北澤豪と100万人の仲間たち<8>「地雷や不発弾が埋まった泥地と片脚を失った少年」

スポーツ報知
地雷除去活動や子どもたちの支援など、北澤は20年以上もカンボジアとの関わりを深めている=本人提供=

 元サッカー日本代表、北澤豪氏(52)。波瀾万丈の競技人生を疾走し、現在は世界の子どもたちを支援する環境づくりを目指している。その軌跡とビジョンを、ノンフィクション作家の平山讓氏が独占取材。毎月10日と25日に記事を公開していく。

 カンボジアに新設された小学校を後にした北澤豪は、もう一つの施設を訪問した。「バラの花第4孤児院」と名付けられてはいる、しかしやっと雨風が凌(しの)げる程度のバラック小屋で、50名の子どもたちが生活していた。

 ここでサッカーを教えられたらと思ってはいたが、敷地は小学校の空き地よりもひどい泥地だった。カンボジアの1月は乾季だというのに、いつからあるのかわからない澱(よど)んだ水溜りがいたるところにあった。

 「平らに整地をすればいいだけなのに、と安易に思っていたんです。だけどそんなことをしようものなら、泥に埋まっている地雷や不発弾が爆破して吹き飛ばされてしまう、と現地の人に教えられました。えっ、そんな危険なところで子どもたちとサッカーをしても大丈夫なんですか?と訊くと、昨日は大丈夫だったから、今日も大丈夫だって」

 そして、養護施設の子どもたちに会ってすぐ、彼は一人の少年に目を止めた。裸足なのは他の子どもたちと同じだが、その少年は半ズボンから伸びているはずの右脚が大腿部から失われていた。

 「雨季に土砂とともに流れてきた小型の地雷を踏んでしまい、右脚を失ったというんです。人を殺すのではなく、脚だけを奪って動けなくする残忍な地雷があると説明を受けて、ショックでしたね。自分はサッカーで右膝を痛めて手術をしてリハビリをしていた最中でしたけど、このカンボジアには、地雷で脚そのものを失ってしまう子が、21世紀になった現在でもいるなんて」

 冷戦終結直後の1990年6月に東京でカンボジア和平東京会議が開催されるまで、カンボジアでは20年以上も内戦が続いた。ポル・ポト軍とプノンペン政府軍、その援軍のベトナム軍との激戦では、それぞれを支援した国々で製造された夥(おびただ)しい数の地雷が埋められた。戦車を攻撃する対戦車地雷もあれば、兵士の殺傷を目的とした対人地雷、そして脚を負傷させるのみで戦闘能力弱体化を図る小型地雷もあった。またベトナム戦争時から投下されてきた不発弾も無数に残留したままで、それらが爆発して子どもが被害に遭うことも少なからずあった。

 北澤はこの養護施設でもサッカーボールを手渡し、泥地で試合のようなことをやってもらった。たくさんの村人たちが見物に集まるなかで、養護施設の子どもたちも小学校の児童同様、やはり夢中になってボールを蹴りあった。

 「まるで鬱屈した感情を爆発させるかのように、ひたすら激しいだけの球蹴りが始まりました。汚いヘドロのような水溜まりにボールが転がってしまって。そんな真っ黒になったボール、僕なら蹴りたくないなと思ってしまうんですけど、汚さなんてお構いなし。真っ黒になったボールも、子どもたちが蹴っているうちにいずれまた白くなってきました。脚を蹴られたり、転ばされたりして怪我をして、血を流している子もいました。でも、泥まみれだろうが、血まみれだろうが、彼らはやめようとせずに1時間ほどもプレーし続けているんです。どこで試合を止めればいいか戸惑ってしまったくらい。カンボジアの子の、激しさも、たくましさも、日本の子どもたちにはないものでしたね」

 翌日、ポチェントン国際空港から飛び立ち、彼はカンボジアを後にした。白黒テレビのようなプノンペンの街並みや、黄土色に濁って蛇行しているメコン川が、どんどん小さく遠のいていった。窓からそれらを眺めつつ、まだ現役Jリーガーである彼は、これからキャンプが始まるシーズン前の日本へと向かった。

 「会ったばかりの時の子どもたちの無表情や、それとは対象的なボールを蹴っているときの情熱を思い出していました。あの子たちに、僕は何ができたんだろう。ボールを届けてサンタクロースのようになる以外、何もしてあげられていないじゃないか、と。もう、反省しかなくてね」

 出発前までは右膝の怪我が回復せず、肉体的にも精神的にもどん底の状態だった。だが帰りの機内では、そうした自身の苦悩が小さくなっており、膝ばかりを見つめていたような視野が、大きく広げられているような気がした。

 「視野って、その場でうじうじと考えていても広がるものではないんですよね。例えばあの、地雷で脚を失った少年。あの子を見たとき、どれだけの痛みや、苦しみや、悲しみを、心のなかに隠したり、抑えこんだりしながら、あの国で生きているんだろうかと。僕があの子たちにあげられたのはボールしかないけれど、僕はあの子たちから大きな何かをもらったように感じられました。プロとして上手くやらなければとか、勝たなければとか、それらがままならない怪我のことだとか、そんなことばかりにこだわっていたちっぽけな自分。でもこの世界には、知らなければならないことや、やらなければならないことが、まだまだあるんだなと」

 権力者や大人たちの過ちによって、無惨に傷つけられる、無力な子どもたち。その生々しい現実を彼は目にした。そして初めて、自身の引退後の将来について、朧気(おぼろげ)ながら思いを巡らせることができた。

 「自分がここまでやってきたサッカーで、たくさんの子どもたちを笑顔にできたら…。そんな役割も、きっとやりがいがあるんだろうなと思えたんです。サッカーが嫌いになりかけてしまっていたこのタイミングで、なぜだかわからないけれど、カンボジアに行かせてもらって、サッカーに夢中で純粋なあの子たちに出会えた。不思議だけど、本当に巡りあわせがよかったと、ずいぶん後になってからそう思えました」

 この2001年のカンボジア訪問をきっかけとし、地雷除去活動や世界各地の劣悪な環境に置かれた子どもたちを支援する非政府組織(NGO)「THE FOOT」を、後に北澤は設立する。そして、カンボジアという国とそこに暮らす人々とも、20年以上に渡って深く関わっていくことになる。(敬称略)=続く=

 〇…北澤氏の公式Youtubeチャンネル「KEYCHANNEL」で、初のコラボが実現。元日本代表MF福西崇史さんとのリフティング対決が、9日から配信されている。また、ともに快勝した3月25日の国際親善試合「日本×韓国戦」、同30日のW杯アジア2次予選「日本×モンゴル戦」の総括なども配信中。歯切れのいい解説に注目だ。

 ◆平山讓(ひらやま・ゆずる) 1968年、東京生まれ。作家。ノンフィクションや実話を基にした物語を数多く手がける。主な著書は「ありがとう」(講談社/東映系にて全国ロードショー)、「ファイブ」(幻冬舎/NHKにてドラマ化)、「4アウト」(新潮社)、「パラリンピックからの贈りもの」(PHP研究所)、「中田翔 逃げない心 プロ野球選手という仕事」(主婦と生活社)など多数。

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