ハンク・アーロンさん天国へ 差別と闘い755発 全米がお別れ…王さん「ありがとう」

アーロンと王の本塁打推移
アーロンと王の本塁打推移
各種通算記録5傑
各種通算記録5傑
ハンク・アーロンの年度別大リーグ成績
ハンク・アーロンの年度別大リーグ成績
バッティングのポーズをとるハンク・アーロン選手(右)と巨人の王貞治選手。1974年11月撮影
バッティングのポーズをとるハンク・アーロン選手(右)と巨人の王貞治選手。1974年11月撮影

 米大リーグ歴代2位の通算755本塁打を放ったハンク・アーロンさんが22日(日本時間23日)、死去した。86歳だった。死因は非公表。アーロンさんが持っていた当時の本塁打世界記録を1977年に更新し、親交が深かったソフトバンクの王貞治球団会長(80)は球団を通じて「全てにおいてすごかった。メジャーリーグの選手のかがみだった」とコメントを発表した。

 豪快なスイングでアーチをかけて、世界中にその名をとどろかせたアーロンさんが86年の生涯を終えた。力強いスイングから「ハンマー」の異名を取り、1974年に「野球の神様」ベーブ・ルースが持っていた通算714本塁打のメジャー記録を塗り替えた。

 薬物疑惑が取り沙汰されたバリー・ボンズに2007年に抜かれるまで、755本のメジャー記録を保持。アフリカ系米国人として人種差別と闘う野球人生を送ったアーロンさんが、心を許して付き合ったのがソフトバンクの王会長だった。現役時代は日米球界で同じ時期に本塁打を量産。74年オフの日米野球では王会長との本塁打競争のため来日し、熱烈な歓迎に「米国より日本での方が英雄扱いを受けた」と述懐したこともあった。

  • 対戦前のイベントで王(左)と手を合わせるアーロン(1974年11月1日)
  • 対戦前のイベントで王(左)と手を合わせるアーロン(1974年11月1日)

 2人はこの時に意気投合。77年に王会長に本塁打数を抜かれた際、米国内では懐疑的な見方が多かったが、心から祝福した。「フラミンゴ打法」と呼ばれた一本足のフォームにちなみ、フラミンゴの剥製(はくせい)をプレゼントしたこともあるという。

 親友の死に、王会長は球団を通じて「長く現役でやって、すごく紳士だった。メジャーリーグの選手のかがみだった。世界少年野球では彼は米国を、私は日本をということで一緒に野球を広めようとスタートした。子どもたちの野球の普及に貢献してくれた。素晴らしい野球人生だったと思う」とコメントを発表した。

  • 本塁打競争を前にハンク・アーロンの打撃練習を見つめる巨人・王貞治(左)
  • 本塁打競争を前にハンク・アーロンの打撃練習を見つめる巨人・王貞治(左)

 引退後も親交は続いた。90年からは世界少年野球大会を開催するなど、普及活動で協力し合った。15年8月にも来日し、千葉・成田市で行われた同大会の開会式に出席。移動には車いすやつえを使う状況だったが「王さんとは本塁打競争の友情が続いている。スペシャルな存在」と再会を喜んだ。同年11月には野球を通じた日米間の青少年交流に貢献したとして、旭日小綬章を受章した。

 王会長は現役時代、アーロンさんを上回り世界一となる通算868本塁打をマークしたが「755本という当時の世界記録をつくり、ホームラン数もヒット数も打点も、全てにおいてすごかった」と改めて絶賛。「いろいろとありがとうございました」と、感謝の言葉とともに冥福を祈った。派手さはなく寡黙な上、人気球団に所属しなかったため脚光を浴びることが少なく「静かなる英雄」とも呼ばれた大打者は、ファンの心の中でいつまでも生き続ける。

 ◆ハンク・アーロン(Hank Aaron)1934年2月5日、米アラバマ州生まれ。54年にブレーブスでデビュー。歴代3位の通算3771安打、同2位の755本塁打。6856塁打、2297打点、1477長打はいずれも最多記録。首位打者2度、本塁打王4度、打点王4度、MVP1度、ゴールドグラブ賞3度。オールスター選出21回。背番号44はブレーブスとブルワーズで永久欠番となり、82年に野球殿堂入り。大リーグは99年、シーズン最高の打者に贈るハンク・アーロン賞を制定した。2002年に大統領自由勲章、日本政府からは15年に旭日小綬章を受章。

アーロンと王の本塁打推移
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バッティングのポーズをとるハンク・アーロン選手(右)と巨人の王貞治選手。1974年11月撮影
対戦前のイベントで王(左)と手を合わせるアーロン(1974年11月1日)
本塁打競争を前にハンク・アーロンの打撃練習を見つめる巨人・王貞治(左)
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