王貞治の礎を作った巨人の強行軍 1962年はダブル14回含めオープン戦30日間で33試合フル出場

1962年の王貞治
1962年の王貞治

 近年のプロ野球オープン戦はドーム球場が本拠地になって、寒さに関係なくナイターでも行われるようになった。そのためもあってか、かつてのような地方での試合を消化しつつ北上して、球春を伝える季節感が薄れてきたのも否めない。

 また、試合数も20試合をこなすチームは2017年の日本ハムが最後。今年は特に新型コロナウイルス感染拡大もあって2月がすべて練習試合になったことで、最も多い消化チームでもオリックスの16試合だ。

 しかし、昔はオープン戦でも日銭を稼ごうと各球団とも20数試合行うのが普通だった。そんな時代、1962年の巨人は何と33試合も消化した。

 当時の報知新聞の紙面を見ると、前年に南海を破って6年ぶりの日本シリーズを制覇した川上哲治監督は、連覇を目指して、打率と本塁打の二冠王で初のMVPに輝いた長嶋茂雄だけが頼りの打線の立て直しに着手。彼の前後を打つ打者として4年目の王貞治を始め、宮本敏雄、坂崎一彦、藤尾茂の4人を試したいとしていた。

 そしてオフに柴田勲、宮田征典、城之内邦雄と高校、大学、社会人のエース級を獲得。彼らにオープン戦で場数を踏ませる意味合いもあったという。

 試合をチェックして驚かされたのがダブルヘッダー14回も含め、3月3日から4月1日までの30日間で33試合という超強行軍のスケジュール。3度あった降雨中止も、予備日を組んで予定通りの試合数を消化した。

 この33試合、ただ一人フル出場したのが4年目で5月に22歳となる王貞治一塁手だ。2年目に打率2割7分、17本塁打したものの、3年目は同2割5分3厘、13本塁打と伸び悩んでいた。そのため、川上監督は大毎から最年少2000安打を記録する榎本喜八一塁手を育てた荒川博を打撃コーチに招聘。「キャンプから徹底的に絞られ、練習の後も何百回もスイングをやらされた」と、後に王は述懐している。

 そんな厳しい練習に加えこのオープン戦、王は3月10日、24日と、ともに南海とのダブルヘッダー第2試合で先発を外れただけ。オープン戦だけで119打数33安打、4本塁打、14打点で打率2割7分7厘と場数を踏んだ(ちなみに主砲の長嶋茂雄は2試合欠場、先発を外れたのも6試合あった)。

 この強行軍が裏目になったとは言わないが、この年の巨人は2リーグ制後、初のBクラス、長嶋もプロ5年目で初の打率2割台に終わった。

 しかし王だけは、7月1日の大洋戦から一本足打法にモデルチェンジが大成功。38本塁打、85打点の二冠王と大ブレーク。ペナントレースは134試合フルイニング出場しただけでなく、オールスター戦2試合、タイガースとの日米野球10試合、秋のオープン戦2試合と、出場出来る計181試合すべてに出場(長嶋も175試合出場)した。

 22歳の若さがあったとはいえ、このシーズンのハードワークが、その後のホームラン王の礎を作ったのではないだろうか。=敬称略=

 蛭間 豊章(ベースボール・アナリスト)

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