琴剣さんが一枚一枚の画に込めた大相撲の「美」

スポーツ報知
琴剣さん

 スポーツ報知の相撲漫画で長年親しまれ、元力士で日本相撲協会公認の漫画家でもある琴剣淳弥(本名・宮田登)さんが26日午前5時10分、千葉県内の病院でお亡くなりになった。60歳だった。通夜は29日午後6時、告別式は30日午前9時、ともにセレモ船橋駅北口ホール(千葉県船橋市北本町1―3―11)で営まれる。

 琴剣さんは、15歳で佐渡ケ嶽部屋に入門し、1976年春場所で初土俵。最高位は東三段目46枚目で86年秋場所を最後に引退した。現役中から評判だった絵の世界で才能が花開き、スポーツ報知では91年秋場所から連載を始めて以来、約30年にわたり紙面を彩っていただいた。

 2006年から14年まで大相撲を担当した私は、琴剣さんからさまざまな相撲の「美」を教えていただいた。

 最初は、師弟の絆だった。入門前から何よりも漫画を描くことが好きだった琴剣さんを見て、師匠で元横綱・琴櫻の先代・佐渡ヶ嶽親方は「ペンは剣より強しだ」としこ名を「琴剣」と命名した。現役時代は、「稽古よりも漫画を描くことに熱中してました」と明かした琴剣さん。そんな弟子を見て師匠は「お前はそれでいいんだよ」と個性を認めてくれたという。「あの時の師匠の優しさがなければ今の僕はいませんでした」といつも感謝を忘れなかった。

 引退後、千葉県内でちゃんこ店を開いた時、オープン初日に師匠がおかみさんを伴って来店した。張り切って自慢のちゃんこでもてなすと、少しだけ滞在してすぐに帰ってしまった。残念に思っていた翌日、近隣の飲食店の方々から「昨日はありがとうございました」とお礼を告げられたという。何のことかわからず戸惑っていると、素っ気なく帰宅した師匠が近所の店を一軒、一軒、あいさつに周り、祝儀を渡し「剣をよろしくお願いします」と頭を下げていたことを教えられた。

 この話をするとき、琴剣さんは、いつも涙を流し「僕は、琴櫻の弟子であることが一番の誇りです」と胸を張っていた。現役から引退しても師弟の絆が不変であることを知った。

 兄弟弟子への敬意も教えられた。現役時代、大関・琴風、今の尾車親方の付け人を務めた琴剣さん。琴風が膝の大ケガで関脇から幕下へ陥落した時、若い力士と一緒に稽古が終わると掃除をしたという。その姿に部屋の若い力士は「関取、そんなこと僕らがやりますから、やめてください」と言うと、琴風は「これが今の俺の仕事なんだよ。頼むからやらせてくれよ」と逆に頭を下げたという。この姿に接した時、琴剣さんは「本当にすごい方だって思いました。この人のためなら何でもやろうと誓いました」と振り返った。ケガが回復し奇跡的とも言える大関昇進を果たした時、「自分のことのようにうれしくて涙が止まりませんでした」と声を震わせていた。

 尾車親方が2012年の春巡業で首に大けがを負い、長期入院した。懸命のリハビリから回復し場所に復帰した時、快気祝いの食事をした。その時、親方がスプーンで料理を食べる姿を隣で見た琴剣さんは「本当に良かった。本当に良かった」とつぶやいて涙をこらえていた。その姿に兄弟子への揺るがない敬意を教えられた。

 兄弟子だけではない。弟弟子への尊敬も忘れなかった。東日本大震災の翌年となる2012年8月、相撲協会の被災地巡回慰問で訪れた宮城・南三陸町。土砂降りの雨の中、大関・琴奨菊、今の秀ノ山親方が移動中のワゴン車で「酒屋に向かってください」とお願いして日本酒の一升瓶を購入した。そして「海に行きたい」と誰もいない海岸でお神酒をささげ、鎮魂の思いを込めて静かに手を合わせた。弟弟子の行動に「言葉だけでなく行動で亡くなった方々への思いをささげた大関は、僕とは世代が離れた弟弟子ですけど、本当に尊敬します。すごいです」と目を潤ませていた。

 この時の慰問は、琴剣さんも相撲協会の許可を得て同行していた。「何とか被災した方のために自分ができることをやりたいと思いまして」と明かした琴剣さんが、各地で行ったことは、慰問した各地で子供たちの似顔絵を描くことだった。汗だくになりながら、丁寧に思いを込めて、そして常に笑顔で色紙に似顔絵を描いた姿は、国技と呼ばれる大相撲の力士であったことの誇りに満ちあふれていた。

 自身が三段目までの番付で現役を終えた琴剣さんは、華やかなスポットライトを浴びる関取になれなかったからこそ、裏方の方々の苦労を何度も聞かされた。行司、呼出、世話人、若者頭、付け人、ちゃんこ番、幕下以下の力士…大相撲を取材すると、NHKのテレビに映る十両以上の取組は、実はほんの一部分で、この華やかな土俵を支えるために、どれほど多くの人が汗を流しているかが肌で分かる。そんな表舞台では見えない方々の大切さを琴剣さんからは教えられた。

 琴剣さんの画には、若い力士がモチーフになった画が数多くある。ある時、私は「あの画のモデルは誰なんですか?」と聞いた。すると琴剣さんは、照れくさそうに「あれは僕なんです」と教えてくれた。そして「この世界に入って稽古は厳しいし、大変なことはたくさんあります。だけど、相撲が好きで、大好きでこの世界に入って良かったっていう思いを込めて自分の姿として描いています」と明かした。その若い力士は、関取以上に許される白の稽古回しを締めている画もたくさんあるが「あれは、関取になれなかった僕がせめて漫画の中だけでも夢をかなえたってことで勘弁してください。ハッハッハッハ…」と大笑いされた。あの笑い声がもう聞けないなんて、信じることができない…。

 本場所、地方場所、巡業、さまざまな場所で琴剣さんは、いつも妻の鈴代さんと一緒だった。奥さまを必ず「鈴代さん」と呼んでいた琴剣さん。「鈴代さんがいなかったから僕は生きていけません」と照れ笑いしていた琴剣さん。お2人の仲むつまじい姿に家族を大切にする父であり夫としての姿も教えられた。

 琴剣さんは、関取になれなかった、親方になれなかった。だけど、赤ちゃんからお年寄りまで大相撲の素晴らしさ、稽古の厳しさ、師弟の絆、兄弟弟子への情…すべての「美」を誰が見ても分かる一枚の画で表現し伝えてくれた。さらに多くの関取から琴剣さんに画を描いてもらうことが励みになっていることも聞かされた。相撲界にとって絶対に失ってはいけない人だった。誤解を覚悟で書くが、横綱、大関は引退しても新たに誕生する。だけど、琴剣さんに代わる人は他にいない。「相撲協会公認漫画家」の肩書は、大相撲の歴史に名前を刻んだ偉大な「一代年寄」だと私は思う。

 琴櫻の弟子が満開の桜舞う季節に逝ってしまった。正直言うと、まだ、お別れしたくないし、しのびたくない。現実を受け止められない自分がいる。この原稿は、少しでも多くの人に琴剣さんがどんな思いで一枚一枚の画を描いてきたかを知っていただきたい思いで書いた。「ありがとうございました」。ただ、それだけを思って散りゆく桜をぼうぜんと見つめている。合掌

   (福留 崇広)

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