慶大の先輩・藤田元司さんが見せた“もう1つの顔”…阪神入団60年・安藤統男の球界見聞録<8>

巨人監督時代の藤田元司さん
巨人監督時代の藤田元司さん

 藤田元司さん。慶大の大先輩です。阪神と巨人はライバル球団でしたが、私が野球界で生きて来られたのは藤田先輩がいたから。“恩人”です。

 初めてお会いしたのは大学4年生の時。念のために書いておきますが、実は私、大学時代はプロ球界から注目される選手だったのです(笑い)。ところが、4年生の春に右肩を痛めまして。一時は10メートルのキャッチボールも出来ない状態で、プロ入りをあきらめかけたこともありました。

 大学の前田祐吉監督に相談したら、当時巨人のエースだった藤田先輩を紹介してくれました。その頃、藤田さんも肩を痛めておられ、下北沢の藤田さんの自宅で2人でトレーナーの“治療”を受け、野球部の門限までに帰る生活を週に2、3回、1か月ほど続けました。その間、夕食はほとんど藤田邸でごちそうになりました。「通った」というより「居候」ですね(笑い)。

 私は阪神、巨人、東映(現日本ハム)から熱心に誘われていましたが、あまのじゃくでしたから「プロに行くなら、巨人を倒せる球団に」と思っていました。そんな思いを知ってか知らずか、藤田さんは私の進路に関して何も聞くことはありませんでした。恩を売るようなことは一切しない、器の大きな人でした。

 翌年の1962年、私は阪神に入団。藤田投手とも対戦したのですが…。記録によると、私の巨人戦デビューは7月29日、甲子園でのダブルヘッダー第1試合。ショート・1番でスタメン出場しています。相手投手は藤田さんなのですが、実は全く覚えていません。藤田さんとはその試合を含めて8打数2安打の対戦成績も残っているのに、記憶が全て飛んでいるのです。なぜなのか、原因が分かりません。藤田先輩、このことを知ったら天国で激怒するでしょう(笑い)。

 ただ、監督同士で戦った試合のことはよく覚えています。82年8月14日(後楽園)。同点の9回、1死満塁から2ランスクイズで決勝点を取りました。狙っていたプレーで、今でも忘れられないシーンです。後日、藤田さんと顔を合わせた時に「安藤、そんなにいじめるなよ」と笑いながら言われました。初めて先輩に認められた気がしました。

 藤田さんと言えば「球界の紳士」と呼ばれていますが、若い頃は「バンカラ」だったようです。数多くの逸話も残っています。そう言えば、監督時代は「瞬間湯沸かし器」というあだ名もありましたね。

 そんな藤田さんの“もう1つの顔”を見たことがあります。藤田さんが運転する車で都内を走っていた時、若者2、3人が停車中の藤田さんの車を蹴りました。藤田さん、1、2度目は黙っていましたが、3度目でキレました。私を車に残して、その連中と“話し合い”。結果は…。すぐに相手が頭を下げているのが見えました。「うわさは大げさではなかった」。先輩が頼もしく見えたものです。

 藤田さんについてはまだ書き足りないことがありますが、それはまた別の機会にして、今回はここまで。次回は野球人の誰もが目標にする川上哲治さんとの思い出を―。(スポーツ報知評論家)

 ◆安藤 統男(本名は統夫)(あんどう・もとお)1939年4月8日、兵庫県西宮市生まれ。81歳。父・俊造さんの実家がある茨城県土浦市で学生時代を送り、土浦一高3年夏には甲子園大会出場。慶大では1年春からレギュラー、4年時には主将を務めた。62年に阪神に入団。俊足、巧打の頭脳的プレーヤーとして活躍。70年にはセ・リーグ打率2位の好成績を残しベストナインに輝いた。73年に主将を務めたのを最後に現役を引退。翌年から守備、走塁コーチ、2軍監督などを歴任した後、82年から3年間、1軍監督を務めた。2年間評論家生活の後、87年から3年間はヤクルト・関根潤三監督の元で作戦コーチを務めた。その後、現在に至るまでスポーツ報知評論家。

 ※毎月1・15日正午に更新。次回は5月1日正午配信予定。「安藤統男の球界見聞録」で検索。

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