尾車親方「剣は私の誇りです」第二の人生で横綱になった弟弟子・琴剣さん悼む

尾車親方
尾車親方
約30年にわたり相撲漫画でスポーツ報知を彩ってきた琴剣さん(本人提供)
約30年にわたり相撲漫画でスポーツ報知を彩ってきた琴剣さん(本人提供)

 スポーツ報知の相撲漫画で長年親しまれ、元力士で日本相撲協会公認の漫画家でもあった琴剣淳弥(本名・宮田登)さんが3月26日に60歳で亡くなった。佐渡ケ嶽部屋の兄弟子でもあった尾車親方(元大関・琴風)=スポーツ報知評論家=が追悼寄稿した。

 いつものように剣(つるぎ)と呼ばせてもらう。

 剣が倒れたのは春場所の8日目(3月21日)。「見舞いに行かなければ」と思っていた。すると奥さん(鈴代さん)から「もう間に合わないかも」との連絡があり、11日目の取組後に病院に向かった。集中治療室(ICU)に入っていた剣は静かな表情だった。私は思わず「おい、場所中だろう。(両国国技館の)売店に顔を出さないとダメじゃないか」と叫んでしまった。私より先に逝くなんて信じられない。本当に悔しい。言葉は悪いが、「バカヤロー」と言いたい。

 剣が佐渡ケ嶽部屋に入門したのは1976年。当時、私は十両だった。葬儀場に飾られた写真の中に、剣の出世披露の様子を撮ったものがあった。私は化粧まわしを見て驚いた。それは私が貿易会社の社長さんから初めて贈られたものだった。ハイビスカスとダイヤモンドヘッドが描かれ、15歳の剣が初々しく写っていた。私と剣の絆はその時から始まっていたのかもしれない。

 私の付け人時代には、いつもスケッチブックを持ち歩いていた。当時、NHKの人気番組だった「連想ゲーム」に出演していた、漫画家の加藤芳郎さんが部屋に食事に来た時、剣の絵を見て「大したもんだ」と褒められたこともあった。稽古場では淡々としていた。闘争心は感じなかった。力士として出世はできなかったのかもしれないが、優しい子だった。

 私は79年に左膝を負傷して幕下まで陥落。大相撲は番付社会であって、番付に見合った仕事というものがある。私も風呂や土俵の掃除をすることにした。すると剣が寄ってきて「関取、やめてください。俺たちがやりますから」と手伝ってくれた。日本相撲協会の巡業部長時代には、一緒に東日本大震災の被災地を訪れて無料の似顔絵教室を開いてくれた。12年の巡業中、私が首を大けがして長期入院した際も何度も見舞いに来てくれた。退院して一緒に食事した時は剣の涙にもらい泣きした。私の人生の節目には、いつも剣がいたような気がする。

 ある時、剣が真剣な表情で頭を下げてきたことがある。「親方、私には夢があります。それは国技館の中に私専用の売り場を作ることです」。事業部長だった私はすぐに担当部署の国技館サービスに行って売り上げをチェックした。すると剣のイラスト関連グッズの売れ行きが好調だと知った。忖度(そんたく)抜きで専用の売り場を作ることになった。その時の剣のうれしそうな顔は一生、忘れることはないだろう。

 葬儀場での最後のお別れ。遺体に向かって「心配するな。お前の売り場はそのまま残すから」と声をかけた。新型コロナが終息したら相撲博物館で個展を開催してもいいだろう。大相撲では出世することはできなかったが、“第二の人生”では夢をかなえて横綱になった。剣は私の誇りであり、自慢の弟弟子でもある。合掌。

 ◆琴剣 淳弥(ことつるぎ・じゅんや)本名・宮田登。1960年7月6日、福岡県田川郡出身。佐渡ケ嶽部屋の元大相撲力士。15歳で先代の佐渡ケ嶽親方(元横綱・琴桜)にスカウトされ、76年春場所で初土俵。86年の引退後、漫画家としての活動を開始。日本相撲協会公認の漫画家としても知られ、新聞、雑誌など多方面で活躍した。

 1991年秋場所の連載開始以来、約30年にわたりスポーツ報知の紙面を彩った琴剣さんのイラストは、6日付スポーツ報知の紙面で特集しています。

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約30年にわたり相撲漫画でスポーツ報知を彩ってきた琴剣さん(本人提供)
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