【大阪杯 距離の壁<1>】ミホノブルボン、スパルタ調教で92年ダービー制覇

92年の日本ダービーを4馬身差で完勝したミホノブルボン(左)
92年の日本ダービーを4馬身差で完勝したミホノブルボン(左)

◆第65回大阪杯・G1(4月4日、阪神競馬場・芝2000メートル)

 1991年、日本ダービーでトウカイテイオーが優勝。関西馬のダービー連敗が8でストップした。それまでの20年間は関西馬5勝、関東馬15勝。テイオーの勝利以降の20年間は関西馬18勝、関東馬2勝と、形勢が逆転した。その原動力は、栗東トレセンに増設された坂路コースと言われた。85年の新設当初、多くの調教師が懐疑的だったなか、ひとりのトレーナーが積極的に坂路調教を取り入れた。

 「スピードは生まれ持ったものだが、トレーニングによって距離はもつようになる」戸山為夫調教師がミホノブルボンでクラシックに挑んだのは1992年。前年の朝日杯3歳S(現FS)を勝ち、前哨戦のスプリングSを逃げ切って臨んだ皐月賞も圧勝。5戦無敗のまま日本ダービーへ駒を進めたが、短距離馬を輩出していたマグニチュード産駒で、スピードを前面に押し出したレーススタイルに、距離の壁がささやかれた。

 「鍛えて勝つ」トレーナーの信念のもと、自動計測距離500メートル(現在は800メートル)の坂路を最大で5回。1、3、5回目に、負荷をかけるスパルタ調教を課した。ダービーでは2着ライスシャワーに4馬身差をつける完勝。不安説を一蹴した。

 無敗の3冠をかけた3000メートルの菊花賞はライスシャワーに1馬身1/4差及ばず2着。翌年、日本ダービー前日に戸山調教師は天国へ旅立ち、「栗毛の超特急」と歩んだ挑戦は終わりを告げた。(編集委員・吉田 哲也)

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