丸、本当に良かったなあ。あの時、専大松戸に呼んで正解だったよ」

 ペナントレースには時折、不思議な出来事が起こる。背景には人と人との縁や熱意、流した汗がある。いくつになっても挑戦し続ける者にだけ、奇跡の瞬間は訪れる。(デジタル編集デスク・加藤弘士)

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