弟分の田坂祐介氏が明かした2人で泣いた夜…ありがとう中村憲剛「14」の物語―2021年元日 川崎フロンターレを引退―

今年から川崎のFROを務める中村憲剛氏(左)とスカウトの田坂祐介氏(右)
今年から川崎のFROを務める中村憲剛氏(左)とスカウトの田坂祐介氏(右)

 J1川崎フロンターレのMF中村憲剛(40)が2021年1月1日の天皇杯決勝で18年の現役生活を終えた。憲剛と関わった人たちに、それぞれの憲剛を語ってもらう連載の第8回は川崎フロンターレ強化部の田坂祐介氏(35)。現役時代、伊藤宏樹、中村憲剛と“三兄弟”と言われるほど仲が良かった。くしくも、憲剛と同じ昨季限りで引退し、今年から川崎のスカウトに就いた。運命的な出会いから、感謝の気持ち、そしてこれからの3人について語ってもらいました。(取材・構成 羽田 智之)

 ■綾町の部屋での会話

 憲剛さんと初めて話したのは、青学大3年生の時、2007年1月の宮崎・綾町キャンプに参加した時だと思います。宏樹さん(川崎・伊藤宏樹強化部長)、憲剛さん、そして広島ユースで同期だった西山(貴永)と同じ部屋でした。宏樹さんと憲剛さんは、フロンターレはこういうクラブ、チームだよという話をしてくれた。05年にJ1に昇格し、勢いもあり、今年はACL(アジア・チャンピオンズリーグ)にも出るけど、3000人の観客の時から頑張ってやってきたというような話です。もちろん、どこのクラブの練習に参加した?どこから誘われている?とかも聞かれましたけど、地域密着というか色々なイベントもやっているとか、フロンターレがどういうチームかという話が多かった。今思えば、その部屋がその後を決めたというか、運命的なものを感じますね。

 2人とはすぐ仲良くなりました。3年目ぐらいから、宏樹さん、憲剛さんとお昼ご飯に行くようになりました。なぜかは分かりませんけど、気があったというのはあると思います。ちょっと生意気なのも許してもらっていました。宏樹さんには生意気なことを言わないですよ。憲剛さんが宏樹さんに生意気なことを言って、それをオレが見て、憲剛さんに言う。ため口とかもあったかもしれないですけど、基本は敬語ですよ(笑)。

 ■認めてジュニーニョ

 憲剛さんには試合中によく怒られました。プロのデビュー戦(08年4月29日、名古屋戦@瑞穗陸)で、途中から入っていきなり抜かれたんです。「腰、落とせー」って言われました。上体が高かったんだと思います。こんちきしょー!次、うまくやってやる!そう思ってやっていましたね。オレも言い返したりしました。自分が手応えつかみ始めた10年ぐらいからですね。それまではついて行くので精いっぱいでした。私生活で信頼関係を築けていたから言えたのかなと思います。

 2部練習のお昼休みに喫茶店に行ってサッカーの話をしました。憲剛さんがボランチ、オレがサイドハーフで出ることが多く、ゴールに絡むようなプレーをしろと口酸っぱく言われた。パスをもらうタイミング、止める技術などもアドバイスされたんですけど、ジュニーニョについてすごく相談したんです。最初、ジュニーニョに走ってもらえなかったんです。得点に絡むためにはジュニーニョに合わせるというのは避けて通れない。どのタイミングでジュニーニョを見て、どのタイミングでパスを出すんですか? そういう事をめっちゃ聞きました。

 ジュニーニョは誰にボールが入った時に動き出せばゴールできるかというのを見計らっている。パスが出てこない人の時に動いても、タイミングもスペースも消してしまうわけですからね。自分がボールを持った時、ジュニーニョにチャンスと思ってもらうにはどうしたらいいか。憲剛さんとジュニーニョのホットラインは相手が一番警戒し、封じようとしてくる。それを見ていて、自分がジュニーニョにパスを出せるようになればチャンスになると思って、結構頑張りました。憲剛さんからは、走り出す前にパスを出していいよ。相手と並んでいたらジュニーニョが勝つからと言われました。走ってくれるようになりました。

 ■思いとどまった移籍

 ボーフムにいた時(12年7月~15年6月)も連絡は取り合っていました。フロンターレのハイライトを見て、連絡しましたね。悪い時が多かったです。どうなってるんですか? ちゃんとやってくださいよって感じです。うるせーよって返ってきますけど(笑)。フロンターレに復帰する1年前、ほかのクラブからオファーをもらいました。フロンターレに戻ることができればいいんですけど、その時は移籍金が発生した。それでもオファーをくれたクラブがあったんです。ボーフムで行き詰まっていた時でした。助っ人なのに勝利に導けないモヤモヤもあり、残留争いしている。早く1部に行こうと思ってやっていたなか、個人としても残留争いするチームでしかやれていない。自分が生きるサッカーでもなかった。環境を変えるのはアリかなと思っていました。それで憲剛さんに相談しました。そうしたら、もう1年やりきってうちに戻ってくるのがベストなんじゃないかと言われた。移籍にかたむいていましたけど、思いとどまりました。

 ■何かあった時は横に

 15年の夏に戻ってきました。宏樹さんが引退する時(13年シーズン限りで現役引退)はフロンターレにいたと思っていたんですけどね。最終戦のセレモニーは映像で見て涙が出たことを思い出します。宏樹さんがいなくなり、憲剛さんはどこかさみしそうだった。いつも、あの2人はセットだったのに、1人になっていた。違和感がありましたね。憲剛さんがみんなに気を使うようになっていて。1人でフロンターレを背負っているなと感じました。オレに出来ることなんてないですが、何かあった時は横にいようと思いました。

 鮮明に覚えていることがあります。17年の元日、天皇杯決勝でアントラーズに負けて、大阪から帰る新幹線。隣に座っていた憲剛さんが「オレ、36だよ」とボソッと言ったんです。当時、憲剛さんは、風間さん(風間八宏前監督)になって自分史上最高を更新し続けているみたいな感じで、それにつられてチームもどんどんクオリティー上がっていった。そして、風間さんの最後の試合で勝てなかった。新しいシーズンは鬼さん(鬼木達監督)が監督になるって決まっていた。監督がかわって新しいチームになると、最初苦労するのが普通です。積み上げていかないといけない。タイトルとるには、またそういう時間が必要なのかって。それはお互い感じていたと思う。そういうなかで、「オレ、36だよ」と言った。それを聞いて、あいづちを打つぐらいで何も言えなかった。すごい責任を背負っていたんだなとひしひしと感じた。タイトルに見放されているのを背負っていたんだと思いました。

 風間さんから自分のプレーに集中すればいいんだよと言われて、憲剛さんもそうしていたと言うけど、キャプテンマークを巻いている以上、重圧は必ずある。それが新シーズン、悠(小林悠)がキャプテンになり、分散した。いい意味でプラスに働いたと思います。そこからの連覇。悠は自分の形を見つけたんだと思う。憲剛さんは否定するかもしれないけど、少し楽になったんじゃないですかね。キャプテンしていた時とやること変わらないし、そういう振る舞いをするけど、キャプテンマークを外したのは大きかったと思います。初優勝した時、フロンターレに戻ってきて良かったと思いました。何回たたいても壊れなかった壁が崩れたという感覚。憲剛さんは「帰ってきてくれてありがとう」と言ってくれました。

 ■フロンターレは青春

 18年限りでフロンターレを退団することになりました。選手会の納会で、USJに行って有馬温泉に泊まった。退団、移籍する選手がその時しか出来ない、腹を割った話をするなかで、憲剛さんと話をして、泣きました。憲剛さんも号泣じゃないけど涙を流していた。ドイツでは、ある日突然選手がいなくなっていることもあるし、結構ドライです。フロンターレは違った。青春みたいですね(笑)。

 ■出会えたことに感謝

 憲剛さんと同じシーズンに引退しました。憲剛さんはまだ出来ると思った。リハビリして復帰してすぐだったし、正直、それでいいんですかと思いました。やればやるだけ、パフォーマンスは上がっていくだろうし、新シーズンはキャンプからしっかりやればフル稼働できるはず。自分も同じけが(2019年6月、右膝前十字靭帯損傷、右膝内側側副靭帯損傷、右膝内側半月板損傷で手術)をして、復帰して半年ぐらいは探り探りやっていたから、分かる。でも、最初から決めていたからと言うから、何も言えなかった。自分もその時、どうするか悩んでいたから、憲剛さんに話しました。

 欲を言えば最後のシーズンはどんな試合でもいいので同じピッチに立ちたかったです。宏樹さんの時もそう思っていました。先輩のなかでも、一緒にいた時間は2人が群を抜いて長い。自分の人生の節目、結婚式にも立ち会ってもらった。フロンターレへの入り口に2人がいた。恩を感じていますし、感謝しています。でも、オレは2人を送り出すことができなかった。罪悪感じゃないですけど、やりきれない思いはありましたね。2人に出会っていなかったら、人生が変わっていたのは間違いない。この道を選んで良かったと思っています。

 ■喫茶店ミーティング

 フロンターレが毎年タイトルをとるようなチームになったのは宏樹さん、憲剛さんの力があったからだと思います。地域の人と関わりながら強く大きくなってきた。これからもそう。そういうクラブにいられた。だから有馬温泉で泣いたんだと思います。いられなくなると考えたら、さみしくなったんです。そういう土壌を2人が耕してきた。だから、自分も大事にしたいなと思ったし、後輩に伝えないといけないと思ってやっていました。もちろん、今もそうです。

 今年からフロンターレでスカウトになり、また3人になりました。今後に関しては、オレと宏樹さんはなんとなく読めるけど、FRO(フロンターレ・リレーションズ・オーガナイザー)って何なんですかね(笑)。ただ、立場を変えながらも、フロンターレを大きくして発展させていきたいという思いは一緒。昔みたいに喫茶店でミーティングしないといけないですね(笑)。そういう日も近いと思います。

 〇…田坂氏は今年、川崎フロンターレのスカウトに就いた。「まだ手探りです。建さん(向島建スカウト)にくっついて、人を紹介してもらって、勉強していかないといけない」。これからは、高校、大学の試合会場に足を運び、フロンターレを背負っていく人材を探す。「建さんの見る目、どういうところに注目すればいいかはすごく勉強になります。自分が見るポイントが違うかもしれないですし、違いはあっていいと思います。そこをすりあわせながらやっていきたいです」。

 ◆田坂 祐介(たさか・ゆうすけ)1985年7月8日、広島市出身。サンフレッチェ広島ジュニアユース、同ユース、青山学院大を経て、2008年に川崎入団。12年7月、ボーフム(ドイツ)に移籍。15年6月、川崎に復帰した。18年シーズン終了後、契約満了で川崎退団。J2千葉に入団し、20年シーズンをもって現役を引退した。21年1月から川崎のスカウト。

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