Hey!Say!JUMP八乙女光、震災10年「前進していく上で、次の世代に伝えていくことが大事」

ジャニーズ事務所
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 3月11日に、東日本大震災発生から10年を迎える。Hey!Say!JUMPの八乙女光(30)は仙台市生まれで、ジャニーズ事務所のデビュー組として唯一の東北出身だ。6日にテレビ岩手、ミヤギテレビ、福島中央テレビの震災復興特番「ゼロからイチへ 東日本大震災から10年」に伊野尾慧(30)とともに出演。震災発生時、自身は東京で母親と暮らしていたが、兄や祖父母らは宮城県内で津波被害に遭った。「ただ振り返るのではなく、前進していく上で、次の世代に伝えていくことが大事」と、強く訴えかけた。(畑中 祐司)=紙面未収録インタビューを加えた完全版=

 地震発生直後、八乙女は無我夢中で携帯電話を握りしめた。発信先は、海岸線から約15キロの距離にある宮城・多賀城市に住む兄。だが、一向に電話はつながらない。その時の不安は、10年たった今も鮮明に残っている。

 「本当にずっと何時間も連打で電話し続けて。当時まだガラケーだったかな。やっと夜10時ぐらいに安否が確認できて。でも、じいちゃんとばあちゃんは、つながらなくて…」

 震災当日は休みで母親と都内の自宅にいた。母親と机の下に隠れながら見たテレビは、震源地は東北と伝えていた。ぼう然としながら、現実とは思えない映像から目が離せなかった。翌日はバラエティー番組の収録を控えていた。

 「仕事があったけど、もう気持ちが沈んじゃって…。でも、収録直前に母親から『(祖父母と)連絡が取れて、大丈夫だって』って。すごくホッとしたことを覚えています」

 大事には至らなかったが、兄が暮らすマンションにも津波が押し寄せたという。

 「海から15キロ離れていたけど、それでも…。マンションの3階か4階に住んでいたみたいですけど、自分の車が流されていくのを見た、と。じいちゃん、ばあちゃんが住んでいたのは山間部だったけど、それでも地盤が崩れちゃって、畑がダメになったと。本当に想像もつかないことばかりでした」

 当時20歳。中学2年生から上京して母親と暮らしていた。Hey!Say!JUMPとしてデビューして5年目を迎えていた。東北出身者としてできることはないか、考えを巡らせているさなか、ジャニーズ事務所が災害支援プロジェクト「マーチングJ」をたち上げた。

 「事務所がすぐに動いてくれたのは、本当にうれしかった。被災地に行けるタイミングになった時には、ジャニー(喜多川)さんがHey!Say!JUMPを宮城に連れて行ってくれたんです。夏ぐらい。多賀城の近くの海とかに行って、子供の頃の記憶と合わせても、知っている風景がなくなっている。津波で何もなくなったなと。ジャニーさんもメンバーも空気感に圧倒されて、ほとんど何もしゃべれなかった」

 「マーチングJ」は、ジャニーズの全タレントが参加する形で震災直後の4月1~3日、東京・代々木第一体育館前広場で募金イベントを行い、3日間で計39万人から総額1億1973万2100円が集まった。その後も継続的に支援イベントを実施。1年後にHey!Say!JUMPから4人が宮城を訪れるなど、東北の被災3県への募金を届けた。そうした活動が認められ、18年にはグループとして宮城県観光キャンペーンのキャラクターを託された。

 「宮城に足を運べる機会が増えたきっかけにもなりましたし、地元の方も喜んでくださった。以前からマネジャーには(東北での仕事を)入れてとお願いしていたんです」

 昨年、ミヤギテレビの特番「そこいけ!ごはんのお供隊」に出演するなど、東北での仕事も増えている。今年に入って、気仙沼を訪れる機会もあった。10年で復興は進んだが、街並みを見て感じる震災の“爪痕”もある。

 「しょうがないことだけど、復興してキレイな海の街という感じでした。キレイな高台もできて良かったと思うけど、昔はもっとレトロというか。そういう趣はなくなったことに、地元の漁師さんとかも少しさみしい気持ちもあると思う」

 自身が30代になったように、10年という月日で当時、幼かった子供たちも大きく育った。

 「震災10年ということで、こうやって改めて振り返るお仕事だったりがあるけど、思うことは、どうやって次の世代に伝えていくか。周りの大人だったり親の方に聞いても、どこまで伝えていいのか、難しいと。ただ振り返るだけだと、悲しい思い出になってしまう。前進していく上で、伝えていくことが大事なんじゃないかなと思います」

 震災を風化させない―。言うことは簡単だ。

 「宮城とか岩手は津波の被害があって、福島だと、また抱えている問題が違う。原発によって住めない地域だったり、そういう問題がある。ふるさとがなくなるって…。大人は頭で考えて分かったりする部分もあるけど、小さな子供には難しいと思う」

 八乙女は、どう伝えようと思っているのか。

 「祭りとかをすることによって、子供たちに伝えられるものがあると思う。例えば、岩手には『うごく七夕まつり』というものがある。震災の後、意味合いも変わってきて、被災された方にという思いもプラスされた。子供たちに、何でこういうお祭りをするのか、だったり。当時、高校生だったりした子供が、今の小学生に教えたりだとか。いろんなアプローチはあると思う。震災教育みたいなものも、時間がたってやっとスタート位置についたぐらいですかね。10年で」

 昨年は「うごく七夕まつり」だけでなく、コロナ禍で全国各地の祭りが中止を余儀なくされた。

 「コロナは全世界にとって初めてのこと。そう思うと、僕はそんなにマイナスに捉えていない。最初、何もできないじゃんって思ったけど、SNSを使って広めたりすることもできる。今も、こういうつらい時だからこそ、日本って支え合うんだなと思いました」

 今年、プロ野球・東北楽天ゴールデンイーグルスに田中将大投手(32)が帰ってきた。震災3年目の13年に初の日本一に導いて以来、米大リーグ・ヤンキースから8年ぶりの復帰。八乙女は、野球に詳しくないながらも東北人として熱狂。自身も東北出身のアイドルとして刺激を受けている。

 「みんな一緒になって何かやっているわけじゃないけど、一緒に頑張っている気持ち。(フィギュアスケート五輪2連覇中の)羽生(結弦)くんが頑張っている時も、なぜか僕も『ありがとう』という気持ちになった。震災に遭った人たちの中で、時は流れているけど、止まっているという状況もある。僕も寄り添って考えて、僕なりにやれることをこれからも見つけていければ」(紙面より)

 ◆紙面未収録インタビュー

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