北澤豪と100万人の仲間たち<3>「31歳の絶頂期に負った右膝前十字靱帯損傷の大ケガ」

1999年5月5日のJ1第11節でアビスパ福岡に勝ち、首位に立ったヴェルディ川崎。北澤氏がキャプテンとしてチームを引っ張った(左から2人目)
1999年5月5日のJ1第11節でアビスパ福岡に勝ち、首位に立ったヴェルディ川崎。北澤氏がキャプテンとしてチームを引っ張った(左から2人目)

 元サッカー日本代表、北澤豪氏(52)は波瀾万丈の競技人生を疾走し、現在は世界の子どもたちを支援する環境づくりを目指している。その軌跡とビジョンを、ノンフィクション作家の平山讓氏が独占取材。毎月10日と25日に公開し、長期連載する。

 長い歳月をかけてようやく辿(たど)りついた場所から、一瞬にして突き落とされてしまうときがある。

 2000年4月12日午後8時過ぎ、北澤豪は鳥栖スタジアム(現・駅前不動産スタジアム)のピッチ上にいた。ヤマザキナビスコカップ初戦、サガン鳥栖対ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ1969、以下ヴェルディ)戦。

 前身の読売サッカークラブ時代の1991年に加入して以来、いつしか北澤豪はクラブ内の最古参選手になっていた。過ごした10シーズンで324試合の公式戦に出場、国内タイトル10回獲得の黄金時代を牽引した。前年の1999年はJリーグディビジョン1(以下J1)ファーストステージで優勝争いにこそ敗れたが2位。天皇杯でも準決勝まで勝ち残った。

 「チームも勢いがあったし、自分自身も脂が乗ってきているなと感じていました。求められる色々なことが冷静に頭で理解できてきていて、それを体現するのに100パーセントの力を出さなくても、80パーセントくらいの方がうまくやれることがわかってきていたんです」

 この試合まで、彼はキャリアの絶頂期にあったといえる。日本代表にも前年の国際Aマッチ58試合目となるキリンカップのペルー戦を最後に選抜されなくなってはいたが、クラブにおける背番号8はまだまだ輝きを放っていた。前年から李国秀(り・くにひで)が総監督を務め、ショートパスを駆使した連動や素速い攻守の切り替え、それに豊富な運動量が求められた。それらは彼の持ち味とも合致し、ジュビロ磐田と優勝争いを演じたJ1のファーストステージでは全試合に出場して貴重な3得点を挙げた。天皇杯でも全3試合で2得点とベスト4の原動力になっていた。また三浦知良(みうら・かずよし)やラモス瑠偉(るい)ら看板選手が離脱後、急速に若返りが図られつつあった状況下で組織のまとめ役としての存在感も増していた。

 「代表に呼ばれなくなったらそろそろ潮時、みたいな風潮があった時代でした。でも30歳を過ぎてみて、これならまだまだ全然いけるじゃないかと。体も思い通りに動くし、経験も活かせていたし、いま、最高にサッカーが楽しい。そう感じていました」

31歳で円熟の境地にあり、リーグ戦のみならずカップ戦でも躍動しようとしていた矢先、その初戦でアクシデントは起きた。

 サガン鳥栖はJ2からJ1への初昇格後に降格経験がない唯一のクラブとして知られる。だが、2000年当時はJリーグ加盟からまだ1年、レンタル選手やセレクションで獲得した若手が多いJ2で8位の新興クラブだった。「リーグが異なる格下の選手って、予想もしないプレーをやってくるものなんです。遅れてタックルしてきたり、思わぬ方向からスライディングしてきたり。だから当然、気を引き締めて試合に臨んでいました」

 後半が開始されてまもなく、相手陣内でパスを受けてボールをキープすると、後方から強烈なタックルを受けた。「後ろから来るかもしれない、と警戒はしていました。案の定、ガツンと実際にぶつかられたのがわかって、『ふざけんなよ!』と怒りがこみ上げてきて。なぜかその時だけは、こんなタックルで倒れてたまるかと、ピッチで耐えてしまったんです」

 いつもならタックルに対し、避けるか倒れるかして巧みに相手からの衝撃をかわしてきた。そのためか身長170センチ、体重68キロと小柄ながら、筋骨隆々とした外国人選手と渡りあっても大ケガに見舞われた経験が一度もなかった。だがこの瞬間ばかりは、タックルを右脚でまともに受けても、避けも倒れもしなかった。「右膝に大きな衝撃を、グキ、グキ、グキって、3回感じたんです。おかしな話に聞こえるかもしれないですけど、誰かから聞いていたのは、グキ、グキって2回までならどうにか大丈夫らしいと。だけどこのときは3回だったから、ああ、これはやってしまったなと」

 意外にも痛みは感じず、ピッチ外に出てテーピングで応急処置をして試合に復帰してみた。だが走ってすぐ異変に気付いた。「あとから知ったんですけど、前十字靭帯の損傷って、痛みがあまりないらしいんです。ただ右膝がスカスカに抜けた感覚というか、このままプレーしたら膝があらぬ方向に曲がってしまうような怖さがあって、これはやめたほうがいいなと交代してもらいました」。

 後半開始から5分、岩本輝雄(いわもと・てるお)と交代し、右脚を引きずりながらベンチへと退いた。まさかこの試合以降、ピッチはおろかベンチにさえも長らく戻って来られなくなり、そればかりか選手生命を絶たれることになろうとは、このときの彼は、まだ思ってもみなかった。(敬称略)=続く=

 〇…障がい児・者と健常児・者の相互理解を深めるイベント「インクルーシブフットボールフェスタ広島」が1月16日にオンラインで開催され、日本障がい者サッカー連盟の会長を務める北澤氏も参加。ゲストで登場したJ1広島クラブリレーションズマネージャー森崎和幸氏、同アンバサダー森崎浩司氏とともに、各種プログラムを盛り上げた。2月は欧州チャンピオンズリーグのテレビ解説などを務める。

 ◆平山讓(ひらやま・ゆずる) 1968年、東京生まれ。作家。ノンフィクションや実話を基にした物語を数多く手がける。主な著書は「ありがとう」(講談社/東映系にて全国ロードショー)、「ファイブ」(幻冬舎/NHKにてドラマ化)、「4アウト」(新潮社)、「パラリンピックからの贈りもの」(PHP研究所)、「中田翔 逃げない心 プロ野球選手という仕事」(主婦と生活社)など多数。

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