北澤豪と100万人の仲間たち<4>「絶望のどん底に届いたカンボジア行きのオファー」

スポーツ報知
痛みに耐えてリハビリに臨む北澤=本人提供=

 元サッカー日本代表、北澤豪氏(52)は波瀾万丈の競技人生を疾走し、現在は世界の子どもたちを支援する環境づくりを目指している。その軌跡とビジョンを、ノンフィクション作家の平山讓氏が独占取材。毎月10日と25日に公開し、長期連載する。

 2000年のナビスコカップ(現ルヴァンカップ)初戦、相手選手の後方からのタックルを受けた北澤豪は右膝を負傷した。翌日クラブは帰京せず、2日後にアウェーで行われるリーグ戦の対ヴィッセル神戸戦のために鳥栖から神戸へと新幹線で移動した。彼はしかし、次戦の出場どころか歩行さえままならず、関西の病院で精密検査を受けることになった。その病院へ向かう前、介添のチームドクターから思わぬ提案を受けた。

 「清水寺へお参りに行こう、精密検査でいい結果が出るように、と。きっと、ドクターはわかっていたんでしょうね。僕の膝がもう駄目だということを。だけど、それでもなんとかしてあげたいという思いが、あったのかもしれませんね」。

 奇しくもサッカーのスターティングメンバー数と同じだけの顔を持つ十一面千手観世音菩薩を本尊とする古寺で、松葉杖を脇に挟んだ彼は静かに掌(てのひら)を合わせた。

 しかし、祈りは通じず、精密検査の結果は右膝前十字靱帯部分断裂という重傷だった。前十字靱帯は前方や左右への膝の捻(ね)じれを防ぐなど、立位や歩行時の安定に重要な役割を担っている。その一部が断裂していることで、このままでは日常生活さえままならないという。

 帰京後、都内の病院へ入院して手術を受けた。部分麻酔のために術中の様子が自身で見られただけでなく、ベッド上で執刀医から重要な判断を求められた。

 「膝を開いてみると、靱帯が半分ほどしか切れていないから、縫合するか、そのまま保存療法で自然治癒を待つか、どちらにするか訊(き)かれて。当時は縫合手術をしたら再起が難しいといわれていたので、そのまま閉じてください、と答えました。でも保存療法でも再起までには1年以上はかかると聞かされて、ショックでした。怪我をした事実を変えられるはずもないのに、受け容れることができなくて。サッカーを始めて以来、大きな怪我なんかなかったし、長く休んだこともないから、ひどく落ちこみましたね」。

 失意の手術から8か月が経過し、検査で靱帯が自然治癒でつながったことが確認された。恐る恐るサッカーボールを蹴ってみると愕然とさせられた。

 「痛いんです、右膝が。一球一球、蹴るたびに痛くて。それだけじゃなく、ボールのタッチも微妙に変わってしまっていて、以前のようにはプレーができないという現実を突きつけられました」。

 しかもサッカーばかりか、歩行時にも痛みを感じた。それでもリハビリテーションで歩き続けていると、膝に関節液が溜まって腫れあがった。朝目覚めると、まず膝の痛み具合を確認することが日課になった―それは20年が経過した現在でも続いている―。

 「変な話ですけどトイレで立っているとき、今日も左重心でしか立てていないな、と思うわけです。遊びでサッカーをやるならいいんですけど、そうじゃない、仕事でしょ。こんな膝になってしまって、お金をもらってお見せするようなプレーなんて、とてもじゃないけどできるわけがないじゃないかって。医師から告げられた再起までの『1年以上』が、1年なのか、もっともっと先になるのか、焦燥感と不安感が募るばかりで、どうしたらいいかわからなくなってしまいましたよね」。

 2000年のJリーグ、シーズン序盤で北澤が離脱してしまったヴェルディは、ファーストステージが9位、セカンドステージが10位と低迷した。張外龍(チャン・ウェリョン)監督が辞任し、翌2001年からはJリーグ開幕時の指導者である松木安太郎が監督として復帰することが決定した。ともに数々の栄冠を掴(つか)んできた唯一の黄金期メンバーで、しかもキャプテンを務める北澤にかかる期待は大きかった。さらにクラブは同年2月に東京移転を控え、呼称も「東京ヴェルディ1969」に変更されることが決定していた。彼の再起は、自身の問題にとどまらず、クラブ全体の関心事もなっていた。

 「それでも、膝の具合はまったく改善されませんでした。体に痛みがあると、心までネガティブになってきて、自分自身を責めたり、追いこんだりしてしまうんです。なぜあんな怪我をしたのかとか、手術の判断を誤ってしまったんじゃないかとか。それもこれも、こんな膝でプレーをしなければならないせいだって、サッカーをやること自体が、もう苦痛でしかなくなっていきました。あれだけ大好きだったサッカーなのに、いつのまにか嫌いになってしまいそうで…」。

 2001年1月、鬱々とした日々を送る彼のもとへ、一本の電話がかかってきた。それは日本サッカー協会からで、そのときの彼にとってはあまりにも皮肉な提案だった。

 「カンボジアへ行ってくれないか、と。サッカーボールを届けてほしい、というんです。カンボジアにサッカーが大好きな子どもたちが待っているから、と。なんだよ、それって。だって、いまの僕は、サッカーが嫌いになってしまいそうで、もうボールを蹴りたくないというどん底の状況なんですよ。それなのに、サッカーが大好きな子どもたちへボールを届けてくれだなんて、なんだよ、それって…」。

 サッカーを職業とする、しかしサッカーができずにいるJリーガーは、その場で返事をせずに電話を切った。(敬称略)=続く=

 〇…カタールでのFIFAクラブワールドカップが大詰めを迎える中、北澤氏は11日の決勝もテレビ解説(日テレ系列)を務める。また、欧州チャンピオンズリーグの決勝トーナメントを控える14日は、WOWOWの特別番組に登場、さらに17日は注目カードのバルセロナ×パリ・サンジェルマンを解説する。20日はゼロックススーパーカップの川崎×G大阪(日テレ系列)を解説する予定だ。

 ◆平山讓(ひらやま・ゆずる) 1968年、東京生まれ。作家。ノンフィクションや実話を基にした物語を数多く手がける。主な著書は「ありがとう」(講談社/東映系にて全国ロードショー)、「ファイブ」(幻冬舎/NHKにてドラマ化)、「4アウト」(新潮社)、「パラリンピックからの贈りもの」(PHP研究所)、「中田翔 逃げない心 プロ野球選手という仕事」(主婦と生活社)など多数。

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