【びわ湖毎日マラソン】鈴木健吾がアフリカ出身以外初の2時間4分台で優勝!「自分が一番びっくり」

日本新記録で優勝した鈴木健吾
日本新記録で優勝した鈴木健吾
新記録を表示した掲示板を指さす鈴木(代表撮影)
新記録を表示した掲示板を指さす鈴木(代表撮影)
男子マラソン記録のラップ比較
男子マラソン記録のラップ比較
鈴木健吾アラカルト
鈴木健吾アラカルト

 一般参加の鈴木健吾(25)=富士通=が2時間4分56秒の日本新記録で優勝した。日本人初、アフリカ出身以外でも初の2時間4分台で、昨年3月の東京で東京五輪代表の大迫傑(29)=ナイキ=がマークした2時間5分29秒を33秒更新。36キロ過ぎに一気にスパートすると大会記録も1分17秒塗り替えた。2024年パリ五輪を目指す25歳が、最後のびわ湖路に花を添えた。大会は大阪マラソンと統合され、22年からは大阪に舞台を移す。(曇り、気温7度、湿度57%、東北東の風1・2メートル=スタート時)

 気が付けば歴史を塗り替えていた。「勝ち切ることにこだわっていた」鈴木は、時計より5度目のマラソンでの初優勝へ黙々と走っていた。ところが独走態勢に入った終盤、沿道から突然ゲキが飛んだ。「(2時間)5分切れるぞ!」。記録を意識して奮起すると、残り2・195キロを驚異の6分16秒で走り抜けフィニッシュ。「記録には自分が一番びっくりしている」。最後のびわ湖路で日本新を打ち立て、サングラスを外して笑顔を見せた。

 勝負に出たのは36キロ過ぎだ。先頭集団3人のうち、鈴木だけが給水に失敗。普通は焦る場面だが「ここで行こう」と仕掛け、初めて先頭に立つと後続を引き離し、35~40キロのラップはこの日最速の14分39秒と圧巻のスピードだった。「匠吾さんのように一発で勝負を決めないと世界で戦えない」。1月20~29日まで鹿児島・徳之島で同じ所属の中村匠吾(28)と合宿。19年のMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)を制して東京五輪代表を決めた中村に刺激を受け、自己記録を5分以上更新した。

 順風満帆な競技人生ではなかった。神奈川大時代には箱根駅伝で活躍し、卒業前には東京マラソンにも挑戦。華やかな舞台にいたが「実業団1年目は股関節や膝のけがの繰り返し。公式戦にすら出られませんでした」と苦しんだ。ようやく本格的にマラソンに挑むも、積極性が裏目に出て中盤までに体力を消耗。指導する福嶋正監督(56)も「(集団で温存する)我慢という言葉を知らなかった」と、同じパターンで失速していたが、この日は先頭に出たい気持ちを抑え続け、勝負どころを見極めた。

 中村を指導する駒大の大八木弘明監督(62)は「匠吾と走って、練習が自信につながると感じたと思う。2人でパリ五輪に行けたら最高」と評価する。東京五輪は中村、服部勇馬、大迫傑が代表に決定しており、狙うのはパリ五輪。鈴木も「五輪で日の丸をつけて戦えるように少しずつ力をつけたい。それまでにマラソンで上の記録を狙いたい」と貪欲だ。ただ2時間4分56秒は世界では歴代57位タイ。学生時代の合宿では食事時間に遅れるほど走り込んだ練習の虫は「世界との距離を埋めていきたい」。その目は既に、さらなるステージを見据えていた。(太田 涼)

 ◆「最後のびわ湖」は風なし最高の条件

 〇…“最終回”となったびわ湖での開催は過去最高のコンディションに恵まれた。湖畔コースは風が強く記録が出にくいと言われてきたが、この日は風は弱く、天候は曇り、気温は午前11時半で10度、湿度50~60%の好条件。ペースメーカーも正確なラップを刻み、厚底シューズ効果も健在だった。例年は3月第1週の東京マラソンが10月に延期されたことで国内トップの選手が集い、大会過去最多となる42人がサブテン(2時間10分切り)というハイレベルなレースになった。

 ◆鈴木 健吾(すずき・けんご)1995年6月11日、愛媛・宇和島市生まれ。25歳。全国高校駅伝に出場経験のある父・和幸さん(50)の影響で、番城小時代に陸上を始める。宇和島東高3年時に全国高校総体5000メートル10位。神奈川大へ進み、箱根駅伝は1年6区19位、2年2区14位、3年2区1位、4年2区4位。18年に富士通に入社し、今年のニューイヤー駅伝は6区区間賞でチームの優勝に貢献。1万メートルの自己記録は27分49秒16。好きな食べ物は愛媛名物のみかん。163センチ、48キロ。

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