落語家・林家たい平からもらったもの 私が新人記者になった理由

林家たい平
林家たい平

 4月。「好きな言葉は縁です」と面接で訴えていた日々から1年が過ぎた。失敗の日々が続く。ただ、名刺入れは少し誇らしげにくたびれている気がする。記者は多くの人に出会い、縁を紡ぐ仕事だ。欠かせないのは名刺。愛用の名刺入れは相棒であり、私にとって「縁」そのものなのだ。

 2月10日。会社の玄関で、私はある縁を心待ちにしていた。現れたのは落語家の林家たい平。目が合って、用意していた世間話は消えた。東日本大震災10年のインタビュー。自分で呼んだのに「本当に来たんだ」と思う不思議な感覚だった。

 2018年春、宮城県石巻市の石巻グランドホテル。座布団の上にたい平はいた。震災後、定期的に行っている石巻での落語会はこの日も満員御礼。いつもと違うのは、テレビ番組の収録を兼ねていたことだ。東京の学生4人が東北を旅し、講師役のたい平と東北の未来を考え、東京のお客さんの前で発表する。復興支援番組の収録で、4人の中に私もいた。

 印象に残っていることがある。石巻のガーデンで収録後、バスを見送りに来たスタッフに車内から手を振っていた私たちに、たい平は言った。「窓を開けてごらん。そして、相手が見えなくなるまで手を振るんだ。そういうこっちにとってはささいなことが、受け取る方にとっては違うかもしれないからね」。ささいではあるが、大切な人との「縁」の結び方。その言葉は私の胸に刻まれた。

 2か月ほど月をまたいだ収録の最後、東京での発表。私が『自分が見た東北』の話をすると、観客は涙してくれた。客席のたい平も涙を流していた。別れ際、たい平から手書きの卒業証書をもらい、握手をした。「またご飯でもいこう」。社交辞令のようだが、不思議と約束した気持ちになった。予感は当たり、たい平は何度か私たちを食事に連れて行ってくれ、就職の内定祝いまでしてくれた。一流の落語家が、なぜ学生を相手に? 理由を聞くと「縁だから」だという。

 会社でインタビューが終わった。開口一番、たい平は「大丈夫かな。聞きたいこと話せたかな」と言った。話すことを生業(なりわい)としている噺家が、新人記者に見せた気づかい。またひとつ、たい平に「縁」の作法を学んだ。

 だから、私も真っ直ぐに思いを伝えようと思った。「3年前のあの番組で、自分が見たものを自分の言葉で伝えれば、人の心を動かせることを知りました。何より、たい平さんに出会えたから記者になったんだと思います」。石巻を訪れた大学3年生の私。部屋には手書きの卒業証書が飾ってある。

 たい平は帰り支度をしながら「不思議だよね。東北で結んだ縁がこうやって続いていくって」と少し笑った。そして、「夢のような空間でした」と続けた。心をつかむ握力がすさまじい。私の言葉なんか、まだまだだ。

 自動ドアを出て行く背中を見えなくなるまで見送った。名刺を渡すの忘れた。でも、今日はいい。追いかけない。紙を渡さなくても、ポケットには決してなくさない縁の証があるから。1年前、たい平さんからもらった名刺入れがひとつ。(記者コラム・瀬戸 花音=敬称略)

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