羽根田卓也、憧れの土方歳三に会いに行く…東京・日野市の生家が資料館「僕も自分の求める生き方貫く」

土方歳三資料館を訪れた羽根田卓也(カメラ・相川 和寛)
土方歳三資料館を訪れた羽根田卓也(カメラ・相川 和寛)

 カヌー・スラロームの2016年リオデジャネイロ五輪銅メダリストで東京五輪代表の羽根田卓也(33)=ミキハウス=が、長年憧れていた聖地を訪れた。東京・日野市の「土方歳三資料館」。幕末を駆け抜けた新選組の“鬼の副長”土方歳三の生家に開設されている。土方の生きざまに多大な影響を受け、競技人生の支えとしてきた羽根田。歳三の兄の子孫で、資料館の館長である土方愛(めぐみ)さんとの対話を通じ、自らを見つめ直した。(取材・構成=太田 倫)

 読書家でもある羽根田が、生涯ベストに挙げる一冊が司馬遼太郎の「燃えよ剣」である。新選組副長・土方歳三の疾走するかのごとき35年の生涯に魅せられ、憧れを抱いた。高校卒業後、カヌーのために海外に拠点を移してからも「いつか行ってみたい」と思いを温めていたのが、土方歳三資料館だった。昨年の某日。新型コロナが少し落ち着いていた時期に、その夢がかなった。資料館では愛さんが温かく迎えてくれた。

 羽根田卓也「僕は歴史小説、日本史がすごく好きなんです。新選組を初めて知ったのは中学生でしたが、『燃えよ剣』もきっかけに土方さんに惹(ひ)かれました。混とんとした世の中でも信念を貫き通している姿に、すごく感化されたんです。心の支えにさせていただいています」

 土方愛さん「歳三さんは迷うことがたくさんあった幕末の時代に、自分で信じた道をきちんと選び取って先に進んだ人です。女性ファンが多いと思われるんですが、実は男性の方や“NO2”のポジションの方にも、とてもファンが多いんですよ」

 資料館には歳三が稽古に用いた天然理心流の木刀や、直筆書簡、句集など70点あまりが展示してある。庭先には、若き日の歳三が「天下に名を上げん」と誓って植えた矢竹も伸びている。羽根田は、その一つ一つを食い入るように見つめた。

 羽根田卓也「新選組の局中法度は一に切腹、二に切腹―とすごく厳しいですよね。それだけ厳しい隊規を作るには、やはり強い覚悟がないといけないと思います」

 土方愛さん「新選組にはいろんな土地からいろんな階層、価値観の人たちが集まってくる。絶対にぶつかるわけです。何を持って縛れば一番まとまるのか? 最後は命だ、と。鬼といわれていますが、実は割と合理的なんです。私欲がないから共感されるんだと思います」

  • 土方歳三の胸像をはさんで記念撮影する羽根田(右)と土方愛さん

    土方歳三の胸像をはさんで記念撮影する羽根田(右)と土方愛さん

 「燃えよ剣」には「男の一生というものは美しさを作るためのものだ」という歳三のセリフがある。新選組の局長で盟友であった近藤勇は時流にのまれるように生き方を揺るがされていくが、対照的に歳三は組織の中で責務を全うした。

 羽根田卓也「能力がある人のはずなのに、最後まで生き方や理念を変えず、組織を率いて戦場の中で亡くなられた。打算がなく、美学がある。爽やかで、すがすがしいですよね。箱館(現在の函館)での亡くなり方を見て、男は死に方こそが全てと思ったんです」

 土方愛さん「変わらないんです。どこの土地へ行っても。戦うときは一番後ろに立って、『ここから退(ひ)いたら斬るぞ』と。一貫しています。もう少しズルくなれる場所もいっぱいあったと思いますが、筋が通っていました」

 愛さんは後年の創作物に目を通すだけでなく、自らゆかりの地を訪ねるなどして史実を調べてきたという。その口から語られる歳三の人物像に、羽根田は深くうなずいていた。

 土方愛さん「カヌーでは第一人者で、自分で切り開かないといけない立場の人ですよね。歳三さんもそうでした。決められた道を行くのではないんです」

 羽根田卓也「自分の前に切り開いた人がいませんでした。どうやったら自分が前人未到の道を歩いて行けるか、を考えながらやっています。だからこそ土方さんが箱館へ行く経緯にも、感銘を受けたんだと思います」

 土方愛さん「すごく落ち着いていますよね、羽根田さんは。ブレるところがなく、揺り動かされないと感じます。歳三さんは、例えば交渉ごとがあると、最初に相手の爪先から頭の上まで凝視したそうです。それだけで相手がギョッとしてしまって、交渉も有利に進んだと。圧がすごい人だったみたいですね」

 羽根田卓也「僕もライバル選手にやってみようかな、ギョロッと…。実は土方さんに影響を受けて、淡々と振る舞おうと心がけているのはあります。自分の仕事は競技に打ち込むことですが、仕事に徹する姿が一番カッコいい生きざまだと、中学生の頃からずっと信じています。ところで土方さんは、本当に“バラガキ”(注1)って呼ばれていたんですか?」

 土方愛さん「それは小説でつけられたそうです。小さい頃はいたずらで、古いお寺の山門に上って卵を人に投げていたとか、やんちゃなエピソードもありますが…。地元では心優しい青年のイメージで、京都での活躍を聞いた村の人たちはあのトシさんが?っていう感じだったそうです」

 羽根田卓也「『燃えよ剣』で好きな場面の一つは、俳句を書いていて、沖田総司(注2)にからかわれているところ。鬼の厳しさの合間に見える人間くささがたまらないんです。一番好きで共感したのは、近藤勇さんが立場が上になるに連れて、政治の場に顔を出して立ち回ったりするのに、土方さんは『新選組は新選組のままでいいじゃないか』と揺るがない場面。本分を認識して、男らしく終われたらいい、という考えを貫く。まさにその通りと思いました」

  • 土方が使用した木刀の複製品を手にする羽根田

    土方が使用した木刀の複製品を手にする羽根田

 少々むちゃ振りを承知で、愛さんに「歳三さんなら、五輪に臨む羽根田さんにどんな声をかけるでしょうか?」と聞いてみた。

 土方愛さん「やるべきことをやってこい、じゃないでしょうか。不利な戦いにあっても、大丈夫だよ、行かなくていいよ、なんてことは絶対に言わない厳しさがある人でした。だから、恐らくそんなふうに言うと思います」

 羽根田卓也「はい、としか言えない。二つ返事が一番ふさわしいです」

 土方歳三は幕末という動乱の時代に生きた。新型コロナウイルスとの闘いに今、日本も東京五輪を巡る状況も揺れ動いている。

 土方愛さん「歳三さんは苦しい状況が続いても、最後の最後まで捨て鉢にならず次の一手を考え、前向きでした。もし現代にいても、生き方は変わらず同じではないでしょうか。羽根田さんも、コロナで練習環境など本当に困難な期間であったかと想像しますが、信念を曲げずに研さんされてきた姿は、きっとたくさんの人に勇気を与えてくれると思います。東京五輪も今後も楽しみにしています」

 羽根田卓也「自分も五輪とコロナという相いれない出来事がある中で、人生で一番重要な時期にあります。その中で、先人の生き方に改めて学ぶことがあると思うんです。どの時代も“世の中の正解”より、自分の信念や生き方を貫くのが“人生の正解”と思う。僕も自分の求める生き方を最後まで貫き通したいですね」

  • 羽根田は土方の生家で使用されていた柱を触る

    羽根田は土方の生家で使用されていた柱を触る

 羽根田は最後に土方家の仏壇と、資料館近くの石田寺(せきでんじ)にある墓所に手を合わせた。

 羽根田卓也「今日という日は人生に多大な影響を及ぼすと思ってきました。忘れられない日になりました。ありがとうございました」

 土方愛さん「こちらこそありがとうございます。歳三さんも照れていると思います」

 【注1】バラガキは「燃えよ剣」の中では「茨垣」の字があてられ、触れると刺す茨から、乱暴者という意味。

 【注2】天然理心流の天才的使い手にして、新選組一番隊組長。肺結核で若くして亡くなった。

 ◆土方歳三資料館 住所は東京都日野市石田2の1の3。多摩モノレール万願寺駅から徒歩5分。愛刀である和泉守兼定を年に一度、限定公開しているほか、歳三が池田屋事件で使用した鎖帷子(かたびら)、「8月18日の政変」時に使用した鉢金など約70点余りの遺品、ゆかりの品を展示している。開館日は限られているため、公式HP(https://www.hijikata-toshizo.jp/)を参照のこと。また、緊急事態宣言中は閉館している。

 ◆土方歳三という男…尊皇攘夷運動を弾圧 鉄の掟 俳句たしなむ風流人

 土方歳三は1835年(天保6年)、武蔵国多摩郡石田村(現・東京都日野市)に生まれた。当時の土方家はいわゆる豪農。歳三は10人きょうだいの末っ子だった。20歳を過ぎてから天然理心流に入門。剣術を通して近藤勇や沖田総司にも出会った。

 1863年(文久3年)には、近藤らと江戸幕府14代将軍・徳川家茂を警護する浪士組に応募。これが発展し、尊皇攘夷運動を弾圧する目的で「新選組」となった。副長に就いた歳三は実質的な指揮を執り、5か条からなる鉄の掟「局中法度」に背いた者は厳しく粛清。“鬼の副長”のイメージが出来上がった。

 池田屋事件などで名をとどろかせた新選組だったが、1867年(慶応3年)10月には15代将軍・徳川慶喜が大政奉還。翌年に勃発した戊辰戦争では旧幕府軍に参加するものの、劣勢を強いられていく。仲間が離脱、戦死していく中で歳三は会津、宇都宮で奮戦。最後は榎本武揚らと合流して蝦夷(北海道)に渡るが、1869年(明治2年)5月、箱館(函館)戦争の五稜郭防衛戦の最中に、腹部に銃弾を受けて戦死した。享年35(満34歳)。

 職務への厳しさを持つ反面、俳句をたしなむ風流人の一面もあり、女性にもよくモテたといわれる。また、剣術は実戦に極めて強かったと伝えられる。

 ◆燃えよ剣(もえよけん) 司馬遼太郎の歴史小説にして代表作の一つ。幕末の動乱期に農家の子から成り上がり、新選組副長として最強の武装集団を組織した「剣に生き剣に死んだ男」土方歳三の生涯を描く。「週刊文春」誌上で、1962年11月から64年3月にかけて連載された。何度も映像化されているが、66年には栗塚旭主演で映画化。昨年には岡田准一主演、原田真人監督で公開予定だったがコロナ禍で延期となり、今年10月に改めて公開することが決まっている。

 【編集後記】五輪という修羅場…きっと天から味方

 「男のロマン」は絶滅危惧種になっていると思うが、その数少ない担い手が土方歳三である。幕末という時代を背負って、華々しい“大げんか”を繰り広げた。誰もが自分の信念に殉ずる生き方をしてみたい憧れをひそかに抱いていると思うが、実現は容易ではない。それをやってのけた歳三に、多くのファンが魅せられるのだろう。部活の“副部長”をしている中学生が来て、「歳三さんの気持ちが分かるんです」なんてこともあるそうだ。

 歳三が稽古に使っていた木刀を振ったり、有名な肖像写真を見つめ、愛さんと語り合う羽根田は、童心に帰ったかのようだった。新選組は戊辰戦争の波の中でその姿を失っていくが、歳三が率いた隊だけは勝ち続けたという。五輪という修羅場に向かう羽根田に、鬼の副長が天から味方してくれるものと思っている。(東京五輪担当・太田 倫)

 ◆羽根田 卓也(はねだ・たくや)1987年7月17日、愛知県生まれ。33歳。小学3年でカヌーを始め、杜若高を卒業後、単身スロバキアに渡る。2009年にコメニウス体育大学に進学し、同大学院を卒業。16年リオ五輪のカヌー・スラローム男子カナディアンシングルで銅メダルを獲得。175センチ、70キロ。ミキハウス所属。

土方歳三資料館を訪れた羽根田卓也(カメラ・相川 和寛)
土方歳三の胸像をはさんで記念撮影する羽根田(右)と土方愛さん
土方が使用した木刀の複製品を手にする羽根田
羽根田は土方の生家で使用されていた柱を触る
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