青学箱根初Vの立役者・高橋宗司さん、入寮1週間後に津波犠牲の姉を今も「毎日思い出す」

15年の箱根駅伝8区で区間賞を獲得し、青学大の初優勝に貢献した高橋宗司さん(左)(右は9区の藤川拓也主将)
15年の箱根駅伝8区で区間賞を獲得し、青学大の初優勝に貢献した高橋宗司さん(左)(右は9区の藤川拓也主将)

 青学大が2015年に箱根駅伝で初優勝した時のメンバーの一人、高橋宗司さん(28)がスポーツ報知のインタビューに応じ、10年前の東日本大震災について語った。宮城・利府高を卒業し、東京・町田市の選手寮に入寮した直後、宮城・東松島市の実家が津波に襲われ、箱根駅伝ファンだった姉・沙織さん(享年22)を亡くした。沙織さんへの思い、両親への思い、箱根駅伝への思いを明かした。高橋さんの記憶は鮮明だった。(取材・構成=竹内 達朗)

 ■想定外の帰郷

 2011年春。当時、18歳だった高橋さんは宮城・東松島市の実家を巣立ち、東京・町田市の青学大選手寮で新生活を始めた。

 「入寮したのは3月4日でした。実家を離れて暮らすのは初めてだったので、寮生活は不安がありました。甘えん坊だったし、洗濯もしたことがなかったので。でも、入寮したら楽しかった。チームはすごく活気があった。強くなるためにどうすればいいか、と全員が前向きでした。あの頃、既に今の強い青学大の土壌はできていた、と思います。練習を離れれば、先輩たちは優しい。特に同部屋で2年先輩の小山裕樹さんが親切で、お世話になりました」

 “箱根への道”を順調に走り出した、はずだった。入寮から1週間後の11日、東日本大震災が発生した。

 「地震が起きた時、部屋で先輩とゲームをしていました。町田もかなり揺れましたが、もともと宮城県は地震が多かったので、それほど驚きませんでした。それに地震の直後、姉から『こんなに散らかったよ』と家の様子を知らせる写真付きのメールがあったので、ひと安心しました」

 高橋さんの実家は東松島市の野蒜(のびる)地区にある。地震発生時、家にいたのは姉・沙織さんだけ。父・宗也(しゅうや)さん(59)と母・千賀子さん(60)は仕事に出ていた。

 「家から海まで1キロありません。夜になると、波の音が聞こえてくるほど海は近い。地震の後、両親と全く電話がつながりませんでした。だから、最初は姉よりも両親の方が心配でした。ニュースで東北地方が大変なことになっていることは分かりましたが、東松島市のニュースはなかった。だから、東松島市は大丈夫なんだろう、と思っていました。いや、そう思おうとしていたのかもしれません」

 不安な時間を過ごし、やっと両親と電話がつながったのは2日後だった。

 「午前の練習に行く直前でした。最初、両親が無事でホッとしましたが、母が『沙織ちゃん(姉)と連絡が取れない』と…。『地震の後、メールがあった』と伝えると、両親は驚いていました。僕は『どこか避難所にいるんでしょ』『絶対に生きているよ』と言ったんですけど、厳しい状況であることも理解しました。それでも、僕は練習に行きました。1000メートル5本走ったことを覚えています」

 その日の夜、悲しい知らせが届いた。

 「親から『遺体が見つかった』という連絡がありました。家族が亡くなるという発想がないからか、なぜか冷静な自分もいました。とはいっても、大声で泣きました。すぐに東京にいる親戚と一緒に車で実家に向かいましたが、その時、ランニングシューズと練習着もバッグに詰め込みました」

 数時間かけて東松島市にたどり着いた。故郷から新天地に向かったのは、わずか9日前。想定外の帰郷であり、想定外の故郷の姿だった。

 「僕が車から降りた瞬間、母は僕に抱きついてきて泣きました。父も泣いていました。思えば、両親が泣いている姿を見るのは、その時が初めてでした。実家は1階が浸水していましたが、流されていなかった。姉は2階にいれば助かったかもしれませんが、そうはしなかった。後で聞いた話ですが、外で人を助けている時に津波に遭ったそうです。避難先の親戚の家で、両親と僕は川の字になって、3人で泣きながら寝ました」

 ■箱根のファン

 当時、沙織さんは地元の大学を卒業したばかり。春から高校で保健体育の講師になるはずだった。高校時代は陸上部に所属。800メートルでは宮城県大会で入賞し、東北大会に進出した好選手だった。そして、箱根駅伝のファンだった。

  • 高橋宗司さんが幼い頃の家族写真(手前から高橋さん、姉・沙織さん、母・千賀子さん=高橋さん提供)
  • 高橋宗司さんが幼い頃の家族写真(手前から高橋さん、姉・沙織さん、母・千賀子さん=高橋さん提供)

 「僕が中学生になった頃から、姉とはあまり仲良くなかった。僕が反抗期だったので。でも、僕が高校3年になって関東の大学を目指すようになってから、よく話をするようになりました。姉は僕より箱根駅伝に詳しかったので。青学大に進学することが決まった時、姉は『チームに溶け込めるようにね』『寮で粗相しないようにね』としか言わなかった。『箱根駅伝、走ってね』とか、励ますことはありませんでしたね。本当は期待してくれていたと思いますけど」

 ■2年時に飛躍

 数日間、両親と共に親戚の家で過ごした。その日々も高橋さんは走り続けた。

 「不謹慎かもしれませんが、僕は被災地でも走っていました。辺りは水たまりばかりで、冷蔵庫や家具などが道にたくさん転がっていました。近くの乗馬クラブから流されてきた馬も横たわっていました。本当に悲惨な状況でしたが、大地震があった時に東京にいた僕は、ただ悲しむことが正解ではない、と思ったんです。僕が元気で走っていることが両親の励ましになると思ったんです。被災地で走る僕に対し、冷たい目で見る方々がいたかもしれませんが、両親は『あんたが元気ならいいよ』と言ってくれました」

 高橋さんは宮城から再び東京に戻った。チームメートは高橋さんと共に走り、原晋監督は「箱根駅伝ファンのお姉さんも応援しているぞ」と励ました。

 「寮に仲間がいることは幸いでした。不自由なく暮らして、好きな陸上ができる。悲しいという感情はありませんでした」

 練習を継続した高橋さんは着実に力をつけた。1年時の出雲駅伝で学生駅伝デビューを果たし、5区6位。全日本大学駅伝では主要区間の4区で8位と好走した。しかし、箱根駅伝では11番手で補欠に回った。

 「ミーティングでメンバーが発表され、走れないことが決まった。2011年12月26日でした。出雲、全日本を走ったので、両親も期待していたと思います。箱根駅伝で活躍することが両親の支えになれば、と思っていたので、本当に悔しかった。絶対に次の箱根駅伝は走る、と心に決めました」

 覚悟を固めた高橋さんは2年目に大きく飛躍した。初出場した箱根駅伝で8区区間賞に輝いた。

 「走り終えた直後は区間7位くらいと思った。それに実際は中大の永井(秀篤)君の方が速かった(中大は5区途中棄権のため参考記録扱い)。区間賞と言われても『なぜ?』という感じ。だから、区間賞よりも箱根駅伝に出場できたこと自体がうれしかった。沿道の大歓声で自分の足音が聞こえないということに驚いたし、楽しかった」

 3年目は山上りの5区を担ったが、9・5キロ地点では区間18位相当と苦戦した。

 「当時は23・4キロで、本格的な上りが始まる前の5キロで苦しくなった。『大ブレーキかも…。みんなゴメン』と思いながら走っていました。原監督の“あるある”ですけど、たまに運営管理車からウソ言うんですよね。『残り5キロペース上げれば1時間20分台(区間7位相当)いけるぞ!』と。僕は腕時計をつけないで走るので、だまされて頑張れました。実際は1時間22分28秒で区間11位が精いっぱいでしたけど」

 3年時、青学大は過去最高タイの5位と躍進した。いよいよ迎えた最終学年。歴史的な初優勝を成し遂げた。8区で2度目の区間賞を獲得した高橋さんは優勝会見で「日本の中で僕が一番幸せだ、と思います」という名言を残した。

 「あの言葉は本音です。姉を亡くしたことで気遣ってくれる人は多いですけど、僕は幸せ者です」

  • 現在、アサヒ飲料の営業マンとして日々奮闘する高橋宗司さん(左)(右は青学大時代の1学年後輩の伊藤弘毅さん=高橋さん提供)
  • 現在、アサヒ飲料の営業マンとして日々奮闘する高橋宗司さん(左)(右は青学大時代の1学年後輩の伊藤弘毅さん=高橋さん提供)

 ■現在営業マン

 卒業を区切りに競技の第一線から離れ、大手飲料メーカーのアサヒ飲料に就職。現在は大阪に勤務し、営業マンとして奮闘している。

 「仕事は充実しているし、楽しいです。両親とは離れて暮らしていますが、もっと親孝行したいと思っています」

 震災から10年。姉への思いは、もちろん変わらない。

 「姉のことは毎日、思い出します。震災後の1年は家族4人で一家団らんしている夢をよく見ました。昨年、初めて登場人物が姉と僕だけという夢を見ました。寝ている僕の隣に姉が現れて話しかけてくる、という夢でした。姉は『私は今、こう思っているよ』というようなことを言っていました。はっきりとした言葉は覚えていませんが、ポジティブな言葉だったことは覚えています。それが一番、うれしかったです」

 ◆高橋 宗司(たかはし・そうし)1993年2月2日、宮城・東松島市生まれ。28歳。利府高3年時に全国高校総体1500メートル出場(予選敗退)。2011年、青学大教育人間科学部に入学。箱根駅伝3回、全日本大学駅伝2回、出雲駅伝1回出場。4年時の箱根駅伝では初優勝に貢献。さらに青学大史上初のマルチ(複数回)区間賞獲得者に。ベストタイムは1万メートル29分15秒42、ハーフマラソン1時間4分13秒。15年に卒業し、アサヒ飲料に入社。

15年の箱根駅伝8区で区間賞を獲得し、青学大の初優勝に貢献した高橋宗司さん(左)(右は9区の藤川拓也主将)
高橋宗司さんが幼い頃の家族写真(手前から高橋さん、姉・沙織さん、母・千賀子さん=高橋さん提供)
現在、アサヒ飲料の営業マンとして日々奮闘する高橋宗司さん(左)(右は青学大時代の1学年後輩の伊藤弘毅さん=高橋さん提供)
すべての写真を見る 3枚

スポーツ

NEWS読売・報知 モバイルGIANTS 個人向け写真販売 ボーイズリーグ写真 法人向け紙面・写真使用申請