川淵三郎選手村村長「客がいない中で五輪をやって、どんな値打ちがあるのか。大反対」…インタビュー

選手村村長として五輪・パラリンピック開催への思いを色紙に書いた川淵氏(カメラ・竜田 卓)
選手村村長として五輪・パラリンピック開催への思いを色紙に書いた川淵氏(カメラ・竜田 卓)

 東京五輪・パラリンピック期間中に各国・地域代表選手団らが滞在する選手村の村長を務める川淵三郎氏(84)=日本トップリーグ連携機構会長=が、スポーツ報知のインタビューに応じた。Jリーグ初代チェアマンなど多くの重責を担い、修羅場をくぐってきた川淵氏。新型コロナウイルスの脅威にさらされる五輪において、選手村の果たす役割は何か。そして無事、開催を迎えるために何が必要なのか。率直な思いを語った。

(取材・構成=太田 倫)

 川淵氏は、インタビューに先んじて色紙をしたためた。「安心安全な環境でオリ・パラ開催を」。力強く筆に願いを込めた。新型コロナは世界中で猛威を振るい続けているが、選手村村長という東京五輪の顔役として、開催への信念は揺るぎない。

  • 64年東京五輪の開会式の記憶を思い出す川淵氏
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 「僕自身は絶対に五輪はやらないといけないという気持ちだ。これまでの流れを見ても、(最悪の場合)もう延期にはならない。中止でしょう。そうしたら『コロナに負けた大会』になる。人類としてコロナに打ち勝つ。東京五輪がそのターニングポイントだったと言えるようになればいい」

  • Jリーグチェアマンとして、93年に開幕宣言をする川淵氏
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 政府や東京都、五輪組織委は大会の簡素化を進めると同時に、綿密なコロナ対策を練ってきた。選手村も滞在する選手らへのウイルス検査を4~5日に1回の間隔で実施、滞在日数を絞るなどのプランをまとめた。理論上は開催可能でも、世論は依然、厳しい。

 「何が何でも強引にやるというのでは、多くの国民の賛同は得られない。一番必要なのは、安心安全な環境を、どうやって整備するかだ。今は全般的な考えはあるが、個別の行動に関しての対策はまだきちっとできていない。イレギュラーな状況がいっぱい出てくる。感染者が絶対にゼロというのはあり得ない。仮に出たときにどうカバーするか、準備と心構えができていたら問題ない」

 「準備と心構え」について、こう続けた。

 「職員とボランティア全体で問題が起きたときに同じ情報を共有し、的確な判断を即座に下す。それをどう徹底するか。今までにない情報の交換や連携がすごく重要になる。予防体制をきちっと敷いた上で何から何まで決め事をする。感染者が出てもこういうフォローがあるなら大丈夫という環境をつくり、『皆さん心配しないで』と言えるようになって初めて、国民は賛同してくれる」

  • 64年東京五輪1次リーグのアルゼンチン戦に勝利した後、釜本邦茂(左から2人目)らと握手する川淵氏(左から3人目)
  • 64年東京五輪1次リーグのアルゼンチン戦に勝利した後、釜本邦茂(左から2人目)らと握手する川淵氏(左から3人目)

 1964年の東京五輪にはサッカー日本代表として出場した。代々木にあった選手村は美しい芝生に囲まれ、食堂では毎日ビフテキが食べられた。過酷な代表選考をくぐり抜けた後で、ある意味で天国を味わった。そのときの経験から、理想として掲げてきたのは「アットホーム」な選手村だった。

 「今回の選手村はすごく広い印象。環境は最高だね。立派な食堂があって、毎日24時間オープンしている。400人のシェフがいても準備は大変だろう。選手村や食堂は一番、選手同士が交流できる場所だ。僕らも外国人のかわいい女の子と写真を撮ろうとした覚えがあるよ(笑い)。公園もあるからそこで話したりできればいいけど、3密防止で禁止されるだろう。五輪憲章に書いてあるような、交流を通じて世界平和に貢献する―という場所にはなりえないかな。アットホームになりにくい。それは非常に残念だ」

 大きく様変わりするであろう五輪は、決してネガティブな要素だけではない。川淵氏は以前から、肥大化する一方の五輪に警鐘を鳴らし続けていた一人だった。2017年の渡辺恒雄・読売新聞グループ本社代表取締役主筆との対談では、五輪の「簡素化」というキーワードが出され、開会式の肥大化や、行きすぎた商業化路線について意見を交わしていた。まさに先見の明であろう。

 「今は五輪の転換点だ。渡辺さんも(対談当時)同じことを思っていた。開会式の時間を短縮して簡潔にするのは賛成だ。華美にならない方がいい。開会式は選手の入場行進と聖火台への点火、これがメイン。その前段で2時間もやるのは長過ぎる。開会式に比例して、大会全体が肥大化している。行進と聖火をメインにすれば、開会式の価値もむしろ上がる。そこから簡素化も始まる。歴史を見たり、その国のエンターテインメントを競い合う場になっているが、それは違うんじゃないか。今回どれだけ簡素化できるのか。経費削減、縮小というのが今大会で明確に出され、次の大会以降に継承されたらいい」

 64年東京五輪の開会式はシンプルかつ厳粛だった。川淵氏の記憶にも、とりわけ入場行進は「あれほどの興奮と感動はない」と語るほど色鮮やかだ。

 「入場行進は五輪そのもののイメージ。開会式前に明治神宮に集合して、足並みをそろえたり、手を上げたり、かなり長い時間行進の練習をした。疲れて頭に来ちゃって、いいかげんにせいよって思っていた。でも競技場に入った時にそれを忘れた。日本選手団入場のアナウンスがあり、五輪マーチが鳴って、大歓声が上がって…動悸(どうき)が高まるというかね。五輪に参加できて本当によかったという気持ちが、そこで爆発した。選手としては行進に出ないと、五輪に出た感じがしないよ。サッカーの選手は先に試合が始まって全国に散らばっているから、開会式には出られない。すごくかわいそうだね」

 今回は感染防止の観点から、入場行進の人数を減らすことも検討されている。

 「感染拡大を防ぐ意味では、行進を減らす考えはあってしかるべきだが、たぶんIOCが許さないだろう。そこよりは、行進前のイベントを減らした方がいい。五輪憲章にもあるように、お互いが理解し合って平和に向かうために、選手が集まる場は必要。それは開会式をおいて他にない。連帯、団結の象徴になる」

 年も明け、五輪の準備は佳境に入るが、先行き不透明な大会の解決策として、いくつか私案を持っている。まずは競技数についてだ。

 「今後、予選さえ開けず、不公平感があって、これは世界大会として認めるわけにはいかない、という競技があったら、申し訳ないけどその競技は今回は参加を遠慮してもらう―そういう競技が複数出てきてもいいんじゃないか。未来永劫(ごう)なくなるわけではないんだからね」

 観客数もこの春までには上限が決められる。一部で取り沙汰されている無観客には絶対反対の立場だ。

 「外国人が入ってきたとして、公共の交通機関を使わないわけがない。彼らにとっても、自由に行動できないなら日本に来たことにならないだろうしね。そこでの感染拡大についてこういう対策を講じているから大丈夫、としっかりできるならそれでやればいい。もし実現不可能で問題があるなら、最悪、観客は日本人だけでやればいい。見る人がいればスポーツの必要条件は整う。客がいない中で五輪をやって、どんな値打ちがあるのか。大反対。ナンセンスこの上ないよ」

 国難の中で開催した五輪は国益へと変わるのか、最後にその意義を問うた。

 「五輪をコロナを克服するきっかけにしたい。問題があっても解決して、成功させられたら、感染対策が具現化した大会として、世界も存在価値を認めるだろうし、日本の国益につながる。今回の大会は“対コロナ”だね。全てコロナだよ。コロナに負けてたまるかという精神が、防疫にもつながると思う」

 ◆東京五輪選手村アラカルト

 ▼場所・広さなど 中央区の晴海ふ頭公園周辺に建設。広さは44ヘクタール(東京ドーム約9個分)。宿泊エリアは14~18階建ての施設が21棟造られ、部屋数は3800戸。ベッドは五輪用に1万8000個、パラ用に8000個を用意。静岡・修善寺、神奈川・大磯に分村が置かれる。

 ▼ゾーン 選手団が過ごす「居住ゾーン」、グッズ販売やヘアサロンなどの店舗が入る「ビレッジプラザ」、バックヤードにあたる「運営ゾーン」の3つに分かれる。居住ゾーンにはフィットネス・トレーニング施設、ジョギングコースが完備。宗教センターも設置される。

 ▼部屋 1ベッドルームの個室から、寝室が4つある部屋まで、部屋タイプは実に300種類。

 ▼食事など 食事は24時間営業の「メインダイニングホール」で取る。宿泊棟にはスポンサー企業の飲料の無料自動販売機がある。宿泊棟にはクリーニングの受付もあり、選手村内にあるクリーニング工場で洗濯してくれる。

 ▼大会後 閉村後は内装を一新、分譲・賃貸のマンションとなる。

【取材後記】 川淵氏は月に1、2回、自宅に人を呼んでマッサージを受ける習慣を30年ほど続けてきた。しかし、コロナ禍によって一時取りやめたという。「村長がコロナにはかかれない。かかったら村が危ない、となるからね」。細心の注意を払って、大会に備えているのだ。

 今さら詳しく書くまでもないが、Jリーグ創設など誰もが二の足を踏むような難局を、強いリーダーシップと明快な理念で乗り切ってきた人である。その言葉はやはり、東京五輪が苦境を乗り切るための示唆に富んでいた。

 「何が何でも強引にやるのでは、国民の賛同は得られない」という指摘があった。アスリートを大事にするのは当然。一方で、迎え入れる一般の人々の不安をどうやって取り除き、理解を深めるか。その視点が、政府を始め、主催者側の説明には決定的に不足してきた。それが今の悲観論につながっている。川淵氏の言葉が、状況を変えていくヒントになることを願いたい。

(東京五輪担当・太田 倫)

 ◆選手村の村長とは 国内外に向けた主催者の「顔」。大会期間中は選手村に滞在し、各国・地域の選手や役員を迎える入村式で歓迎の言葉を述べたり、各国要人が訪れる際には「おもてなし」を行う。今回はコロナ対策で慣例通りの入村式は行わない方針だが、選手村に不備があれば対応するなど、重要な役割を担う。前回の東京五輪では、都職員の小松藤吉さんが村長を務めた。今回、村長代行には柔道の五輪金メダリストで講道館長の上村春樹氏が就任。副村長は五輪とパラリンピックで各5人を選び、五輪ではシンクロナイズド・スイミング(現アーティスティックスイミング)の小谷実可子氏(組織委スポーツディレクター)、レスリングの富山英明氏ら。パラでは日本パラリンピアンズ協会会長の大日方邦子氏らが選ばれた。

 ◆川淵 三郎(かわぶち・さぶろう)1936年12月3日、大阪・高石市生まれ。84歳。三国丘高―早大―古河電工と進み、サッカー日本代表として国際Aマッチ26試合8得点。64年東京五輪でFWとして日本の8強入りに貢献した。引退後は日本代表監督などを経て、Jリーグ創設に尽力。91年に初代チェアマンに就任した。2002~08年には日本サッカー協会会長。バスケットボール界の改革にも携わり、日本協会会長やBリーグチェアマンも務めた。

選手村村長として五輪・パラリンピック開催への思いを色紙に書いた川淵氏(カメラ・竜田 卓)
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