箱根駅伝「名門」日大の青葉昌幸監督が退任 後任は異例の4度目「登板」の小川聡元監督

スポーツ報知
今月いっぱいでの退任が決まった日大・青葉昌幸監督

 箱根駅伝で12回の優勝を誇る日大の青葉昌幸監督(78)が3月末で退任することが16日、分かった。後任は元監督の小川聡氏(63)。小川氏は2001~08年、13~16年と2度、監督を務めた。1990年代前半もコーチの肩書きで実質的な監督を務めており、事実上、4度目の“登板”となる。

 箱根駅伝で優勝12回、出場89回といずれも歴代3位の名門・日大において、2年連続で驚きの監督人事が断行された。昨年6月に、若手の武者由幸監督(37)が退任し、大ベテランの青葉監督が就任。その青葉監督が、わずか10か月で退任することが決まった。

 日大OBの青葉監督は大東大監督時代に箱根駅伝で4回優勝。07~16年には箱根駅伝を主催する関東学生陸上競技連盟の会長として尽力した。現在も名誉会長を務める“大御所”だ。昨年1月の第96回箱根駅伝で18位に終わった日大の復活を託されたが、昨年10月の第97回箱根駅伝予選会ではチーム史上ワーストの18位と大敗した。昭和、平成の時代に大学駅伝界の頂点に立った青葉監督は令和の時代では結果を残せず、志半ばでチームを去ることになった。

 後任はOBの小川氏。1990年代前半はコーチとして選手を指導した。当時の沢村博監督は短距離を専門としていたため、事実上の監督として日大を率いた。横浜銀行女子監督に転身した後、2001~08年、13~16年と2度、日大の監督を務めた。今回は事実上、4度目の監督就任となる。

 駒大は、大八木弘明監督(62)が1995年からコーチを、2004年から監督を務め、長期的視野でチーム強化を図り、2000年以降、今年を含めて7度の箱根駅伝優勝を果たした。対照的に日大は2010年以降、今回の小川監督で延べ6人目の監督となる(実質的な監督だったコーチを含む)。監督交代が頻繁で、しかも、30代の武者由幸前監督を除いてベテラン監督が多い日大は“迷走”のイメージがぬぐえない。箱根駅伝の優勝は12回を数えるが、最後の栄冠は1974年の第50回大会までさかのぼる。シード権(10位以内)の獲得も2014年が最後となっている。

 小川氏は元長距離ランナーには見えないような迫力ある体格がトレードマークの親分肌。2001~08年の監督時代には出雲駅伝で2度、全日本大学駅伝で1度、日大を優勝に導いた実績を持つ。プロ野球の名将、巨人の原辰徳監督(62)を超える4度目の登板。小川「元&新」監督に、今回こそ日大再建が託された。

 ◆2001年以降の日大監督(敬称略)

 ▽01~08年 小川聡(43)

 ▽08~11年 堀込隆(49)※

 ▽11~13年 鈴木従道(65)

 ▽13~16年 小川聡(55)

 ▽16~20年 武者由幸(32)

 ▽20~21年 青葉昌幸(77)

 ▽21年~   小川聡(63)

【注】カッコ内は就任時の年齢。堀込氏の肩書きはコーチ。

 ◆青葉 昌幸(あおば・よしゆき)1942年6月16日、埼玉・大田村(現秩父市)生まれ。78歳。秩父農工高(現秩父農工科学高)入学と同時に陸上を始める。3年時に同校初の全国高校駅伝出場に貢献。61年に卒業後、秩父鉄道に就職。62年、日大に入学。3年時に日本選手権3000メートル障害優勝。4年時に同1500メートル優勝。箱根駅伝は4年時に出場し、1区3位。卒業後は埼玉県庁に。68年~2000年まで大東大監督。箱根駅伝優勝4回(75、76、90、91年)。90年度は史上初の大学駅伝3冠を達成した。07~16年に関東学生陸上競技連盟会長を務め、現在は名誉会長。

 ◆小川 聡(おがわ・さとし)1957年8月14日、相模原市生まれ。63歳。日大高から76年に日大入学。箱根駅伝には4年連続出場し、1年6区4位、2年7区3位、3年1区4位、4年1区6位。80年に卒業後、日産自動車に入社。現役引退後、日産自動車コーチ、日大コーチ、横浜銀行女子監督を歴任。2001~08年に日大監督を務め、03、04年の出雲駅伝、05年の全日本大学駅伝で優勝。13~16年に再び監督を務めた。今回は実質的な監督だったコーチ時代を含め、4度目の就任となる。

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