工藤公康との初バッテリー「11回くらい首を振られました」…元日本ハム捕手・黒羽根利規氏インタビュー(上)

スポーツ報知
2011年、DeNA時代の黒羽根捕手

 昨季まで日本ハムでプレーした黒羽根利規氏(33)が、第2の人生を歩み始めた。昨季限りで現役を引退し、BC栃木のバッテリーコーチに就任した。15年にわたる現役生活の中での経験や苦労話、指導者として歩み出す今後に向けての目標などを3回に分けてお届けする。第1回は現役生活を支えた変化の大切さと、好投手たちとの思い出について。(取材・小島 和之)

 電話口から聞こえてくる黒羽根氏の声は、とても明るかった。05年に高校生ドラフト3巡目で横浜(現DeNA)に入団。14年には自己最多の109試合に出場し、17年途中からは日本ハムへトレード移籍。昨季限りで現役生活を終えた。多くの時間を野球に打ち込む生活を終えた今、気持ちの切り替えはできているのだろうか。

 「結構、すんなりと。トライアウトを最初は受けるつもりはなかったんですが、やっぱり受けておこうと。そこから1ケ月間はほぼ休みなしでトレーニングをして、自分を追い込めた。(獲得の)話がなくても前に進めたという1か月の過ごし方ができて、『これでダメならしょうがない』という腹のくくり方ができた。その期間があったから、すんなりコーチという仕事ができているのかな、と」

 捕手として15年間を過ごす中で、多くの教えを授かった。10~20代を過ごした横浜(DeNA)時代には、近鉄などで捕手として活躍した山下和彦氏(当時はバッテリーコーチ)からの助言を受け、それが捕手として生き抜く上での支えになったという。

 「山下さんには『お前、いま何歳だ。キャッチャーは性格が悪くないとできないんだ。お前は人が良すぎるから、それを変えろ。性格は20数年生きてきて変えられないんだから、ユニホームを着た時には考え方だけでも変えろ』と言われ、確かにと思った。性格は変わらないけど、考え方は変えることができるな、と。今もその言葉は何かあるごとに思い返しています」

 多くのエースとのやりとりも、捕手として成長する過程では大きく影響した。通算224勝を誇る工藤公康(現ソフトバンク監督)や、通算172勝の三浦大輔(現DeNA監督)とのやりとりが印象に残っている。

 「初めて工藤さんと横浜スタジアムでバッテリーを組んだ時は、11回くらい首を振られました。シュートのサインが出てこなくて、タイムを取ったら『バネ、ちょっと来い。シュートだよ』と。ここでシュートなんだと、自分の頭にないところでこの球かと感じました。三浦さんと組んでいた時には、右投手の対左打者への攻め方の引き出しが増えたかなと思います」

 最高の結果を生み出すためには、投手と捕手の共同作業が欠かせない。好投手からは、細かな確認作業の重要性も学び取り、自分自身を変化させていった。

 「投手がこの場面でこのボールに首を振ったとしたら、イニング間に絶対に、何であの球に首を振ったのかを確認しに行けと言われました。僕はこう思ったのでこの球を要求したんですけど、なんでこの球だったんですか?と。聞くことによって、こういう場面でこの投手はこの球が投げたいというのが分かってくるんです」

 お互いの思考をすり合わせていくという地道な作業の先には、予想以上の結果が生まれることが多かったという。

 「この場面はここでしょ?というサインの出し方をすると、投手も『そう、それ!』という感じになる。そういう時はほとんど打たれない。それこそ全く同じボールでいっても、首を振ってなのか、首を振らずになのかで被打率は全然変わる。そういう意思の疎通が取れていると不思議なことに結構、抑えられる」

 最も印象に残っている試合を聞くと、三浦と1軍戦で初めてバッテリーを組んだ試合を挙げた。

 「球場は相模原だったかな。1対0で勝ったんですよ。初めて三浦さんと組んで、6回無失点で抑えて勝った。自分も盗塁やピックオフで走者を刺して、打てなかったけど守備で貢献できて、三浦さんに勝ちがついた。それが1番かなと思います」

【(中)へと続く】

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