憲剛を発掘した川崎の前GM・庄子氏は「いい指導者になる」と将来に期待…ありがとう中村憲剛「14」の物語―2021年元日 川崎フロンターレを引退―(5)

2020年11月25日のG大阪戦でリーグ優勝した後の川崎MF中村憲剛(左)と庄子春男GM(当時、庄子氏提供)
2020年11月25日のG大阪戦でリーグ優勝した後の川崎MF中村憲剛(左)と庄子春男GM(当時、庄子氏提供)

 J1川崎フロンターレのMF中村憲剛(40)が2021年1月1日の天皇杯決勝で18年の現役生活を終えた。憲剛と関わった人たちに、それぞれの憲剛を語ってもらう連載の第5回は、1月10日に川崎の強化本部長を退任し、エグゼクティブアドバイザーに就いた庄子春男氏(63)。練習参加した中大4年生・中村憲剛を入団させた経緯から、「いい指導者になる」と将来の期待までを明かした。(取材・構成 羽田 智之)

■きれいに当てる

 2002年の6月だったと思います。健(中央大サッカー部・佐藤健監督。当時コーチ)から連絡をもらいました。中村というおもしろい選手がいます。フロンターレ、見る価値ありますよと言われた。憲剛は学生時代、注目されていた選手ではなかったですが、健にはプロでやらせたいという気持ちがあった。それで、ワールドカップでの中断期間中に練習参加してもらった。2日間ほどだったと思います。憲剛のほかにも何人かいました。当時はJ2だったので、大学の一流どころは声をかけてもなかなか来てくれない。だから、練習参加の要望があったら、出来るだけ受け入れることにしていた。

(※庄子氏は佐藤氏の1歳年上で、ともに宮城県出身。庄子氏は宮城県工業サッカー部、佐藤氏は東北学院高サッカー部。宮城県選抜で一緒にプレーしたこともあり、旧知の仲だった)

 小さくて、細い。速いわけでもない。ただ、正確なパスをするという印象でした。特にサイドキックなど、ボールにきちっと当たる。きれいに当てる選手というのは、割と少ないですよ。パスを出すタイミングも良く、そこを見ていたのかというプレーもありましたね。8月に中央大と練習試合した時もいいプレーをしていました。

 もう1人候補がいたので、結論までに時間がかかりました。もう1人はどちらかというと守備的な選手でした。私は憲剛がよかった。多数決なら負ける。だから、多数決で決めようというのには「うん」と言わなかったです。10月、健から2回目の「どうなりました?」という連絡が入りました。6月に練習参加して、そりゃ遅いという話です。福家さん(当時GMの福家三男氏)に相談し、「憲剛でいきましょう」と言いました。翌日、福家さんが関東大学リーグの中央大の試合に行き、当時の山口芳忠監督と本人に話をして決まりました。11月、ホテルモリノ新百合ヶ丘のレストランで仮契約し、福家さん、健、憲剛と私でグラスのビールで乾杯したことを覚えています。

■移動バス4列目

 大卒の選手なので即戦力候補です。その意味で可能性を感じていました。しかし、代表に入って、MVPをとる選手になるとは想像もつかなかったです。もちろん、本人の努力があってこそですが、指導者にも恵まれたのではないでしょうか。石崎信弘、関塚隆、高畠勉、相馬直樹、風間八宏、そして、鬼木達。それぞれの指導者の下、色々な刺激を受けたと思います。あとは選手ですね。ジュニーニョ、我那覇和樹、テセ、小林悠ら素晴らしい相棒がいたことも良かったと思います。憲剛自身でいえば、人のせいにしない。常に自分と向き合える選手だったことが一番かな。

 よき先輩、仲間という意味では、伊藤宏樹の存在も大きかったと思います。バス移動の時、私は前から3列目に座ります。その後ろ、4列目が宏樹でした。4列目の逆サイドに憲剛がいました。試合後、2人が話している声をよく聞きました。宏樹がなぜこういうプレーしたんだと聞いて、憲剛が説明する。その逆もありました。お互い何でも言い合える仲だったのが良かったと思います。憲剛は、私にも言いたいことをはっきりと言います。それは昔から変わってない。裏表がないです。

■初優勝涙のハグ

 オシムさんが監督だった2006年に日本代表に呼ばれました。代表スタッフが我那覇と憲剛を気にしているという話は耳にしていました。実際、あの年、憲剛は良かった。特にターンはすごかった。一発で前を向ける。後方からボールを引き出し、受ける時、前方の敵が少しでも目に入ると、ボールを下げてしまう選手は数多く見てきましたが、憲剛はワンタッチで前を向いてしまう。それで次の展開が大きく変わる。今では大島僚太、脇坂泰斗もいいですよね。憲剛の影響もあると思いますよ。あと、ほとんどミスをしなかった。ミスをしても、チャレンジするミスで、イージーなのはほとんどなかったと思います。

 その年ぐらいから試合前日の練習後に憲剛と谷口博之とジョギングするようになりました。これといったきっかけがあったわけではなく、流れの中から始まったと思います。次のゲームしっかりやれよとか、当人たちのプレーについて話し合っていたと思います。あるシーズンに2人とも結構点を取っていて、「2人で20点以上取れば、優勝争いできるぞ」と言った記憶はありますね。そしたら本当に取っちゃって(2006年シーズンの憲剛は10得点、谷口は13得点)。そのシーズンも2位だったかな(笑)。ジョギングは谷口が移籍する2010年まで続きましたね。

 初優勝した時は憲剛を見たらダメでしたね(2017年12月2日、J1最終節・大宮戦)。優勝が決まり、スタンドからピッチに降りていったら、憲剛が泣いていた。私の方に来たので、ハグをしたら涙が出てきました。もらい泣きですよ(笑)。憲剛はずっと優勝していないという責任を背負っていた。それは私も同じでした。ずっと2位ばかりでしたので。私の方が彼より1回多いんです。2000年のナビスコカップ準優勝です。持っていないな。そういう話をしたこともありました。特に言葉を交わしたわけではありませんがあのハグは決して忘れません。

■重なった引き際

 引退については昨年の3月24日に聞きました。あまり驚きはしませんでした。40歳まではやりたいと言っていましたし、40歳になる年でしたから。ただ、まだまだ出来るし、リハビリを終えて、試合に出るようになったら考えも変わるかもしれないとも思いましたので、その時は、まずは早く戻れるように頑張ろうという話をしました。

 練習に合流するぐらいのタイミングで「どうだ?気持ちは変わらないか」と聞きました。何回か聞いたと思います。自分のなかで決めていた事だから周りが何と言っても変わらないという意志の強さを感じるだけでした。憲剛は代表に入るようになってもそれまで以上にウチの顔としてピッチ外のイベントにも積極的に取り組んでくれた。その貢献度はとても大きい。とれるタイトルを全てとって花道に出来たらなと強く思いましたね。

 今回の引退に伴い、よく憲剛を入団させたとか言われますが、それにはすごく抵抗があります。補強というのは成功もあれば当然失敗もありますし最終的にはクラブが獲得したわけですから…。もちろん、思い入れはあります。1995年12月にフロンターレの仕事を始め、今年1月10日付で強化本部長を退任しました。憲剛とはタイミングが重なりました。昨年10月ぐらいにオレも一線から退くよと憲剛に伝えました。その時、引き際について色々話しましたが自分の今回の退任についても理解してくれていると思います。

■経験、スタイル

 フロンターレ一筋でやってきた憲剛には今後もフロンターレに関わってもらいたいです。育成、アカデミーにも興味があるみたいで、それは是非やってくれと言ってあります。まだまだ先のことかもしれませんが監督になって欲しいですね。いい監督になると思います。入団時から引退まで色々な苦労や経験をしてきた選手ですのでそれを是非いかして欲しい。自分の目指すサッカー、スタイルというのも持っている。伝える言葉も持っている。いい指導者になると思います。

 ◆庄子 春男(しょうじ・はるお)1957年4月18日、宮城県生まれ。63歳。西多賀中から宮城県工業、東北学院大を経て、80年に富士通入社。富士通サッカー部で活躍。95年12月から川崎フロンターレに携わる。最初は運営、広報、チケットなどの業務を行い、強化部長、強化本部長を歴任。2021年1月10日付で強化本部長を退任し、エグゼクティブアドバイザーに就任した。

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