【ヒルマニア】「俺の体にはドジャーブルーの血」トミー・ラソーダさん、チームに忠誠尽くし続けた

スポーツ報知
77年12月、記念撮影する長嶋監督(左から2人目)とメジャーの(左から)レッズのアンダーソン、1人おいてヤンキースのマーチン、ドジャースのラソーダの各監督

 日本人メジャーのパイオニア、野茂英雄投手をバックアップし続けた米大リーグ・ドジャースの元監督、トミー・ラソーダさんが7日夜に心臓発作のため死去したと8日、球団が発表した。93歳だった。

 野茂が周囲の反対を押し切ってドジャース入りした1995年、ラソーダ監督はオープン戦で快投した右腕をマイナー契約ながら先発ローテーションに抜てきした。打者に背を向けるトルネード投法はしかし、制球力が今一つ。5月は1勝も出来なかったが、指揮官は野茂を信じた。当時では珍しいフォームに一切注文を付けず、6月に6戦全勝。オールスター戦では日本人唯一の先発を勝ち取り、シーズン13勝を挙げた。試合後の監督会見はいつも、野茂の自慢話をするのが常だった事を覚えている。

 小太りの体にオーバーアクションで人気を呼んだラソーダ監督だったが、95年8月10日は度が過ぎた。野茂が先発したカージナルス戦、地元ドジャー・スタジアムはボールプレゼントデーで超満員だった。審判の度重なる不利な判定に、指揮官は観客を扇動する形となり、ファンがボールをグラウンドに投げ込む事態に発展。大リーグ史上最後の「没収試合」となった。

 翌年7月に体調面で辞任することになったが、ドジャースに忠誠を尽くし続け、「俺の体にはドジャーブルーの血が流れている」は球界を代表する名言となった。

 日本にも縁が深く、65年、巨人のキャンプ地を訪問。金田正一ら投手陣にけん制などの細かいプレーを指導し、巨人はこの年から9連覇がスタートした。79年には、リーグ別に分かれて行った日米野球でナ・リーグ側の監督して来日。93年にもドジャースを引き連れ、福岡ドームで2試合行った。

 監督引退後も、球団副社長時代の01年には野茂の古巣・近鉄の球団アドバイザーに就任した。外国人獲得など手腕を発揮し、同年のリーグ優勝に貢献。日本球界の発展に寄与したとして08年には「旭日小綬章」を授与されるなど橋渡し役としても大きな役割を果たした。ドジャー・スタジアムのネット裏にいつも顔をみせていたが、スタジアムを訪れたのはテキサス州アーリントンで行われた昨年のワールドシリーズ第6戦。自らが指揮した88年以来のドジャースのワールドチャンピオンの姿を目に焼き付けて、旅だった。

 ※「ヒルマニア」は、スポーツ報知でメジャーリーグを担当し続けて42年の蛭間豊章記者が、マニアックなメジャーネタをお送りします。

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