三宅秀史氏を悼む 不慮の事故で途絶えた記録 「三宅の分まで頑張って」に奮起し、シーズン27勝を挙げた小山正明

2004年8月1日、701試合連続フルイニング出場の日本記録を達成した金本に花束を渡した三宅氏
2004年8月1日、701試合連続フルイニング出場の日本記録を達成した金本に花束を渡した三宅氏

 阪神は5日、球団OBの三宅秀史氏が心不全のために亡くなったと発表した。3日に三重県内の病院で息を引きとった。86歳だった。通夜、告別式は近親者のみで行われた。三宅氏は1953年から大阪タイガース(現阪神)の正三塁手として活躍し、「ミスター」こと巨人・長嶋茂雄を凌駕する抜群の守備範囲で遊撃・吉田義男、二塁・鎌田実とは、プロ野球史上最高の内野陣と評された。1957年にはベストナインに選出された。

 * * *

 1962年9月6日。川崎球場での大洋戦の試合前にキャッチボールをしていた際、その日先発予定の小山正明がキャッチボールをしていると、ボールが逸れて三宅の左目に当たった。面会謝絶の緊急入院。虹彩分離の重傷を負うと、以降は往年の輝きが失せていった。1957年7月15日から1962年9月5日にマークした700試合連続フルイニング出場は、2004年8月に阪神・金本に破られるまでNPB記録だった。

  • 左から三宅秀史三塁手、村山実投手、吉田義男遊撃手
  • 左から三宅秀史三塁手、村山実投手、吉田義男遊撃手

 自らも慶大、巨人で名三塁手だった水原茂は巨人監督時代、三塁コーチャーに立って間近でその守備を見ていた。「阪神タイガース50年史」の三宅の人物評には「長嶋が横っ飛びでファインプレーをする打球を、三宅は体の正面でなんなく捕球する。ゴロに対する出足、そのあとの処理、全てを総合すると、三塁の守備は三宅がナンバーワンだ」と評している。

 そんな不運な三宅だったが、彼にとってもその年チームが優勝したことはうれしい出来事だったはずだ。実はこの年、阪神と大洋は激しいつばぜり合いを繰り広げ、負傷する前の試合は2位大洋が首位阪神のエース・村山実を打ち込んで3ゲーム差に迫っていた。

 ボールを当てた小山は試合前、「秀さん(三宅の愛称)、大丈夫やろか、ワシはもうアカン。もう野球をやるのが嫌になった」とうなだれていた。しかし、藤本定義監督はその小山をマウンドに送り出した。ヘッド格の青田コーチが「なあ、小山。この試合は勝つんや。三宅の分まで頑張って勝利投手になるんや。そうすれば三宅が喜ぶんだぞ」と励ましたという。

 試合は小山が5安打10奪三振の熱投でこの年10度目の完封勝ち。試合終了は午後9時47分。小山は「これから病院に見舞いに行く」とヒーローインタビューを拒否。しかし、面会時間は午後10時までと聞かされて断念した。

 この年、小山はシーズン13完封のリーグ新記録を含めリーグ最多の27勝。アクシデントに負けなかった終盤のピッチングで村山と共にチームに優勝をもたらした。=本文中敬称略=

 蛭間豊章(ベースボールアナリスト)

2004年8月1日、701試合連続フルイニング出場の日本記録を達成した金本に花束を渡した三宅氏
左から三宅秀史三塁手、村山実投手、吉田義男遊撃手
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