交流10年「特別な存在」と陸前高田市の戸羽市長が言うわけは…ありがとう中村憲剛「14」の物語―2021年元日 川崎フロンターレを引退―

スポーツ報知
中村憲剛氏(右)の魅力を語った陸前高田市の戸羽太市長((C)川崎フロンターレ)

 J1川崎フロンターレのMF中村憲剛(40)が2021年1月1日の天皇杯決勝で18年の現役生活を終えた。憲剛と関わった人たちに、それぞれの憲剛を語ってもらう連載の第12回は岩手・陸前高田市の戸羽太市長(56)。東日本大震災直後から支援活動を始めた川崎フロンターレとの交流は10年になった。中心選手だった憲剛氏について語って頂きました。(取材・構成 羽田 智之)

■初対面とは思えない

 ―東日本大震災直後、陸前高田市の濱口先生が小学校で使う教材がなくなったと発信し、川崎フロンターレのスタッフが憲剛氏がサインした算数ドリル800冊を届けたことがきっかけで交流が始まりました。憲剛氏と初めて会った時の印象を教えてください。

 「憲剛さんは初めて会ったと思わせない魅力がある方です。すごくフレンドリーで以前から知り合いのような気にさせてくださいます。この10年間で多くの方にお会いしましたけど、憲剛さんぐらい飾らないスターは珍しいです。フロンターレが陸前高田でやってくださった子供たちへのサッカー教室を見学しました。うちの子供たちは県外の人に会う機会はほとんど無くて「おー、中村憲剛だ」と言うから「さんをつけなさい」と言ったことを覚えています。憲剛さんは自分の弟みたいな感じで子供たちに接してくださった。当時、環境も整っていない中でのサッカー教室でしたが、子供たちには夢のような時間でした。被災地、被災者だからという感じではなく、哀れみみたいなものでもなく、自然な感じで接して頂いたのが印象的でした」

 ―2015年に友好協定「高田フロンターレスマイルシップ」を締結し、より交流が深まりました。これまでの交流の意義についてどう思われますか?

 「たくさんあります。フロンターレの主催試合が行われる等々力競技場で年に2回、陸前高田ランド(※米粉パスタスナック、三陸秋刀魚のさんまメンチ、三陸ら~めん、しいたけのバター焼きなど、三陸の食が楽しめる)を開いて頂いている。我々も様々な自治体との関係で、『〇〇祭り』のようなものに呼んで頂いたりします。交通費、人件費を考えると、高田から出て出店すると、利益が出ることはそんなに多くないです。でも、フロンターレはサポーターの皆さんが全部買ってくださる。行きたくて仕方ないという声が出ています。応援してくれている人がいるというのが、市民の精神的なところで大きい。そういうものも当然あります。これまで色々なスポーツの方々と関わりを持たせて頂きました。こんな田舎では、選手1人、2人が来てくださっても大騒ぎになる。フロンターレは、社長、外国人選手をふくめ選手全員が来てくださる。フロンターレはサポーターを巻き込む力がすごくある。そういうところをまざまざと見せて頂きました。今、「ふろん田」という田んぼをやって頂き、日本酒「青椿」を造っています。農業、漁業という第一次産業というのは、子供たちにとって将来の選択肢になりにくいところがあります。もちろん、陸前高田市は予算をつけて普通に子供たちの漁業体験や漁業教室みたいなのをやり、興味を持ってもらうようにしています。そこに、フロンターレの選手が来て、米作りなどの活動をしてもらえばかっこよく見える。本当に見せ方だなと思います。フロンターレの方は色々な切り口、アイデアを出してくださる。今後にも期待しています」

■つながる人間形成

 ―震災から10年の3月11日、川崎市内で憲剛氏は陸前高田市出身の大学生2人(菅野朔太郎さん、酒井涼羽さん)と募金活動しました。

 「朔太郎くんらはフロンターレのショップでアルバイトしていると言っていました。彼らはうちの息子と同い年ぐらいで、私も子供の頃から知っている。励まされてきたんだろうなと思います。小学校の時に被災し、当時、本当に絶望を感じたと思います。だから、今回、一緒に募金活動したのでしょう。憲剛さんと一緒にやって、思い出というだけでなく、彼らが社会人になっていく過程で、自分たちが社会に出来ることは積極的にやっていこうという人間形成にもつながると思います」

 ―川崎フロンターレと陸前高田市の交流で、憲剛氏が果たした役割は?

 「中村憲剛さんという人はサッカー界では超有名人です。サッカー界以外でも知名度はある方だと思う。昨年12月、等々力陸上競技場での引退セレモニーに行かせて頂きました。警察、消防をはじめ、川崎市の皆さんがセレモニーに協力されていた。すごく愛されていたのだなと感じました。サッカー選手としてのプレーがすごいだけでは、皆さん、あそこまで協力しないと思う。そういう愛されている人が被災地に、子供たちに関わったことは高田にとっても素晴らしいことです。被災地に関わる方でも、10年たったから、さようならという方もいる。離れていく方がいらっしゃるのは当たり前です。でも、憲剛さんは陸前高田市を第二、第三のふるさとと思ってくださっているようですし、朔太郎くんとも今もつきあってくださる。そういう仲間意識を持ってくださっている。陸前高田市にとっても、市民にとっても大きいことだなと思います。私たちにとって、憲剛さんをはじめ、フロンターレは特別な存在なのです」

■相互協定として

 ―川崎フロンターレや憲剛氏と今後、どういう付き合いになっていけばいいですか?

 「一つはフロンターレの方から言って頂いていることがあります。遊休農地がまだまだあるでしょうと。もっと農業を展開していこうよと。こちらからも、色々な提案をしていきたいです。今、お米をやって頂いています。今後、新しいものも地域でやっていこうとしているので、一緒にやっていければいいですよね。漁業もそう。相互の協定になっていますが、我々からお返しできる部分は少ない。私たちの街には、ホームチームのように商店街にフロンターレのフラッグが飾られています。サポーターも募ってきました。ただ、それ以上の動きはまだないです。震災から10年がたち、復興も進んできています。フロンターレのクラブ、選手、スタッフ、サポーターの方々に陸前高田と付き合ってきて良かったねと実感してもらえるような何かをしっかり考えないといけないです」

 ―憲剛氏が引退するというのを聞かれた時はどう思いましたか?

 「一昨年、大けがをされた時、これはどうなんだろうと思いました。サッカー選手で、あの年齢で、足を大けがされた。そのままフェードアウトというのもあるんじゃないだろうかと。でも、復帰してすぐ活躍されていたので、あの2年ぐらいはやられるんだろうなと思っていましたけど。ご家族とも話して40歳という区切りの年齢でという話をテレビなどで知り、彼の中で美学のようなものがあるんだろうなと思いました」

 ―これからの憲剛氏に期待することは?

「子供たちが人間形成していく手助けをして頂きたいです。サッカーがうまくなることだけでなく、色々な人と関わり、協調性を育てていく。憲剛さんの愛されキャラを見れば分かりように、スポーツを通じて人間形成していくということに尽力して頂きたいです。それこそ、どうして憲剛さんが陸前高田市と関わっているのか。そういうことを知ることも、すごく勉強になる。とくに、中学生、高校生という人間形成されていくタイミングの人たちに、サッカーを通じ、これまでの経験なども伝えて頂けると、すごく社交性があり、芯の通った人間が育つと思います」

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