【箱根への道】大逆転喫した創価大10区小野寺勇樹の恩師「箱根を走った小野寺を私はたたえたい」…埼玉栄高駅伝部の神山洋一監督

3分19秒差を逆転され、2位でゴールした創価大アンカー小野寺勇樹
3分19秒差を逆転され、2位でゴールした創価大アンカー小野寺勇樹

 第97回箱根駅伝(2、3日)は歴史に残る大逆転劇で勝負が決した。埼玉栄高駅伝部の神山洋一監督(43)は、さまざまな思いを胸にレースを見守った。最終10区で3分19秒差を駒大に逆転されて惜敗した創価大の小野寺勇樹(3年)、1年生ながら駒大の優勝メンバーとなった1区の白鳥哲汰はともに教え子。平成国際大時代に、箱根駅伝出場にわずかに届かなかった神山監督は、全力で箱根路に挑んだ小野寺、白鳥ら卒業生に温かい言葉を贈った。

 出場4回目の創価大が箱根駅伝史に残る大金星に限りなく近づいた。9区終了時点で、2位の駒大に3分19秒差、距離にして約1・1キロの大差をつけた。しかし、創価大のアンカー・小野寺は中盤以降に足取りが鈍り、残り2・1キロで駒大の石川拓慎(3年)に逆転を許した。小野寺は区間最下位と大苦戦し、創価大は52秒差の2位惜敗となった。

 小野寺の埼玉栄高時代の恩師、神山監督は教え子を思いやるように話した。「テレビで応援していた私も小野寺と一緒に走っているように苦しくなりました。小野寺はとても責任感の強い選手です。時折、その強い責任感によって極度に緊張してしまう。苦しい中、よく頑張ってゴールしたと思います」

 小野寺は高校時代にも悔しい経験をしている。2年時の埼玉県高校駅伝6区(5キロ)で30分15秒を要し、区間77位の大ブレーキ。35人に抜かれ、2位から37位に後退した。チームは32位に終わり、全国高校駅伝連続出場が22年で途切れた。

 「あの時、小野寺は大きな故障をしたわけではありませんでしたが、しばらく走れなかった。でも、箱根駅伝を走るという強い意志がブレることはなかった。今回は悔しい結果に終わりましたが、箱根駅伝を走った小野寺を私はたたえたい」。高校時代の挫折を乗り越えて箱根駅伝準優勝チームのアンカーを任される選手になった小野寺の努力を、神山監督は最大限に評価した。

 小野寺はレース後、ツイッターで「ごめんなさい。全部受け止めて来年強くなって戻ってきます。これからもどうか創価大学の応援よろしくお願いします」(原文まま)と投稿した。敗戦を乗り越えて走り続ける覚悟を示す小野寺に対し、神山監督は心からのエールを送る。「来年の箱根駅伝で自分自身が納得できる走りをしてほしい」

 第97回箱根駅伝に出場登録された選手は21チーム各16人で計336人。出身高校別では学法石川(福島)が最多の11人で、埼玉栄は6番目の6人だった。

 そのうちの一人、東海大の市村朋樹(3年)は1区登録されていたが、当日変更で3年連続で出番なし。チームのサポートに徹し、9区では給水係を務めた。右仙骨疲労骨折のため欠場し、同じく9区の給水係を担った青学大の神林勇太主将(4年)に対し、市村が「足、大丈夫ですか?」と気遣う様子が、日本テレビのドキュメント番組「もうひとつの箱根駅伝」で放送された。「立派な態度でした。出場できず、悔しいはずなのに他校の選手にも気遣いができる。誇らしい卒業生です。来年は最後のチャンス。箱根駅伝に出場して活躍してくれると思います」

 神山監督自身、箱根駅伝への思いは強い。埼玉栄高でエースとして活躍した後、1996年、平成国際大に1期生として入学。予選会のチーム成績は1年目から17位、15位、13位と順調に向上した。最後のチャンスとなった4年時、個人全体96位、チーム内3位と健闘したが、平成国際大は10位。当時の予選会出場枠は6校だったため、4年連続で涙をのんだ。その翌年、平成国際大は予選会を6位で突破し、初の本戦出場を果たした。「大学4年間、走路員(沿道整理)をしました。箱根駅伝、走りたかったですね…」。巡り合わせに恵まれず、新春の大舞台を駆けることができなかった神山監督は静かに話した。

 埼玉栄高は「全国高校駅伝の制覇」という高い目標を掲げると同時に、神山監督は「高校時代に基礎をしっかり築いて大学、実業団で活躍してほしい」と将来を見据えた指導をモットーとしている。「私自身は箱根駅伝を走ることができませんでしたが、その箱根駅伝で卒業生が頑張ってくれることは本当にうれしいです」。都大路から箱根路を目指して羽ばたいていく卒業生を、いつも温かく見守っている。(竹内 達朗)

 ◆埼玉栄高校 1972年開校。陸上競技部も同年に創部(その後、駅伝部が独立)。全国高校駅伝に男子は出場40回、優勝1回。女子は出場25回、優勝3回。主な駅伝部OBは服部翔大、館沢亨次ら。多くの運動部が盛んで、主な高校OBは大相撲の大関・貴景勝、初場所で初優勝した幕内・大栄翔、2016年リオ五輪男子400メートル個人メドレー銅メダルの瀬戸大也ら。所在地はさいたま市西区西大宮。

 ◆神山 洋一(こうやま・よういち)1977年7月15日、埼玉・川島町生まれ。43歳。埼玉栄高2、3年時に全国高校駅伝1区出場。96年に平成国際大の1期生として入学。4年連続で箱根駅伝予選会に挑戦したが、本戦出場はかなわず。2000年に卒業後、強豪実業団の富士通に入社。04年に退社し、埼玉栄高の社会科教諭、駅伝部コーチに。13年から駅伝部監督を務める。

  • 卒業生に熱く、温かいエールを送る埼玉栄高の神山洋一監督

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