兄貴分の伊藤宏樹氏が憲剛を「ヒーロー」と言うわけ…ありがとう中村憲剛「14」の物語―2021年元日 川崎フロンターレを引退―(4)

スポーツ報知
現役時代の中村氏(右)と伊藤宏樹氏(川崎フロンターレ提供)

 J1川崎フロンターレのMF中村憲剛(40)が2021年1月1日の天皇杯決勝で18年の現役生活を終えた。憲剛と関わった人たちに、それぞれの憲剛を語ってもらう連載の第4回は川崎強化部の伊藤宏樹氏(42)。公私に仲が良く、キャプテン、ゲームキャプテンの二人三脚で川崎を成長させた。時にけんかもした弟分を「ヒーロー」と表現する。(取材・構成 羽田 智之)

■すごかったがっつき

 後にも先にも憲剛のような選手は見たことないです。2003年に入団してきて、練習への向き合い方など一番しゃかりきになっていた。向上心の塊でした。何とかはい上がってやるという気持ちをすごく感じる選手でした。そういうメンタリティーはずっと持ち続けていますが、入団当初のがっつき具合はすごかったです。

 よく、どうして仲良くなったのか、と聞かれます。先輩を含めてご飯にいったのが最初だと思います。当時、クラブハウスに食堂がありませんでした。浦上壮史さんにお昼ご飯連れていってもらっていたんです。そこでサッカーの話をするようになって。そこからですね。素直なサッカー小僧。親しみやすい後輩でした。彼が入団してきた時はJ2。昇格という目標があり、お客さんも少なかったので、ファン、サポーターを増やそうと話し合いました。

 ピッチでは喜怒哀楽を前面に出してプレーしていました。経験値があがり、日本代表にも行くようになった。憲剛の成長スピードに押し上げられるように、チームも強くなっていった。けんかもよくしました。最初は言い返していましたが、憲剛の言うことはすごく説得力があり、的確すぎるので、いつの頃からか言葉に詰まり「うるせぇ」と言うだけになったりして(笑)。けんかしても、翌日にはそれをネタにして笑っている。そういう関係でした。新幹線、飛行機、移動はいつも隣。何でも言い合いました。逆に会話がなくても一緒にいることも。試合前、意味も無く同じ部屋にいたりしたこともあります。

■変わった川崎の風景

 僕がキャプテン、憲剛がゲームキャプテン。しっくりきていました。裏の顔と表の顔という感じです。お互い、足りないところを補いながらやっていました。憲剛はピッチ上でのキャプテンシーがある。ピッチ外は僕がやる。役割分担もあり、うまくいっていたんですが、優勝できなかった。何でなんだろうと、よく2人で考えました。答えは分からなかったです。分かっていたら、勝っていたでしょうね。今から考えると、チームとしての意識も高くなかったのかもしれない。今ひとつ経験が足りなかったのかもしれないです。

 フロンターレが心がける地域密着はとても大事なことです。事業部のスタッフが考えたイベントなどに協力しながらも、やはり勝たなければだめだと思っていました。勝ちながらおもしろい企画もやってこそ、メディアに取り上げられる。取り上げられた時はうれしかったです。街の風景が変わり、お客さんが増えていっているという実感もありました。昔、ユニホーム姿の人を見るのは等々力で試合があった日ぐらいでした。それが普段でもユニホームや練習着を着た子供が自転車に乗っている姿を見かけるようになりました。

■期待に応えてくれる

 憲剛は期待に応えてくれる選手でした。チームのスタイルが変わり、周りの選手が変わっても、皆、いかしてきた。そして自分もいきた。そこは本当にうまい。何色にもなれる。どんな監督でも、どんな選手でも対応できる。ジュニーニョがいて、小林悠が入り、大久保嘉人がきた。大島僚太、家長昭博…。タイプの違う選手を皆、輝かせることが出来た。そして、自分自身も変化し成長していった。皆、いかされたと思うのは共通していると思いますが、それぞれの憲剛像は少しずつ違うと思います。

 すごいなと思った試合は2004年のアウェー札幌戦(5月5日、2〇0)です。憲剛はボランチになってまだレギュラーをつかんでなかった。素晴らしいシュートを決めて、内容も良く、勝ちました。試合後、僕が「お前、こりゃきたぞ」と声をかけた。こないだ、その事を憲剛に言われ、「そうそう。言った、言った」という話になりました。練習でもびっくりするようなプレーをしましたが、試合でこそ輝く選手でした。

■引退して感じた成長

 精神面がすごく変わったと思ったのは、僕が引退してからです(13年シーズン限りで引退)。12年に風間八宏さんが監督になり、サッカーのスタイルが確立された。憲剛が一番はまったというか、好きなサッカーだからというのもあったと思いますが、自分が率先してやるという強い意志を感じた。悠、僚太ら周りと話をして、同じ絵を描ける選手を増やしていった。周囲に伝えることをやり始めて人間的にも成長したと思います。僕が辞めて、選手のなかに怒る人がいなくなるなと心配もしたんですが、大丈夫でした。彼なりに何かを見つけたんでしょうね。そこからのチームの成長は結果が示しています。16年にJリーグMVPという個人のタイトルを獲得し、翌年からのチームのタイトルに繋がった。

 僕は16年からスカウトを2年やり、強化に入りました。新しい選手が入ってきたら、まず憲剛に預けます。声をかけてもらい、止める、蹴るのところを見てもらったり。彼はもともと後輩を指導するとかフロンターレのためになることをするのは好きですからね。キャンプに参加する学生を同じ部屋にすることがあります。技術面だけでなく、プロとしての心構えなどを教えてくれる。足りないこと、やった方がいいことなどプラスになる事をアドバイスするだろうなというのは容易に想像できた。そこは一番信頼しています。

■満員の等々力でこそ

 憲剛から引退の話を聞いたのは一昨年の1次キャンプ(宮崎・綾町、19年1月16日~1月26日)だったと思います。40歳になる2年後、契約も終わるので、そのタイミングで引退を考えていると。練習後、クールダウンでグラウンドを歩いている時、「やめようと思っている」みたいな感じで、しれっと言ってきました。その時はシーズンも始まったばかりで、2年後の事だったので「あっ、そう」と返したぐらいです。あえて最後を決めて、自分を奮い立たせようとしたのかなと思いました。バリバリ試合にも出ていて、やれているうちに辞めたいのかなとも思いました。

 彼がけがした時(中村憲剛は19年11月2日の広島戦で左膝前十字靭帯を損傷。翌20年8月29日の清水戦で約10か月ぶりに公式戦復帰し、J1歴代2位となる16年連続得点も記録した)はブラジルにいました。引退するというのも知っていたので、すぐ電話しました。ここからリハビリを始めるとなると、年齢的にも厳しいなと思ったので心配しました。コロナ禍になって、憲剛に言い続けたことがあります。等々力にたくさんのお客さんが入るようになったのは、昔からずっとやってきた憲剛が最大の功労者です。その選手が満員の等々力で引退できないのは、やはりおかしい。だから今年は違うと。庄子さん(庄子春男強化本部長)と一緒に説得しようとしたこともあります。憲剛の決意は変わらないと分かっていたけれど、引退発表ギリギリまで言いました。

■お互いに「ライバル」

 現役時代、憲剛のことを「ライバル」と言っていました(中村憲剛も伊藤氏の事を「ライバル」と表現していた)。今、どういう存在かと聞かれたら、「ヒーロー」ですね。我々の期待に応えてくれる。何度も驚かされてきました。強化部に所属してから、立場上、選手である憲剛と一線を引いたところもあります。その意味では、強化担当として憲剛の将来を軽々しく話すべきではないですが、フロンターレに関わっていってくれるとは思います。これからも「ヒーロー」としてフロンターレにいい影響を与えていって欲しいです。

 ◆伊藤 宏樹(いとう・ひろき)1978年7月27日、愛媛・新居浜市生まれ。42歳。金子小、立川東中、新居浜工を経て、立命館大に入学。2001年、川崎フロンターレに入団した。俊足DFとして活躍し、主将を長く務めた。J1通算235試合4得点、J2通算154試合5得点。13年シーズン限りで現役を引退。現在、川崎の強化部所属。血液型B。

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