【1990年2月11日】無敵タイソンがKO負け「ボクシング史上最大の番狂わせ」

スポーツ報知
タイソン対ダグラス

 5万1600人を集めて行われた東京ドームでのプロボクシング試合で、世紀の大波乱が起きた。WBA、WBC、IBF統一世界ヘビー級王者マイク・タイソン(当時24歳)がWBA4位、WBC3位のジェームス・“バスター”・ダグラス(同29)=ともに米国=にKO負けし、王座から陥落した。ある通信社は「ボクシング史上最大の番狂わせ」と速報を打電した。

 タイソンの2度目となる日本での防衛戦。1988年3月21日の、最初の来日戦では、元WBA王者トニー・タッブス(米国)に2回KO勝ち。鮮烈な試合を日本のファンの目に焼き付けた鉄人だったが、2年後の王者は別人のような試合をした。180センチ、100キロのタイソンより11センチ、5キロと体格で上回る挑戦者は速いジャブを突き、序盤から積極的に攻撃を仕掛けた。王者は8回残り5秒、右アッパーでダウンを奪ったものの、レフェリーはタイムキーパーが「4」を告げた時から数え始めてしまった。ダグラスが立ち上がった時にはカウント8。本来、ダウンしてから11秒も経過していたのに、試合は続行となった。

 息を吹き返した挑戦者は10回、右アッパーでタイソンをグラつかせると、連打から強烈な左でダウンを奪った。ここまで37戦全勝33KOと無敗だった最強王者にとって初の屈辱。リング上で大の字になったタイソンの口からはマウスピースが飛び出した。1分23秒、ダグラスのKO勝ち。タイソン陣営は試合後、8回のロングカウントを抗議し、WBAとWBCが結論を持ち越したが、後に裁定通りの結果が認められた。タイソンは3団体統一王座7度目(WBCは10度目、WBAは9度目)の防衛に失敗した。

 思えば、大雪で一時成田空港が閉鎖されて1時間以上も到着が遅れた来日時から何かチグハグだった。試合の26日前に日本に来たのは、時差調整などの意味合いもあったが、体調を万全に仕上げるのが目的だった…はず。だが、来日2日目のスパーリングで“仮想ダグラス”として呼んだ無名選手の左ジャブに苦戦してグラつく場面もあって、急きょ練習は中止となった。6日後のスパーでは元WBA王者グレッグ・ペイジ(米国)の右フックで生涯初のダウンを喫した。その後の公開スパーでもペイジの左に大きくよろめき、中断するなど“らしくない”姿が続いた。

 一方で、練習後にハイテンションな姿を見せた日もあった。前WBC王者トレバー・バービック(カナダ)らスパーリング・パートナーらと談笑する中、有名ボクサーの物まねを始めた。何と、自身との試合(86年11月のWBC王座挑戦)でダウンする王者バービックの物まねも本人の前で披露していた。私のでっぷりとしたおなかをさすってくるなど、日本人記者ともスキンシップをとった2年前のように本来の明るいタイソンが戻ってきたと思ったのもつかの間、翌日からピリピリモードが再開した。

 ダグラス戦の8回、タイソンがダウンを奪うと、私は「勝った」と思い、リングサイドへ猛ダッシュ。米国ケーブルテレビのゲストに呼ばれていた、後の統一王者イベンダー・ホリフィールド(米国)のコメントを取ろうと声を掛けた。振り向いた彼は、人さし指を口に当てた後、リングを指さし「まだ終わっていないよ」。オーバーカウントで、タイソンのKOは幻となり、そのままホリフィールドの背後で待機した。10回、ダグラスがKO勝ちすると、ホリフィールドが再びこちらを向いたが、記者と同じように口をあんぐり開けていた。一瞬、黙って見つめ合った時のホリフィールドの表情が、31年たった今でも忘れられない。

(記者コラム・谷口 隆俊)

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