算数ドリル800冊のサインが結んだ絆 川崎前社長・武田氏が抱く感謝と期待…ありがとう中村憲剛「14」の物語―2021年元日 川崎フロンターレを引退―(2)

スポーツ報知
2017年、J1初制覇を喜び合う中村憲剛(右)と武田信平さん

 J1川崎フロンターレのMF中村憲剛(40)が2021年1月1日の天皇杯決勝で18年の現役生活を終えた。憲剛と関わった人たちに、それぞれの憲剛を語ってもらう連載の第2回は、川崎の前社長・武田信平さん(71)。2000年12月から15年4月まで社長を務め、J1の強豪クラブに成長させただけでなく、地域密着を推進してきたリーダーにとっての憲剛とは。(取材・構成 羽田 智之)

 ■陸前高田との交流

 憲剛で思い出深いのは、やはり、陸前高田(岩手県)との交流が始まったことだと思います。09年のナビスコ杯(現ルヴァン杯)決勝で負け、表彰式であのような事件(非紳士的行為)が起きてしまった。2位の賞金5000万円を返上しますと言ったら、クラブで有効に使いなさいということになった。そのなかの一つとして、「川崎フロンターレ算数ドリル」を、それまでは予算がなくて制作に協力してくださった市立上丸子小学校にしか配ることができなかったんですが、川崎市の全小学校に配りました。

 その後、東日本大震災が発生し、陸前高田市の濱口先生が、教材が流されたので何か残っているものがあれば送ってくださいと発信された。それを川崎市の先生が教えてくれた。予備が800冊ほどあり、憲剛がすべてにサインして、ボール、ウェアなどと一緒に陸路運んだ。それが縁で、毎年、陸前高田でサッカー教室を行う、子供たちを川崎に招待するということに発展しました。その時、憲剛は南アフリカW杯に出場した日本代表選手。その憲剛のサインを見て子供たちは喜んでくれた。子供たちを励ますということを通じて被災地支援のお役に立てたと思います。率先して動いてくれた憲剛には本当に感謝しています。

 ■フロンターレの顔

 彼が入団したのが03年です。僕は獲得する選手については、強化部に任せており、このような選手を補強しますという報告を聞くだけ。憲剛に関しては、(身体の)線は細いけど、非常にセンスがある選手だから獲得しましたと報告があった。初めて会った時のことはあまり覚えてないです。でも、試合に出始めたころのスーパーゴールはすごく覚えています。鳥栖戦(03年6月28日、6〇3@等々力陸上競技場)の右足ボレー。あれはすばらしかった。確かに細いけど、センスを感じました。

 04年に関塚隆監督が就任し、憲剛をボランチにコンバートした。それがものすごくはまった。憲剛のラストパスをジュニーニョが決める。得点がものすごく増えた。将来、フロンターレの顔になる選手になるんじゃないかなと思いました。中心選手に成長していって欲しいと。これまで18年、クラブの考え方、姿勢を理解してくれて、いろんな事をやってくれました。

 ■歴史内外に伝えて

 チームが勝っても負けても、J1だろうがJ2だろうが、町の人が毎試合こぞってスタジアムに応援にきてくれる。そのように地元に根付いたクラブになることがサッカークラブのあるべき姿であると思います。そのために、強いチーム作りと地域密着の2本柱でやっていかなければならないと決めました。直接伝えたことはないですけど、選手はサッカーだけをしていればよいということではなく、ファンとの触れ合い、地域との触れ合いも同じように大切にしなければならないことを分かってくれた。おもしろいパフォーマンスをはじめ、街に出て、写真を一緒に撮る、握手をする。憲剛はそういうことを率先してやってくれた。最初は中西哲生、その薫陶を受けた寺田周平、伊藤宏樹、そして憲剛と受け継がれてきた。こういう人たちがファン、サポーター、地域の人たちと積極的に触れあってくれて今のフロンターレがあると思います。

 フロンターレには多くの恩人がいます。中山茂さんという地主の方も、その一人。グラウンドの拡張や寮(青玄寮)を作る時にすごくお世話になった。そのことを憲剛はよく理解していて、中山さんと会った時に「中山さんはフロンターレにとって大恩人です」と言ってくれたそうなんです。こういうことを知っている選手がいなくなった。憲剛には「あなたが、そういう歴史を知っている最後の現役選手です。外に向かっても大いに発信してもらいたいけど、中に向けて、つまり今の選手たちにも折に触れて伝えて欲しい」とお願いしました。J2の苦しい時を知っている。入団した03年は勝ち点1で昇格を逃した。その苦しさや悔しさを知っている、それを乗り越えてきた過程で、表舞台に出ない多くの方々にお世話になっていることを知っている選手なんです。

 ■日程、環境面進言

 憲剛も僕に意見してきました。アジア・チャンピオンズリーグを戦っている時、「社長ね、中2日は本当につらいですよ。中3日と全然違うんです。何とか中3日にならないですか」と言われ、あっそうかと思いました。J1は試合日を水曜日と土曜日に固定していた。これでは疲労を回復できない。水曜日の次は日曜にして、その次を土曜日にすればよい。テレビ中継の日程を変えることを実行委員会で提案して、可能な限り中3日のスケジュールになった。今のクラブハウスができる前はプレハブの平屋建ての小さなもので、設備も整っていなくて、ちゃんとしたクラブハウスが必要とよく言われた。チームが強くなるには、グラウンドで練習をするだけではなく環境も大切である進言してくれた。全体のことをよく考えていたのだと思う。

 ■「優勝羨ましいよ」

 引退は発表の前に電話をいただきました。「えっ」と言いましたけど、話を聞いたら、5年前に40歳までと決めていたから頑張れたんだというので納得しました。そこまで考えているなら、もう次のことを応援していこうと思いました。新たな、次のステージで頑張って欲しい。これまで、長い間、フロンターレのためにやってきてくれた。ありがとうという思いは尽きません。ただ、俺はシルバーコレクターだけど、お前は優勝を経験したから羨ましいよと言いました(笑)。

 本人もそう考えているみたいですけど、憲剛は指導者になるべきだと思います。これまで経験してきたこと、学んだこと、蓄積してきた知識、そういったものを次の世代に伝え、次の世代がレベルアップするように導いていくことが彼の大きな仕事であると思っています。将来、フロンターレの監督になれば、もちろん、解任される可能性は出てくる。それはサッカー界では当たり前の事。でも、そんなことを怖がっていても仕方ない。彼にはやるべきことがあります。フロンターレの監督としても、代表監督としても大きな仕事をして欲しいと思っています。

 ◆武田 信平(たけだ・しんぺい) 1949年12月11日、宮城県生まれ。71歳。仙台一高、慶大(ソッカー部)をへて、富士通に入社。2000年12月、川崎の社長に就任。02年、社名を「富士通川崎スポーツマネジメント」から「川崎フロンターレ」に変更。行政や地元団体との関係を密にし、様々なイベントを通して川崎を盛り上げるなど、地域密着の推進を図った。15年4月に社長を退任し、会長就任。16年に会長を退任した。また、16年4月から日本アンプティサッカー協会の理事長を務めている。

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