年明け4日、トップ棋士14人が参加した「ABEMA」将棋チャンネルの番組収録が行われた。
取材会も兼ねていた当日。私を含む数人の記者が待機する部屋には、収録を終えた棋士から順に1人ずつ訪れ、簡単な質疑応答の時間になった。
3密を避け、ソーシャルディスタンスを保っての現場。時間は1人につき10分。収録の感想を聞き、今年の抱負を尋ねてしまえば終わってしまう「持ち時間」である。
10人目、いつものように華麗な和装で現れたのが佐藤天彦九段だった。2016~18年度に名人3連覇を果たしたA級棋士。ファッションや音楽などに深い造詣があり、穏やかな人柄で「貴族」のニックネームを持つ。
取材の後半、それまでの9人に対してと同じように「今年はどんな1年にしたいですか?」と聞いた。佐藤は言った。
「最近の将棋界は動きが激しく、激しい台風の目の中心にあるのがAIなのかな、という気がしています。ここ2、3年はAI研究に対してどういうアプローチで向かうか、ということに真正面からぶつかってきた時間だったと自分では思っていますけど、これからの1年は…もちろん気持ちは変わっていくのかなとは思うんですけど、ちょっとこれまでとは趣向を変えて、AIの評価値を重視して(自分自身の)可能性を狭めていくアプローチよりは、たとえAIには評価されなくても、いろんな可能性を拡げるアプローチでやっていきたいな、と思っています。昨今の強豪揃いの将棋界の中で結果を出すのは大変だと思うんですけど、自分自身も楽しめる将棋を指していく中で何かを見い出していければいいかなと思っています」
スタッフから「次、最後の質問でお願いします」という声があったので「将棋から離れた部分で何か取り組もうと考えていることはあるのでしょうか」と聞いた。
「そうですね…一昨年11月くらいから、音楽の定跡…音楽理論の基礎のようなものを先生に習っているんですけど、それをちょっと深めて教えてもらいたいなというふうに思っています。ある和音が鳴った時、人間は『次はこんな和音が鳴ってほしい』と自然と感じる、というようなことです。当然、僕も初心者ですので基礎の基礎ではあるんですけど、将棋でいう定跡、駒の動き方や配置の綺麗さのようなものが音楽理論にもあって、似ているところを感じているんです。パワーがないと取り組めないことですけど、また学んでいきたいと思っています」
最後の質問で、と言われたばかりだが、どうしても問いを重ねたくなった。「今年の抱負」と「将棋を離れた部分の取り組み」が同じ方向を向いているように感じられたからだ。「先程、アプローチを変えていきたいと話されていた点は、今の点にも通じるのでしょうか?」
すると、佐藤は「そうですね…話は飛躍するというか…話せば長くなっちゃうかもしれないです(笑)。どんなふうにしたら簡単に言えるのかな…」と笑顔を見せた後で再び語り始めた。
「教わっている先生の言葉でとても印象に残るものがあったんです。クラシック音楽の世界で、みんなが聴いたことのある名曲ってありますよね。例えばベートーヴェンの『運命』。出だしが『ジャジャジャジャーン』っていう印象的なもので、ちょっと音を伸ばしてから止まる。あの曲はすごく僕たちも聞き慣れていて、みんなが名曲であると思っていて、あの出だしもそんなに不自然には感じていない気がしますよね。でも、当時の作曲の定跡からすると、先生いわく一手損角換わり(将棋の序盤戦術のひとつ。手番を相手に渡すため、AIの評価はすこぶる悪い)どころじゃないくらいマイナスな出だしらしいんです。だから、すごく面白いなと思ったんです」
佐藤は「まだ長くなるんですけど…大丈夫ですか?」と言い添えて、また笑みを浮かべた。
「僕はもうすぐ33歳になるんですけど、例えばモーツァルトは32歳の時、僕も好きな三大交響曲をたった2か月で書き上げて35歳で亡くなるわけなんです。プロの作曲家の目から見ても、ものすごい計算力や構成力を持っていて、あっという間に完璧な曲を組み立てられる能力があったみたいなんですね。で、ベートーヴェンは、というと、ハイリゲンシュタット(ウィーン近郊)で暮らしていた同じ32歳の頃は難聴がひどくなった時期でした。音楽を仕事にしていて、もともと社交的な性格でもあるのに、難聴になってしまったことの苦しさやつらさをたくさん書き残しているんです。人から話し掛けられて『なんて言っているんですか?』と聞き返すことも恥ずかしくてできなかったみたいで。当時のベートーヴェンはモーツァルトやハイドンといった、少し上の世代の巨匠たちが作っていた基本を元に作曲をしていた。当然、もともとの能力がすごいわけですから良い曲をたくさん作っていたんですけど、難聴という苦境を克服すると、より挑戦的な曲、例えば交響曲第3番『英雄』のような印象的な始まり方をする曲を書くようになるんですね。
でも…僕はプロではないので、あまり正確ではないのかもしれませんが、ベートーヴェンとモーツァルトの32歳当時の作曲能力を将棋の盤上のようなところで比べて競わせたら、おそらくモーツァルトがほとんど勝ってしまうんじゃないかと思うんです。モーツァルトは3日で完成度の高い交響曲を書いたり、2か月で三大交響曲を書いたり、得意とされていなかったジャンルでもそのようなことができてしまうような作曲家だったようですね。逆にベートーヴェンは、自分なりの工夫を重ねながら曲を構成していった。モーツァルトのように完璧すぎる楽譜ではないようなんです。そのようなことを自分と重ね合わせてみると、自分の将棋に完璧な計算力などあるのかな、と思うんです。いろいろと波もある中で、ベートーヴェンのように悩みながらもやっていけないか、と妄想しているわけなんです(笑)。
仮に、一手損角換わりよりも評価値が下がるような出だしからでも、みんなが聴いてすごいと思える曲を書けないだろうかと。もちろん、1人でできる作曲と、2人で勝負する将棋は別物ではあるんですけど、将棋に置き換えて、やっぱり対局するのは人間同士なので、ベートーヴェンのように個性を強く押し出した後にでも長い戦いは続いていきます。長く続いていくのに、評価値が下がっちゃうから『ジャジャジャジャーン』を対局前に諦めちゃうのか? というところの疑問を最近は感じているんです。
総合すると、もちろんベートーヴェンは、自分がそのまま重ね合わせるには偉大すぎる存在ではありますけど、彼が切り拓いたアプローチ、プロセスというのもあるのかな、という妄想が僕にもあります。結局は人間の勝負であることに変わりはない中、別の勝負もできる道もあるかもしれないということに可能性を感じているところなんです。今までは真理から逆算して、可能性を狭い方、狭い方へと考えていました。将棋は完全情報公開ゲームなので、最善という一本の道筋を突き詰めることが真理を追求する上で王道のアプローチだと思いますし、自分もそういうことに憧れてやってきましたけど、それこそ藤井聡太さんのような本当の最適任者のような方も現れている。
だから今後、自分自身では自然にやってるつもりでも、周りからはちょっと変わった個性という見られ方をすることもあるかもしれません。でも、評価値が一時的に下がろうが、先を見据えてやってみること、なのかなと。どのくらいまで評価値が下がったから勝負にならなくなるのかという境界線もあると思いますし、程度も限度もあるとは思うんですけど。そのような自分なりの問題意識、考えもあるので、結果に結びつくかは分かりませんけど、自分を使った実験のような何かを楽しみながらやっていければいいな、と思っている今日この頃です」
取材を始めてから26分が経過していた。最後に佐藤が「すいません、こんなに話しても記事にできるようなものでは全くないと思うんですけど。すいません」と笑った瞬間、心を動かされるものがあった。
別に、なんとなくの日常会話で終えることもできる場面だった。しかし、佐藤は自分の思いや考えを懸命に伝えようとして、結果的に棋士としての極めて本質的な部分を明らかにした。なんと誠実な人なのだろうと思った。
思い起こせば、叡王戦でAIに敗れた時も、名人位を失った時も、いつも佐藤は自分の思いを伝えるための正確な言葉を導き出し、我々に語ってくれていた。
将棋界は4強時代と言われている。渡辺明名人、豊島将之竜王、藤井聡太二冠、永瀬拓矢王座が頂点に君臨するが、割って入らなければいけない男がいる。時代に彩りを加えてくれる男がいるのだ。(北野 新太)