萩野公介が試練乗り越え200個メで五輪切符「今の自分にしか見せられない泳ぎを」

五輪代表に内定した萩野公介
五輪代表に内定した萩野公介

◆競泳 日本選手権兼東京五輪代表選考会・第6日(8日、東京アクアティクスセンター)

 男子200メートル個人メドレーはリオ五輪銀メダリストの萩野公介(26)=ブリヂストン=が1分57秒43(派遣標準1分57秒98)で瀬戸大也に0秒02差の2位。800メートルリレーに次ぎ、個人としても五輪代表に内定した。「素直にまず、五輪代表権利を獲得できてすごくうれしい。久しぶりに大也と泳いで楽しかった」と笑顔。400メートル個人メドレーを回避して勝負をかけた種目で、五輪本番に向かう。

 試練を乗り越えた。5年前に世界の頂点を極めた天才は、リオ五輪後の右肘手術をきっかけとして、低迷期に入った。豊富な練習量で精緻に作り上げてきたフォームに少しずつズレが生じた。「防衛本能で肘を守ろうとして」どうしても手先が力む。「『水さん、俺の主張を聞いてくれ』と力任せに泳ぐみたいになって…」。“北風と太陽”の北風のように強引に制御しようとすると、不思議と水も力をくれない。「水と仲良くする」感覚を戻せず、レースになると別人のようにぎごちない泳ぎになった。「泳ぐ前に怖くなる」。追い詰められた。

 19年3月。約5か月試合に出ず休養する道を選んだ。内面をはき出すと、平井伯昌コーチは「俺はいつまでも待つから」と受け止めてくれた。中学時代から世界を旅することが夢。ドイツ、ギリシャを回った。第1回の五輪が行われたアテネの競技場にも足を運んだ。地元の人たちともふれあった。「おなかがすいた」とねだって、早くお店を開けてもらう。水泳のために全てを捧げてきた男。宇多田ヒカルではないが「人間活動」が必要だった。

 復帰してからも、劇的にタイムが向上したわけではない。少しずつ、少しずつ、今の萩野公介の泳ぎを作り上げてきた。不振の頃の心の動きを改めて振り返る。「今思えば、世間体とか、こうでなくちゃいけない、と水泳とは関係ないところでものすごく考えていた。何か背負っている、自分とは離れたものが自分にくっついている、みたいなイメージだった」という。金メダリストという肩書きが、伸びやかな泳ぎを縛っていた。

 「いろいろな要因に慣れることに結構時間がかかった。今はやっと、苦労してきたり、うまくいかなかったり、休んだこともいいことも、いろいろなことが体の一部であり血肉になって、スタート台に立つイメージがある。今の方がナチュラルなのかな」

 若さと勢いがあった12年ロンドン、絶頂期で迎えたリオ。「これまでの五輪は一世一代の勝負だと思って臨んでいた。3回目の五輪では、今の自分にしか見せられない泳ぎを見せたい」。3度目の五輪では、経験という相棒がいる。

 ◆リオ五輪からの萩野

 ▼16年7月 リオでは400メートル個人メドレーの金を含め、3つのメダルを獲得。

 ▼9月 右ひじを手術。

 ▼17年1月 ブリヂストンと22年3月までの5年契約を結ぶ。

 ▼7月 ブダペストでの世界水泳に出場。個人メドレーは200で銀、400で6位。800メートルリレーでは第1泳者を務めたが6位と出遅れレース後に号泣。

 ▼18年1月 年末年始に体調を崩して入院。

 ▼同8月 パンパシフィック選手権で200個メ銅、400個メ銀。ジャカルタ・アジア大会でも金メダルなしに終わる。

 ▼19年2月 コナミオープンの400個メ予選で4分23秒66。自らの日本記録から17秒61も遅れ、決勝を棄権した。大会後のスペイン合宿参加を回避。

 ▼3月 不振のため、無期限休養を発表。4月の日本選手権は棄権。

 ▼6月 都内で会見し、復帰を明言。約4か月ぶりに公の場に現れ「泳ぎたい欲求を感じた」。

 ▼8月 W杯東京大会で復帰。

 ▼20年2月 コナミオープンの男子400個メ決勝で4分20秒42の4位。「泳ぐ前に怖くなってしまった」と告白。

 ▼3月 東京五輪の1年延期が決定。

 ▼8月 東京都特別水泳で約半年ぶりに実戦。

 ▼10~11月 国際リーグ(ISL、ブダペスト)に参戦。400個メで5戦5勝。

 ▼12月 日本選手権で個人メドレー2冠。

 ▼21年2月 ジャパンオープンの400個メで4分16秒38の6位。「遅すぎる」

 ▼3月 日本選手権での400個メ回避が判明。五輪連覇が消える。

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