【センバツ】大崎は島“希望の星”の公立校…クラブ活動を島民が支援、初戦は福岡大大濠

島からの甲子園大会出場
島からの甲子園大会出場
決意を記した秋山主将
決意を記した秋山主将

 第93回センバツ高校野球大会(3月19日から13日間・甲子園)の組み合わせ抽選会が23日、オンライン形式で行われた。昨年は、新型コロナウイルスの影響で史上初の中止。2年ぶりの大会となる。長崎西海市の北西部に浮かぶ大島から甲子園に初めてやって来る大崎は、21日の第3日第2試合で、九州大会の決勝で破った福岡大大濠と再び戦う。全校生徒114人の公立校。少子高齢化の悩みを抱える島の“希望の星”として、熱い応援を受ける全員が長崎県内出身の選手は、恩返しの思いを胸に、夢舞台でプレーする。

 島の人々のために全力を尽くす。抽選会を終えた大崎の秋山章一郎主将(新3年)は、改めて心に誓った。「出場が決まって、たくさんの方に『頑張って』と声をかけてもらっています。感謝の気持ちを忘れず、一戦必勝で頑張ります」

 人口約5000人の島民にとって、大崎を支援することは日常となっている。寮には頻繁に差し入れが届き、手作りの昼食会に招待されることもある。秋山は「応援してもらうと、練習でも気持ちが上がっていくんです」と、ありがたみを実感している。

  • 島民手作りの昼食を受け取る選手たち

    島民手作りの昼食を受け取る選手たち

 大島は炭鉱の町として栄え、社会人チームもあったことから野球が盛んだった。1962年夏の西九州大会では準優勝に輝いたが、70年に閉山すると人口が減り、多い時は1000人を超えていた生徒数が、現在は114人に。廃校の危機に直面していた学校に活気をもたらそうと西海市が招いたのが、清水央彦(あきひこ)監督(50)だった。

 同じ長崎の無名の県立校だった清峰のコーチ、部長としてチームを強化し、甲子園に4度導いた敏腕指導者が大崎でコーチを始めたのが17年秋。当時の部員は5人だけだったが、18年春に監督に就任すると県内の有望選手が島に集まるようになり、昨夏の代替大会で優勝。昨秋は九州大会も制し、わずか3年で甲子園出場を果たした。

  • わずか3年で大崎を甲子園に導いた清水監督

    わずか3年で大崎を甲子園に導いた清水監督

 「甲子園優勝を『10』、出場できるレベルを『8』として、私たちはゼロからのスタートでした。1年で『1』を積み上げれば、うまくいった方なのに、今の3年生は2年半で『7』を積みました。そのうちの『3』は、周りの人の応援や、施設などのバックアップのおかげだと思っています」と清水監督。センター120メートル、両翼94メートルの大島若人の森野球場を優先的に使用し、かつての市営住宅で寮生活を送っている。

 初戦の相手、福岡大大濠に九州大会決勝では5―1で完勝したが、互いにエースは登板していなかった。「相手は冬に力をつけて出てくると思いますが、自分たちだけでなく、いろんな方と一緒に戦ってきます」と、秋山は表情を引き締めた。島民の愛という無形の力に支えられ、“オール大島”で歴史的勝利を目指す。(浜木 俊介)

  • 地元の小学生から応援を受ける大崎ナイン(カメラ・浜木 俊介)

    地元の小学生から応援を受ける大崎ナイン(カメラ・浜木 俊介)

 ◆元市営住宅で寮生活 西海市が、かつて市営住宅だった建物を提供し、清水監督と全部員が住む。隣の蛎浦島(かきのうらしま)にあり、3階建ての3LDKに、4人ずつ暮らしている。

 ◆移動手段は自転車 大島の面積は約12平方キロメートル。寮から学校への約3キロ、学校から大島若人の森野球場までの約2キロは、全て自転車で移動する。寮は高台にあり、急勾配を駆け上がる。

 ◆休日はコンビニへ 数少ない完全オフの日は、ほとんどの部員が自転車で約45分のコンビニへ向かう。「甘いものを食べるのが楽しみ」と、秋山主将。

 ◆大崎 長崎県西海市の県立校。西彼杵(にしそのぎ)半島の西側から橋を2つ渡った大島にある。1952年創立。大島町と隣り島の崎戸町の頭文字を取って命名された。野球部は60年に創部。現在の生徒数は114人。うち29人が野球部員。著名な卒業生に、元NHKアナウンサーの秋山浩志氏。

センバツ日程
島からの甲子園大会出場
決意を記した秋山主将
島民手作りの昼食を受け取る選手たち
わずか3年で大崎を甲子園に導いた清水監督
地元の小学生から応援を受ける大崎ナイン(カメラ・浜木 俊介)
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