大仁田厚、ミスターデンジャー松永光弘さんにデスマッチオファー…ステーキ食リポしながら復帰のススメ

日本初の有刺鉄線デスマッチで戦った松永光弘さん(左)と再会した大仁田厚
日本初の有刺鉄線デスマッチで戦った松永光弘さん(左)と再会した大仁田厚

 元参院議員でプロレスラーの大仁田厚(63)が、1989年に日本初の有刺鉄線デスマッチを戦った相手である松永光弘さん(54)が経営するステーキハウス「ミスターデンジャー」(東京・墨田区立花)を初訪問し、デスマッチへの思いを語り合った。松永さんは大仁田のFMWでデビューし、W★ING、大日本プロレスなどライバル団体のデスマッチ王として対抗。2009年に引退しているが、大仁田は、昨年から延期になっている「電流爆破デスマッチ30周年全国ツアー」での復帰プランを提案した。

 大仁田は1月27日に始めたばかりのYouTubeチャンネル「大仁田厚のファイヤーTV」の企画で松永さんの店「ミスターデンジャー」を訪問した。「24年来の再会」と説明しているが、共通のライバル、ミスター・ポーゴ(関川哲夫さん、享年66)が亡くなった17年に対面しており、松永さんが97年に同店をオープンさせて24年にして初来店という意味だ。ステーキ&ハンバーグの食リポなど3回にわたって公開している。

  • 「デンジャー手作り粗挽きハンバーグ」(左)と「デンジャーステーキ」を実食した大仁田厚
  • 「デンジャー手作り粗挽きハンバーグ」(左)と「デンジャーステーキ」を実食した大仁田厚

 「こうやって会えるのも裏切ってないから」と松永さんを認めている大仁田。“デスマッチの教祖”として、平成のプロレス史を刻んだ大仁田が、日本初の有刺鉄線デスマッチを戦った相手が松永さんだった。89年(平成元年)12月10日のFMW後楽園ホール大会で、誠心会館の空手家だった松永さんは、ジェリー・ブレネマンと組んで、大仁田、ターザン後藤組と異種格闘技有刺鉄線タッグデスマッチを戦った。松永さんは2か月前にプロレスデビューしたばかりだった。

 有刺鉄線で囲ったリング(ロープはあった)で、大仁田は額、腕から流血しながらもブレネマンにKO勝利。この試合の成功が、90年8月4日の史上初のノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ(対ターザン後藤、レールシティ汐留)へと発展した。

 FMWを離れ、W★INGや大日本プロレスで独自のデスマッチを模索した松永さん。「大仁田厚の二番煎じだけど、電流爆破じゃない違うデスマッチを考えた」と蛍光灯、サボテン、ピラニア、サソリなど奇天烈(きてれつ)なデスマッチを考案し、自ら犠牲になった。その数、約23種類。中でも畳針(剣山)デスマッチは「地獄だった」という。

 デスマッチヘビー級王者とステーキハウスを両立した時期もあったが、09年に引退。「最初の1年は戻りたくて仕方なかった」という松永さんに、7度引退し7度復帰している大仁田は「俺はしょっちゅう戻ってるけどね。人が何と言おうが自分の人生だから」とプロレスラーの現役復帰を正当化した。

 昨年予定していた「電流爆破デスマッチ30周年全国ツアー」がコロナ禍で延期になったまま。「松永選手が戻ってきて俺とやれば、そこそこの客は入るだろうね」と大仁田はこの機に乗じてオファーしたが「12年も離れてたら無理ですよ」と松永さんはきっぱり断った。それでも「松永選手が考案したデスマッチを大仁田厚がやるっていうのはどうか。それで1試合ぐらいはゲストで出てもらう」と勝手に構想をぶちあげていた。(酒井 隆之)

 ◆ステーキハウス「ミスターデンジャー」立花本店 東京都墨田区立花3の2の12(TEL03・3614・8929)。デンジャーステーキ(300グラム、1940円)、ジャイアントハンバーグ(300グラム、1280円)など。午後5時開店、水曜定休。東武亀戸線「東あずま」駅から徒歩5分。

  • ウシのオブジェなど危ない雰囲気のステーキハウス「ミスターデンジャー」立花本店を初訪問した大仁田

    ウシのオブジェなど危ない雰囲気のステーキハウス「ミスターデンジャー」立花本店を初訪問した大仁田

日本初の有刺鉄線デスマッチで戦った松永光弘さん(左)と再会した大仁田厚
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ウシのオブジェなど危ない雰囲気のステーキハウス「ミスターデンジャー」立花本店を初訪問した大仁田
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