【ヒルマニア】ミスター以来の「別当薫の再来」新人7発見えてきた

スポーツ報知
タイガース時代の別当薫(右)(左は藤村富美男=1948年撮影)

 プロ入り1年目の開幕前のオープン戦で打ちまくった代表例にタイガースの大先輩で後に野球殿堂入りした別当薫外野手がいる。

 慶大―オール大阪から1948年にプロ入りするとオープン戦最初の10試合こそ本塁打1本に終わったが、当時公式戦の前哨戦として人気のあった毎日杯、中日杯、読売杯と新聞社主催の3大大会で大爆発した。

 甲子園での毎日杯で3戦連続アーチで優勝に導くと、中日球場での中日杯でも前シリーズからの4戦連発含め2本塁打で連覇に貢献し連続MVP。後楽園での読売杯は2試合連続3安打し、急映との1回戦にも打って9試合で計6本塁打。3シリーズで飛び出した本塁打16本のうち一人で6発(次いで多いのは2本)も叩き込んだ。チームも3大会が始まって以来の完全Vに導き、全国の野球ファンを驚がくさせた。

 公式戦でも好調を保っていたが、6月に盗塁を企てた際に左足腓(ひ)骨を骨折し2か月間入院。計51試合欠場しながらリーグ8位の13本塁打(トップは25本)、打率も規定打席不足も3割2分8厘(首位打者は・306)を残した。

 その10年後の1958年、立大から巨人入りした長嶋茂雄内野手が12球団最多の7本塁打を放って「別当薫の再来」と言われ、公式戦でも本塁打と打点の2冠王に輝いた。(蛭間 豊章=ベースボールアナリスト)

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