【東日本大震災10年】バドミントン・渡辺勇大、東野有紗ペアの運命「死を覚悟」から復興五輪金メダルへ

スポーツ報知
優勝して笑顔の渡辺(左)、東野組

 バドミントンの混合ダブルスで2019年世界選手権銅メダルの渡辺勇大(23)、東野有紗(24)組(日本ユニシス)は、富岡一中・富岡高時代の6年間を福島で過ごし、震災から9年後の20年3月11日に東京五輪切符を確実にした運命的なペアだ。震災当時は東野が中学2年、渡辺が1年生。10年がたち、世界の頂点を狙えるまでに成長した。“復興五輪”として招致された東京大会へ「一番高い表彰台に」と決意を新たにした。(取材・構成=細野 友司)

 震災から9年となった20年3月11日。全英オープンで2人は東京五輪への挑戦権を得た。コロナ禍での大会1年延期を経て“復興五輪”へ不変の思いを込める。

 東野「一日一日、一年一年、震災のことを考えてバドミントンをしているので、本当に忘れた日はない。3月11日に決まり、本当になんか、運命を感じたというか」

 渡辺「今、こうしてバドミントンができていることは、当たり前ではない。東京五輪で金メダルを取って、皆さんに勇気や感動を与えられるように頑張りたい」

 震災当日。中学1年と2年だった2人は、福島県東部の富岡高体育館にいた。あの瞬間の記憶は何年たっても鮮明なままだ。

 東野「中学3年生の卒業式の日で、私たちは体育館で練習前の体操をしていました。すぐに外に逃げて、私はお母さんが来るのを外でずっと待っていて、その日は車の中で生活。余震が何回もあり、おなかがすく余裕もなかった。避難所でもパンを1枚食べただけ」

 渡辺「感じたことのない揺れで、本当に死を覚悟した。寮では(お湯で戻す)アルファ米と、たくあんをずっとボリボリしていた」

 東野「私も、同級生の大堀(彩)選手と『本当に死ぬかもしれないね』ってメッセージを交わしていた」

 震災2か月後の5月から、移転先の福島・猪苗代町で活動を再開した。

 東野「猪苗代町の人たちが温かくて、練習場もコートが10面にサブ体育館もあった。震災後は練習できる時間も本当に大事にして、終了後にランニングしたりっていうのを増やしてみたり。プラスで、何かできることを結構やるようにした」

 社会人の日本ユニシス入りしてもペアは継続。19年世界選手権では銅メダルに輝き、東京五輪では名実ともにV候補の一角だ。

 渡辺「成長は感じている。これから国際大会が再開されていくので、結果を出して自信をさらに1つ、2つと加えていきたいなと思う」

 10年前、自然の猛威に死まで覚悟した中学生が“復興五輪”の頂点に手をかけようとしている。これこそ、震災10年の節目に日本で開催する意義に他ならない。

 渡辺「恩返しというのは日本人ならば、すごく大切にしないといけないことだと思う。やっぱり五輪の舞台に立って、一番高い表彰台に上りたい気持ちは今ありますね。復興五輪というのは身にしみて感じるし、五輪の舞台で素晴らしいプレーをしたい」

 ◆渡辺 勇大(わたなべ・ゆうた)1997年6月13日、東京・杉並区生まれ。23歳。小学2年時に小平ジュニアで競技を始める。2016年日本ユニシス入社。男子ダブルスも、16年リオ五輪代表の遠藤大由とのペアで東京五輪出場が有力。167センチ、57キロ。利き腕は左。

 ◆東野 有紗(ひがしの・ありさ)1996年8月1日、北海道・岩見沢市生まれ。24歳。小学1年から競技を始める。富岡一中で初めて渡辺とペアを組み、富岡高時代の14年世界ジュニア選手権で銅メダル獲得。20年全日本総合選手権で4連覇を達成。160センチ、54キロ。利き腕は右。

 ◆渡辺&東野組と福島県 2人は福島県体協による強化支援プログラム「Jクラスアスリート」に選ばれ、活動費の支援を受けている。渡辺は、自身がデザインしたTシャツを公式サイト上で販売。利益全額を福島県に寄付するなど、社会人となって活動拠点を東京に移してからも交流は続いている。

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