「めちゃくちゃ忙しいけど、楽しんで仕事をしている」中央大の同級生マネジャーが語る憲剛…ありがとう中村憲剛「14」の物語―2021年元日 川崎フロンターレを引退―

「KENGO Academy」で子供たちと汗を流した中村憲剛氏(右)と寺内雄貴氏(本人提供)
「KENGO Academy」で子供たちと汗を流した中村憲剛氏(右)と寺内雄貴氏(本人提供)

 J1川崎フロンターレのMF中村憲剛(40)が2021年1月1日の天皇杯決勝で18年の現役生活を終えた。憲剛と関わった人たちに、それぞれの憲剛を語ってもらう連載の第11回はマネジメントを担当する寺内雄貴氏(40)。中央大学サッカー部の同期で、友人として、仕事のパートナーとして接している。大学時代から多忙な現在、そして将来について語って頂いた。(取材・構成 羽田 智之)

■まじめなキャプテン

 初めて会ったのは高校3年生の夏だったと思います。私が福島東高校サッカー部、憲剛が都立久留米高校サッカー部。筑波で試合をしたと思います。私はボランチだったので、マッチアップしたんです。細い選手がいるなと思っていました。中央大学に入り、サッカー部で再会した時に「試合、やったよね」「やった、やった」という話をしました。それにしても、華奢な選手だなと思いました。こんなに細くて大丈夫かなと思ったぐらいでした。

 私は指定校推薦で入学したので、1年生の時は寮には入れ無く、アパートで一人暮らしをしていて、2年生になって入寮しました。各学年1人ずつの4人一部屋。2段ベッドが両サイドにあり、その奥に勉強机。憲剛は1年生の時から入寮し、たまたまだったと思いますが、いわゆるキャプテン部屋でした。この部屋からキャプテンが出ることが多かったです。私たちの時は皆仲が良くて、鍋をしたりしましたね。 皆、勉強はほとんどしていなかったと思いますが、憲剛は違いました。学年で唯一、文学部の英米文学専攻だったので、授業をちゃんと受け、その後寮のラウンジとかでも勉強していました。私たちの代はメンバーが15人ほどいましたが、一番まじめでしたね。授業をサボったことほとんどないと思いますよ。

 サッカーでは、ボール扱いがすごくうまかったです。フィジカルがないので、ボールの受け方も工夫したりして、うまかった。ただ、1年の時はレギュラーでは無かったです。憲剛は2年生になってからAチームに入り、その年の終わりぐらいからレギュラーになったと記憶しています。そこからメキメキ成長し、すごい選手になった。ポジションは1・5列目、中盤もやっていました。ボールを預ければ何とかしてくれるという感じの選手でした。

 キャプテンを決める時は、山口芳忠監督、佐藤健コーチらが話し合って決めたと思いますが、憲剛はなるべくしてなったと思います。私生活もすごくしっかりしていました。2学年上に宮沢正史さん(卒業後、FC東京に入団)という身近にプロになった目標がいたからだと思いますが、プロを意識して私生活もすごくしっかりしていたと思います。キャプテンとしては引っ張るタイプでした。ピッチを離れても、規律に関してはうるさかった。よく観察しているんです。飲みに行った日の翌日、「お前、寝過ぎじゃない? 昨日、遅かっただろ」と言われたこともあります(笑)。憲剛は他の人のようには飲みに行かなかったですからね。

 3年生の時に関東リーグの2部に降格し、1年で1部に昇格しなくてはならないという明確な目標があったので、憲剛も厳しかったんだと思います。ダメなことはダメと。説得力がありました。副キャプテンの吉田がなだめるタイプなので、バランスが良かったですね。4年生の時、試合に出ていたのは憲剛、吉田、私の3人。ほかの4年生も縁の下の力持ちとして頑張ってくれたので1年での昇格を勝ち取れたと思います。皆仲が良かったし、同じ方向を向いて頑張ることが出来ました。

■仕事とプライベート

 私は卒業後、地元の銀行に就職しました。でも、もっとサッカーがやりたくて、東北社会人リーグのNECトーキンというチームでプレーしたこともあります。憲剛のマネジメントは2010年からです。30歳になる前に誘って頂き、驚きましたが、即決しました。最初は何も分からない状態だったので、川崎フロンターレに出向してサッカー界の事を勉強しました。当時は精神的にきつかったです。憲剛は日本代表に選ばれてバリバリやっているけど、私は新人。置いて行かれている。そう焦った気持ちでした。

 憲剛は友人であり、仕事のパートナーです。プライベートでは憲剛と呼びますが、仕事では憲剛選手です。打ち合わせをする時も憲剛選手と言っています。選手の時、憲剛からよく言われたことがあります。「試合2日前からは仕事の話をあまりしないで欲しい。試合に集中したい」と。どうしても急ぐ時は別ですが。私はこの10年で憲剛に成長させてもらったと思います。自分の足りないところを見つめるきっかけを作ってくれ、どうすれば人を喜ばせることができるかを考えるようになりました。

 引退は、友人としても仕事のパートナーとしても何も言わなかったです。彼が決めたことです。もっとできる、まだやって欲しい、なども言いませんでした。ただ、引退後の準備だけはしておこうと思っていました。セカンドキャリアに関して、どういう可能性があるか調査、勉強しました。憲剛をそばで見ているとやはり、指導者、育成に興味があるんだろうなと思っていました。それは憲剛が親になったからでもあると思います。

■サッカー界牽引して

 今、めちゃくちゃ忙しいです(笑)。ビックリしています。憲剛が引退を表明してから私はしっかりオフをとった日はないと思います。ひっきりなしに仕事の電話がかかってきますし、メールの対応もたくさんあります。ありがたいことです。憲剛も1月、2月は本当に大変だったと思います。今はだいぶ慣れたと思いますし、ゆとりも感じます。今は頂いた仕事をしっかりやっていくというスタンスでいます。すごく楽しんでやっていると思うので、その姿を見るとうれしくなります。

 これから、仕事の幅を広げていければいいなと思います。指導者ライセンスの取得を優先させつつ、様々なことに挑戦して欲しい。プロの監督というのも選択肢にあると思いますし、育成の現場にも興味を持っています。実際、「KENGO Academy」(憲剛氏が主催するサッカースクール)も2019年にスタートしています。華奢な憲剛が18年間プロでやってきたことを伝えていくことは大事だと思っています。もちろん、メディアを通し、サッカーの楽しみ方を広めるのも大事です。将来は日本サッカー界を引っ張っていく存在になって欲しいです。

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