憲剛が「人に感謝し、感動、感激を人に提供」してきたのは…ありがとう中村憲剛「14」の物語―2021年元日 川崎フロンターレを引退―

今年1月1日に現役を引退した元川崎MF中村憲剛氏
今年1月1日に現役を引退した元川崎MF中村憲剛氏

 J1川崎フロンターレのMF中村憲剛(40)が2021年1月1日の天皇杯決勝で18年の現役生活を終えた。憲剛と関わった人たちに、それぞれの憲剛を語ってもらう連載の第9回は父の中村憲英氏。人に感謝し、感動、感激を人に提供できるような人間になるのがいい―。座右の銘「感謝・感激・感動」を伝えたいきさつなどを語ってくださいました。(取材・構成 羽田 智之)

■のびのび育った

 憲剛は10年ぶりに生まれた長男です。赤ちゃんの時は姉2人がお人形さんを取り合うように、すごくかわいがっていました。幼稚園に入ったぐらいになると、すばしっこくて、気が強かったですね。負けず嫌いでもありました。将来、こういう人になって欲しいなどは考えた事はありませんでした。健康に育って欲しいという思いだけでした。僕は生まれてすぐ太平洋戦争が始まり、山口県に疎開し、祖父母と暮らした。厳しく育てられたわけではなく、のびのび育てられた。だから、憲剛にもがみがみ言うことはなかったです。箸の上げ下ろしなど、食事の時はきちんとしなさい。会話する時は相手の目を見て話しなさい。そういう基本的なことを言ったぐらいです。

 サッカーを始めたのは小学校1年の時です。ご近所に同い年の男の子が憲剛も含め3人いました。お母さんたちが何か運動をやらせたいという話をしているなか、誰かが府ロク(府ロクサッカー少年団)の情報を持っていた。3人一緒にいけるというので、サッカーになりました。妻が府ロクに入れたんです。当時は、長嶋さん、王さんの時代。キャッチボールもしました。だからといって、野球をずっとやらせることはなかったです。あくまで本人が何をしたいか。それがピアノでも良かったです。とにかく、元気に育ってくれればと思っていただけです。

■本格的に始めて

 中学に入って少しサッカーから離れる時期がありました。地元のクラブチームに入りましたが、うまくいきませんでした。そして、しばらくして中学の部活に入り、またサッカーをやり始めた。高校(久留米高校=現東久留米総合高校)から本気になった。その頃、「感謝・感激・感動」という言葉を伝えました。これは僕が中学1年生の時、祖母から「こういうことを大切に生きていけばいい」と教わった言葉です。人に感謝し、感動、感激を人に提供できるような人間になるのがいい―。高校に自転車で通い、サッカーをしている憲剛の姿を見て、本格的にやり始めたんだなと思い、伝えました。この「感謝・感激・感動」という言葉をサッカーマガジンで見つけた時は驚きました。彼のコラムのタイトル(「三感日―感謝・感激・感動―」)でした。それまで、この言葉について、憲剛と話したことはありませんでした。忘れるような言葉ではありませんが、選手になって中村家で受け継がれてきた言葉を多くの人に紹介してくれたのはうれしかったです。

 中央大学に進み、寮に入ったのが大きかったと思います。先輩、後輩をはじめ、縦と横の人間関係のなかで、色々勉強したと思う。卒業する前、中央大学新聞の記事を読んで、僕より人として大きくなったと思いました。3年生の時に関東大学リーグ2部に降格し、1年で昇格を勝ち取った。憲剛は主将としてインタビューに答えていた。謙遜しつつも、責任を果たせて良かったと話していた。後期リーグは4年生が3人しかレギュラーではなかった。出られない4年生もふくめ、チームを引っ張っていったんだなと思いました。もう、僕は彼に言うことはないなと思いました。

■10年後の楽しみ

 プロになりたいと聞き、ビックリしたことを覚えています。川崎フロンターレに入団が決まった時は家族全員が喜びましたし、それこそ感動しました。まさか、プロでやるとは思っていませんでしたから。当時の等々力は、今と違い、お客さんは3000人とか4000人でした。それでも、お金を払って、見に来てくれる方々の前でサッカーをやっている姿を見るとうれしかったです。1年目の鳥栖戦(2003年6月28日、6〇3@等々力陸上競技場)はよく覚えています。アウグストの左からのクロスを、右サイドにいた憲剛がダイレクトボレーでゴールしました。あっ、コイツ面白いな。昔から意外性のあるプレーをしていました。それがプロでもやった。面白い選手になるかもと思いました。

 引退セレモニーで龍剛(憲剛氏の長男)も言っていた通り、憲剛のサッカー人生は「出来過ぎ」です。引退セレモニーを開いてもらい、1万3000人もの方が集まってくださった。川崎フロンターレに入って、ジュニーニョに出会い、成長させてくれた。ジュニーニョは、憲剛に殴ってでもいいから要求してくれと僕からお願いされた、と言っていましたが、さすがに殴っていいとまでは言っていなかったと思います(笑)。憲剛の力をどんどん引き出してくれと言った記憶はあります。

 憲剛は子供の頃から、常にうまくなりたいと前を向いて生きてきた。僕が言ったわけではなく、自分で何をすべきか考えて前を向いてきた。人の意見も聞き、前に進むための材料にしてきたと思います。そこは頑張ったのではないでしょうか。第二の人生が始まりました。皆さんの期待もある。期待に応えられるよう、前を向いてやっていって欲しい。「KENGO Academy」(憲剛氏が主催するサッカースクール)などで、止める、蹴るというサッカーの基本を教えるなど、種まきをしています。10年後、子供たちがどう成長し、憲剛とどう関わるか。その時、憲剛が監督をやっていれば最高ですね。

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